№93. ロックフェスを撃て


前のコラムでチラリと触れた”イベント企画”の話を書こうと思う。 「今度書いてみたいと思う」と予告して、実際に数週間後には書いているなんて、サボりがちなこのコラムにしては、極めて異例の事態である。 このイベント、開催一週間前からは、突然、自称”イスラム国”のテロの恐怖に怯えながらの企画となってしまったが、何はともあれ、関係者、そして集まってくれた皆様のおかげで、無事に、且つ、成功裡に終わることが出来たので、記憶の熱いうちに書いておこうということだ。 この企画を通じて色々な人達と知り合えたし、今後も協力し合える人も分かって来た。 また、今まであまり意識していなかった、パブリシティやソーシャルメディア(今回のやりとりは、殆ど[Line], [What’s Up]で行われた)の威力についても、 肌感覚で実感出来るようになったのはとても勉強になった。 そしてなにより、今回は自爆テロ予告の報道があったりしたこともあり、平和と安全がどれほど有難いものかを知ったし、 それを脅かすような不埒な奴らに対しては、毅然とした態度を貫くことが如何に大切かということも強く感じたのだ。 早速はじめよう。


今回企画したのは、”J-Music Fest at Publika”と称する、在マレーシア邦人のアマチュア音楽愛好家達による、(大袈裟にいえば)野外ポピュラー音楽フェスティバルである。 日頃、小さなパブやレストランなどで演奏している音楽仲間同士で、大きな野外ステージを借り上げ、沢山の友達や知り合いを呼び、ノビノビと演奏して盛り上がりたい。 そして、出来ることなら年に2回くらいのサイクルで定例化し、食べ物・飲み物の屋台も呼び込み、気軽に楽しめる音楽祭を創りたい。 元々は、自宅や仕事場まであるこの”Publika”という複合商業住宅施設の野外ステージを眺めて「こんなところで演奏をしてみたいな〜」と思った単純な動機であった。 しかし、やはり色々な人が居た方が面白いし、沢山の人に強力を仰がなければ、実現するのも難しいということで、複数グループが出演する音楽フェスのカタチにしたのだった。 ターゲットは、新年会の時期を過ぎた2016年1月23日の土曜日。 夕方から深夜にかけてのゴールデンタイムに、野外ステージを仲間達で独占するのだ。


開催のきっかけは前号のコラム[№92. タイトル「2016 (にぃ・まる・いち・ろく)]を参照して頂くとして、 そこに登場する、今回のフェスのキッカケを作ってくれたアメリカ人ピーターとの邂逅から振り返ってみよう。 当時のメモが残っているので(内容は若干感情的だが)コピペする。


⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ 2011/7/31のメモより ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎
2011年7月最後の土曜日、私の住むコンドミニアム内の野外ステージがほぼ完成なのか、予行演習的にプチ・ライブイベントをやっていた。 午後9時過ぎ、”アマチュア女の子バンド”をトップバッターに、かなり勘違いな”インスト・トリオ”、”イカレ・ノイズバンド”、そして、超時代遅れの白人テクノ二人組と、久々にレベルの低い、猿真似パフォーマンスを堪能(?)した。なかでも、”イカレ・ノイズバンド”は、時代遅れ白人テクノと一緒にイスラム教徒を冒涜するようなパフォーマンス(マレーの学校の女性制服でセクシャルなポーズをしたりする)で、住人としては眉を顰める場面が多々あり、ウルサイだけのノイズ(音楽無し)と相まって、見ていてムカムカと頭に来だす。 しかし、周りの人達は、物珍しさからか、ホンモノを知らない悲しさか、妙に演奏がウケまくるのだ。 無節操な聴衆の反応で。私の怒りはジリジリ上昇する。 ”イカレ・ノイズバンド”のジーン・シモンズ(Kiss)ばりの火吹きが終わったころ、私と一緒に観てた末娘、二人のムカムカは頂点に到達した。 アンコールを期待してか、演奏終了後もステージに残っているバンドに向かって、私は思わず「帰れ、帰れ、二度とここでやるな!」と罵倒していた。 凍る私の周囲(特に末娘)。 立て続けに 「We wanna hear music !」とデカイ声で怒鳴ると、後ろの方のマレーボーイ1名から「Yeah !」と微かな応援あり。 (奴もムカついてたんだな、と)もういっちょ「Play music !!」と叫ぶと、「Yeah !」と複数回答に増えた。 こうなったらとどめに、と「Play --------- music !!」、今度は確信的な「Yeah !、Yeah !」の大レスポンス。。。 全ての演奏後、プロデューサ役の白人(よく見かけるヤツ)のところに行って、「俺は音楽ファンで、ああいうノイズ系も否定はしないが、 宗教を冒涜するようなパフォーマンスは、ここの住人としてアクセプトできない(テロの対象にだってなりうる)」とクレーム。 彼は、「ここを自由のスペースとしたいと思っている」とか色々言ってたが、 「そんなら、あっちのBlack Box(コンサート会場)でやってくれ、ここはパブリックスペースなので、あれはダメだ」 と言うと、「これからレストランとかが出来てくると、ああいった音楽は自然と出来なくなるんだ」とか、エクスキューズを言っていた。 まあ、色々、話しているうちに、けっこう気が合うことが分かってきたので、これも良いチャンスかと思い、チャッカリと、自分のバンドを売り込んできてしまった。 てなことで、”Publika野外ステージ公演”も、自分のバンドのライブ候補地ってことにしておこう。(2011/7/31)
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上記エピソードから4年3ヶ月の間、機会がある度に「野外ステージで演奏するチャンスあがあれば、是非やりたい!」と、ピーターに言い続けていたところ、 前号のコラムで書いたような、謂わば”勢い”で、口約束ではあるが、積年の願い(大袈裟だ)が叶うチャンスが巡ってきたのである。 以下は企画開始から開催当日までの時系列な記録である。


