ホリエモンこと堀江貴文氏が「電話してくる人とは仕事するな」という発言をしている。日常のオフィス、些細なことでも電話かけまくりで仕事している人は「この人何言ってるの?」と反発するだろう。そういう人たちには申し訳ないが、実は私も「電話」に関してはホリエモンと同意見だ(他の彼の言動は好きではないが)。実際、私はスマホの電話機能は殆ど使わない。そして、オフィスの私(一応社長だが)の机の上には電話機は置かれていない。最近買い換えたスマホでは、メールや各種アプリをインストールしテストし終わったあとに、何かのセールス電話がかかってきて「あっ、電話機能のチェックをしていなかった。。。」と気づいたほどだ。そして、その会話の内容も「メールで告知した内容を、わざわざ電話してくるって迷惑なんだけど!?」と、電話してきた相手へのクレームだった。
クアラルンプールでは、何故かここ数年、日系の人材紹介会社や会計事務所、そして広告雑誌を発行する会社がかなり増えた。大雑把な肌感覚だが、需要(パイの量)を考えると、かなりの過当競争状態のようだ。同じような企業が増えて価格やサービスを切磋琢磨するのは良いが、困るのは、無駄なセールス電話が多くなることだ。酷い場合は、担当者(兼代表者)が頻繁に転職で変わり、その都度「ご挨拶に伺いたい」とか電話してくるのだ。以前は、可愛い女性の声で、控えめにアポ取りをやっていたので「ああ、いらっしゃい、いらっしゃい」と先方の術中に喜んでハマっていたが。最近は、昨日までインターンシップ生だったような男の子が「弊社はコンサル企業です、今週、お時間ありますか?」などと、面会するのが当然のように言ってくるのだ。最初に電話に出るウチのローカル社員は「英語もイマイチ、用件もボソボソと明確でない」とか、「用件を訊いても言わず、ただ、日本人の社長さんに繋いでくだいと言うだけで失礼」とか、仕事の集中を削がれてかなり不満顔だ。最近では、私も「あなたのところは前任者が挨拶に来てるので知っている。そして、何かを依頼する予定もない。必要があればこちらからコンタクトするので、何度も電話営業するのは仕事の邪魔である。どうしてもコンタクトを取りたいなら、メールを送ってくれ」と明確に言うことにしている(それでも、何度もかけてくる週間フリーペーパーとかあるが。。。)。仕事を取ろうと頑張っているのはよく分かるが、相手が仕事に集中しているときに、突然割り込んでくる電話を使い、更に面会アポを強要するような態度では、完全な逆効果だ。30年以上前から、設計部門の集中力を削がないために、午前中を「デザインタイム」と名付け、外からの電話をシャットアウトしていた大手企業もあった。夜討ち朝駆け的に強引な営業をしている会社は、相手から迷惑がられるだけでなく、ノルマの厳しいブラック企業と認識される可能性があることも理解した方が良い。
昔はともあれ、今の自分の感性では、電話は緊急時の道具という認識だ。仕事でなにかトラブルが発生したとか、家族が怪我をしたとか、どうしても非同期通信では時間的に無理のある場合のコミュニケーション手段だ。なので、食事中などに知らない番号から電話がかかって来ると、「すわ、一大事、緊急事態発生か?」と、過剰反応してしまい、以降、食べているものの味も変わってしまう。もし、その電話がどうでもよいセールスだったりすると、食事の時間を台無しにされた腹癒せもあり、その担当者からは絶対買わないぞと思うのだ。更にそれが「メールで資料お送りしましたが、検討頂けましたでしょうか?」などと、宿題やったか?みたいな口調で問われたら、我慢回路からモクモク煙が出て来て、その会社からは絶対買わないぞと心に誓うのだ。
