№107. 生涯現役宣言(転がり続けろ!)

あまり公言したくはないが、今日(2019年7月7日)で還暦に達してしまった。子供の頃には60歳なんて、完全のヨボヨボの老人だと思っていたが、いざ、自分がその年齢になってみると、「老人」になってしまったとの実感はさっぱり湧かない。確かに体の各パーツ(目や腰、それとギターを弾く指)は、部分的に衰えは隠せないが、このまま隠居して、孫の成長だけを楽しみに生きていこう、なんて心境とは程遠い。まあ、隠居したくても、年がら年中資金繰りに追われている零細企業の経営者なので、「そんな余裕はございませぬ」と言ったところだ。幸い自分は(けっして楽ではないが)オーナー経営者なので、サラリーマンの人達のように、年齢で一律に会社から追い払われるワケではない。体力と能力が自分の仕事にマッチしている限りは、年齢に関係なく現役を継続することが可能なのだ。働き方の自由度はともかく、お金の面では、毎月決まった日にお給料を頂けるサラリーマン(特に大企業)を羨んでばかり居たが、ここに来てやっと「自営も悪くないな!」と思えるようになってきた。個人的な目論見では、77歳まで何らかのカタチでビジネスに関わり続けて、その後は、子供達に迷惑をかけず、ピンピンコロリでサヨ〜ナラ!を理想としている。マレーシアに暮らし始めてもう満20年になるが、あともう、そのくらいの期間しか残されていないと思うとチト焦るが、日本が抱える高齢化問題を少しでも緩和するためにも、死んだ後に貯めてあった年金を耳を揃えて国庫に戻すような、そんなロックな生き方を目指したいと、現時点では無責任に夢想しているのだ。


高齢化や少子化、そして、80歳代の親が、自らの年金で50歳代の引き篭もりの子供の生活を支える、所謂「8050問題」も豊かな日本にとっては深刻ではあるが、視野を世界に広げれば、そんなことは贅沢な悩みでしかない。自国の文化、宗教、習慣だけでなく、人間が人間であるために最も大切な「自由」が奪われているチベット人やウイグル人。迫害を逃れて隣国に出たは良いが、経済的な理由だけで、迫害の再燃の可能性がある元居た国に帰還させられようとしているロヒンギャ。戦争と飢饉により荒廃したアフリカの貧国の人達。無慈悲な処刑や強制労働が、指導者の気分次第で決定実行される半島北方の国の民衆。そういった人々と比較すれば、日本人はこの国に生を受けただけでも有難き幸運だ。「老後の蓄えが2,000万円ないと暮らせないのは政府の怠慢だ!」と、鬼の首を取ったように国会で与党を追及する野党のピンボケぶりは、参院選を前にして、私には墓穴を掘っているとしか見えない。政治家の仕事は国民に贅沢三昧させることじゃない、自由な社会を守り、様々の活動の場を保証し、弱きを助けることだ。養老孟司氏の言う通り「人間の死亡率は100%」なのだから、その生きている期間(人生)を充実させて、最後に「ハッピーだった」と呟いて逝きたいではないか。そのためには、やはり、「足るを知る」が肝要だ。足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り。単に「現状に甘んじなさい」ではなく、感謝を忘れず、努力し、自分に打ち勝ち、与えられた人生を全うする。「老後に2,000万円の蓄えがないオレ達は、どう生きて行けばいいんだ〜!?」なんて、近くの厄介な国みたいに、なんでも他者のセイにして絡むのはヤメて、もっと本質に近付こうではないか、ご同輩。


週刊誌の記事には、括弧付きで登場人物の年齢が表示される場合が多いが、もし、歴史本も年齢付きであったら驚くだろう。 特に幕末期など、事を成した人物の年齢がとにかく若いのだ、没年(満年齢)でみても、坂本龍馬(31歳)、吉田松陰(29歳)、高杉晋作(27歳)とびっくりだが 久坂玄瑞などは24歳で死んでいる。それにひきかえ、自分が31歳のときに何を考えて生きていたかを思うと情けなくなるが、まして24歳なんて完全に子供の思考回路しか持ち合わせていなかったと断言できる。同じ日本人なのに自分と先達との差は歴然だ。どうして、こんなにボケっと齢を重ねてきてしまったのか、自分の会社や家庭を維持するために、つまり経済的の事情のためだけに、ひたすら若い日々を費やしてきてしまったのか、それとも、くだらないテレビ番組や、流行を追うだけの雑誌に貴重な思考時間を奪われてきてしまったのか、何れにせよ、場面場面で自ら選択してきたことなので、今更、愚痴を言ってもはじまらない。反省は良いが、後悔はもう無駄な時間と考え、切り捨てて行くしかない。スマホでくだらないYoutube動画をダラダラ観てしまうような自分を見付けたとき、「オマエに残された時間をそんなことに使って満足なのか?」、「それが短い残りの人生でやりたいことなのか?」と早世した志士達を思い自問自答したい。


誕生日前に、日本ではお客さんにサプライズで祝ってもらったり、KLではバンド仲間から暖かな祝福を受けた。 どちらも組織内の「お義理」ではないのが嬉しい。 ただ、トランプさんが板門店で、サラリと南北の境界線を越えてしまったように、自分も今日スルリと境界線を越えてしまった感じだ。 今回は、そんな日の心境をちょとだけ書いてみた。戸籍年齢が還暦に達したからといって、特別な感慨などなにもない。 まだまだ、転がり続けるだけだ(キザだ・・・)。


(№107. 生涯現役宣言(転がり続けろ!) おわり)


前のページ/目次へ戻る/次のページ