[2015年11月22日(日)]
イベント企画屋のピーターから「来年1月23日(土)なら、野外ステージでライブ可能」との言質をとったので、 とりあえずは、自分達のバンド[Rock Samurai]メンバー4人のスケジュールを確認する(自分達が出演できないのであれば、意味がないので、話はここで終了だ)。 ギターの私とドラマー(リーダー)は、交渉現場に居たのでOK。 インドネシアのチカランというところで働いているボーカルは「以前から、あのステージに立つのが夢だった」と即レスがあったが、オーストラリア人のベーシストはレスがなかった。 ちなみにボーカルは、そのステージから見て真正面のお店で店長をしていた。


[2015年11月24日(火)]
ベーシストからライブ予定は「問題無い」とのメールがあり、最悪でも我々だけで決行可能状態となる。 ただ、ピーターからはなんの連絡もないので、このままでは”口約束”は流れてしまうと危惧し、積極的にアプローチすることにする。 一応、Publika側にキックオフ・ミーティングを打診する前に、ある程度、こちらの体制も固めたおきたく思い、”仮の話”を前提にバンド仲間に声を掛け始める。


[2015年11月26日(木)]
朝、ピーターにキックオフ・ミーティングをSMSで打診すると、「何時がいい?」と返信があったので、18:00頃から話あうことになった。 夕刻、集合場所のPublika内のArt Row(前衛芸術の画廊街)の模擬店風コーヒー屋に行くと、もう店仕舞いだと言うので、隣のアイスクリーム屋(これまた模擬店風)にて ピーター、担当者のマレー系ハニータ嬢、デザイナーのエディ、計4人で初めてのミーティングを持った。 私が名刺を差し出すも、ハニータもエディも名刺を持って来なかったようで「あとでメールする」とか言っていた。 この時点では、誰がイベント関連のイニシアチブをとる担当者なのか、誰に決定権があるのか、全く把握出来ていず、後に少し遠回りすることになる。

社会に出てから、このような企画に参加するのは初めてなので、何をどう進めていけば良いのかも分からぬまま、私からは次の要求を出した。 1. 我々はアマチュアなので、無料で演奏等のコンテンツは提供出来るが、カネ(経費)は出せない。 2. 伝統的な日本芸能は、日本人会などでもやっているので今回は扱わず、シンプルに音楽フェスティバル的にやりたい。 3. 基本的に我々は、土曜の夜、音楽とビールとツマミが少々あれば満足。リラックスした空間にしたい。 4. ショッピングモールの中のステージでやる限りは、集客目的ということは理解しているが、こちらはイベントの素人なので、企画推進に関してはPublika側で引っ張っていってほしい。 5. 支援金が出るかも知れないので、Publika側からJFKL(独立行政法人国際交流基金のKLブランチ)にコンタクトしてほしい。