私は、オフィス内の雑談は、情報交換機能以上に、人間関係を滑らかにしたり、活気があるチーム作りに欠かせないので大歓迎だ。自分が他社におじゃましたときも、そういう観点で雰囲気を感じ取っている。が、無駄な電話の会話だけは自社でも他社でも気になって仕方がない。どこのオフィスにも電話好きは居るものだ。しかし、不思議なもので、必要不可欠な伝達事項のやりとりをしている会話は驚くほど気にならない。それにひきかえ、「いま、メールしましたから見てください」とか「今日の会議は何時からだっけ?」とか「メールで送ってもらった報告書の内容、解凍の仕方が分からんから、今説明してくれ」などと、業務であっても、無駄な電話をしているオジサンのことは、気に障るばかりでなく、正直、可哀想になってしまう。なぜなら、周りの若い人たちは「その電話って本当に必要なの?」と思考を中断して哀れんでいるからだ。大切なお金と電気と時間を使って、相手と周りの人々の集中力を削いだうえに、自分の評価を下げて、尚且つ「俺は仕事してる」と思い込んでいるのは滑稽だ。同僚同士なら「おまえ勤務中に無駄な電話よこすなよ!」と注意も出来るだろうが、相手が頭の硬い上司だとチト辛い。「メールだけで報告とは失礼だ、ちゃんと電話しろ!」などと電話で怒鳴られるのは、「電話番」といった言葉が死語になりつつあるこのIT全盛時代に「パワハラ」ならぬ「テレハラ」でしかない。
街中から公衆電話というものが姿を消しつつあり、小さい子供や一部の高齢者以外は携帯電話が普及している。いや、携帯電話というよりはパーソナル携帯端末といった方が妥当だろう。今や携帯端末は、通話の道具というよりは、電子メールやSNSといった非同期通信のための道具だ。これだけ個々人に非同期通信端末機が行き渡っている状態なので、もはや「通話」は端末機能の一部でしかない。私もそうだが、ホリエモンのような著名人でさえ、「電話は嫌いだ」と公言して憚らないし、電話が原因で生産性が下がる場面も多々ある。私は、どうでもよい電話をうける度に「この通話料金が超割高に出来れば、相手も簡単にコールすることを躊躇うだろうにな」と思うのだ。電話を受けるのが好きな人は通常料金、電話を受けるのが嫌いな人は割増料金を自由に設定出来れば素晴らしい。もちろん、電話をかける人には事前通知される仕組みが必要だ。通常料金と自由に設定した割増料金の差額は、通信キャリアを通じて設定者の指定するNGOなどに寄付される仕組みだと尚良しだ。こうすれば、無駄な電話をかける人には抑制が働き、いやいや受信する方も、自分の支持する団体への寄付だと割り切れる。会社の電話からかける人も、グループ別や個人別に使用料金統計をとれば無駄は一目瞭然。おそらく会社側も、業務効率を考慮して、問い合わせ窓口等以外の受信には、高額割増料金を設定するだろう。
集中力を削がれる、自分の時間を奪われる、楽しい時間に水をさされる。電話を嫌悪する理由は色々あるが、要はタバコと同じで、相手の無神経さが頭に来るのだ。ズケズケと土足で相手のテリトリーに踏み込むようなことをせず、どうせ電話するなら、落ち込んだ相手がイチバン喜ぶようなタイミングで、サラリと元気付けてやれるような、粋な使い方をしたいものだ。
話は飛ぶが、私の両親は、これを書いている時点(2018/1/6)で健在だ。 宮崎県の住宅型有料老人ホームで、職員の方々の献身的ケアを受けながら二人別々の部屋で暮らしている。父は認知症で、母は足が不自由だ。日本出張のついでに宮崎へ寄る以外は、私の姉が母に与えたガラケーが、クアラルンプールに暮らす私との唯一の接点だ。そして、後期高齢者で電子メールなども使ったことのない母は、そのガラケーだけが唯一子供や孫達に自分からコンタクト出来る手段だ。いくら「電話して来られるのは迷惑だ」と言っても、こういうケースまで批判するほど私は冷徹ではない。
(№101. テレハラ(Telephone Harassment) おわり)