エディは「フジロックみたいなフェスがいい」とか言ってはいたが、結局、ハニータが1月23日は野外ステージは他のイベントでは予約されていないことを確認しただけで、 「まだ、けっこう時間あるよね、詳細は今後もミーティングで決めましょう」程度のノリで、その日のミーティングは終了であった。 既にある企画推進のテンプレートのようなものに乗っかれば、我々は演奏準備に集中していれば良いのかと思っていたが、それはチト甘かった。 コンセプト決め、出演者集め、予算の確認、広告の手配、食べ物屋台の出店手配、機材の手配、会場の設営段取り等々、やはり自分で確認して行かなければダメだ。 そして、なにより、本企画が正式に”Go”なのか、”Stop”なのかを、しかるべき人に決定してもらわねばコトが進まない。 結局、この晩は、キックオフ・ミーティングと言うよりは、下打ち合わせのようなもので、スッキリしないままであった。


[2015年11月27日(金)]
思い描いているフェスティバルの基本コンセプトは、チャリティーでもなければ、商業的なものでもなく、ただ単に「みんなで楽しもう!」というだけだ。 しかし、意外と、老若男女皆が感じる”楽しさ”を、音楽だけで演出するのは大変なことだ。 同じ系統の音楽だけでも飽きるし、大音量も続くと辛い、暗いのは論外としても、ハッピー系をズラリ並べてもかえって疲れる。 当初から、せめて4組くらいは出演してほしと思っていたが、絶対外せない自分の[Rock Samurai]を除くとあと3組。 出来れば、”初々しい系”、”一般大衆ウケ系”、”本格Jazz系”のバリエーションでキメたいと思う。

”初々しい系”の選択は、駐在員関係から探すのは容易ではないが、最悪、あとで若手の動向に詳しい他者の力を借りることも可能なので、とりあえずホールドした。 ”一般大衆ウケ系”は、躊躇せず地元有名人のY.U氏に(仮)打診し、メンバーや出し物はともかく”枠”を確保しちゃってくれるとありがたい、と頼み込んだら、 翌日、「コンファームOK」のメッセージをもらった。[UTTK+N]という昭和歌謡を演奏するユニットで出てくれるという。集客的にも顔の広いY.U氏の参加はありがたい。 問題は”本格Jazz系”だった。 実は、KL日本人アマチュアミュージシャン界の長老T.W氏に”本格Jazz系”を仕切って頂こうと、密かに目論んでいたが、イベント当日は、 日本へ一時帰国中のため、残念ながら参加出来ないとのことであった。 それでも諦めず、プロ級Sax名人のH.Y氏を中心にしたJazz Bandを期待して、彼にメールで打診した。 数日後(12/1)、H.Y氏からも「予算会議で日本に行かなければならない」とのメールをもらい、事実上”本格Jazz系”の夢は潰えたのだった。 ”本格Jazz系”枠は、参加自由のバトルロイヤル・ジャム・セッションに切り替えよう。


[2015年11月30日(月)]
在マ音楽関連企業に、リーダー経由でコラボを打診するも、フェス自体の知名度がなく、”時期尚早”だったよう。第二回目には先方から依頼が来るよう頑張ろう。。。


[2015年12月6日(日)]
Y.U氏のユニット[UTTK+N]が郊外のパブで演奏するというので、初めて観に行く。 会場の音響設備の関係もありバランスに難ありだ。 まあ、フェス当日は、プロのミキサーがつくので大丈夫であろう。 パブには友人のSAX奏者J.K氏が遊びに来ていたので、バトルロイヤル・ジャム・セッション参加を(仮)打診する。


[2015年12月7日(月)]
会社の広告の打ち合わせに来ていた地元月刊誌”Senyum”のT.K女史に、雑談でフェスの話をしたら、正式決定なら1月号紙面にて無料告知をしてくれるとのこと。 先行して200文字の宣伝文を考えた。 『1月23日(土)PM8:00頃から、KL、パブリカショッピングギャラリーの屋外ステージで”J-Music Fest in Publika” と称して、在馬日本人を中心とするアマチュアミュージシャン達のライブがあります。出演は老舗バンド[Rock Samurai]、昭和歌謡 & J-POPの[UTTK+N]など様々なジャンルのバンドが演奏予定で、食べもの屋台も企画中。土曜の夜は老若男女全員集合で、ビール片手にJ-Musicで、大いに盛り上がりましょう。』


[2015年12月9日(水)]
年末年始のイベント準備で忙しいのか、詳細打ち合わせをPublika側に打診しても、なかなか予定が決まらないので、ちょっとモヤモヤ気味だ。 地元誌への広告の件もあるので、正式なイベント開催の可否をピーターへ問い合わせと、「担当者のハニータが、ステージ予約済みなので、正式にOKだよ」との返事。 これをうけて、出演予定の[UTTK+N]Y.U氏に”正式決定”を伝える。 並行して”初々しい系”バンド手配のために、KLでプロモーターをやっている女性経営者Y.A嬢にコンタクトをとる。


[2015年12月10日(木)]
地元月刊誌”Senyum”のT.K女史に、イベント宣伝文とバンド写真([Rock Samurai]と[UTTK+N])を送る。 年明け早々5日には広告が出るとのこと。 加えて、我バンド[Rock Samurai]のスタッフ(協力者)のY.H嬢が、地元隔週刊誌”JSpo”の友人S.S.女史にお願いして、12月25日の無料告知枠をもらってきた。 複数誌、それも時間差攻撃はかなり集客には有効だ、ありがたい。


[2015年12月11日(金)]
[Rock Samurai]リーダーと、当日のセットリスト決定し、メンバーに配布する。

予定していた詳細打ち合わせはキャンセルとなる。 いつもこんな調子で企画を推進しているのか、こちらがもっと強引にならなければイケナイのかイライラが募るばかり。 出演を打診した人達からも、[UTTK+N]以外、イマイチ積極的な反応がなく、ちょっと投げ遣り気味な気分になるが、長く生きてると、こういう場面も充分”織り込み済み”だ。


[2015年12月13日(日)]
毎週日曜日やっている[Rock Samurai]の練習後、スタジオの若いスタッフMamoru(日本人とマレー人のハーフ)に、「君もバンドやってるのか?」 と問うと、「はい、自分はドラム担当です」と云う。 ”初々しい系”バンドの紹介を依頼していたY.A嬢からは、特に具体的な推薦もなかったので、半信半疑のまま、Mamoruにフェスの話をして、 興味があるなら検討してくれ、と名刺を渡した。 その後、メンバー他と一緒に飲みに出かけたのだが、その夜のうちにMamoruから、お礼と自己紹介、そして「近々スタジオでデモ撮って送ります」とのメッセージが来ていた。 そうだ、俺はこういう積極的な初々しい態度を待っていたのだ。ちょっと気分が軽くなるのを感じる。


[2015年12月14日(月)]
JSpo広告のデザインでバンドスタッフY.H嬢と内輪ですったもんだ(結果的に素人案は没で、プロの手を借りてしまった。。。)。 午後、早速、昨夜のMamoruからデモ映像(デジモンのButter-FlyとワンオクのClock Strikes)が送られて来る(いいね、こう言う素早さは!)。 バンド名は[Garuda(神鳥)]、レパートリーは若手のJ-Rockだ。 事務所では音出して聴けないので、家に帰ってから確認する。 聴くと、悪くはないが、ボーカルがマレー人だからか、録音の問題か、日本語の歌詞がはっきりと聞こえて来ない。 個人的にちょっとストレスを感じたので、その点を注意して、別バージョンを送ってくれと頼む (ボーカルのAfirの名誉のために書いておくが、原曲も日本語が、かなり聴き取り辛い)。


[2015年12月16日(水)]
地元誌”Senyum”の広告が完成したので、確認してくれとT.K女史から画像が送られて来る。 デザインやレイアウトはプロの仕事に文句は無し。 事実関係だけ確認して「これで宜しくお願いします」と返信した。


[2015年12月17日(木)]
Mamoruから再度デモ映像がメールで来る。 確認後、ちょっと”上から”の言い方だが、下記メッセージを送る。 『イベントが中止にならない限り出演は約束するから、1月23日は空けといてください。ひとつ非常に気になるのは、歌詞が聴こえて来ないところ。ここは君たちが今後プロを目指すなら、改善が必要だと思う。急がないけど、フライヤー用の写真も今年中には送ってね。』

JSpo広告完成の知らせあり。確認後お礼メールを送る。


[2015年12月23日(水)]
[UTTK+N]Y.U氏から「JSpoにどーんと告知が出てると友人からいきなり電話がありビビった」とのメッセージ。 Publika側との詳細打ち合わせもないまま、とうとう公共のメディアに出てしまった。 とりあえずは、3つのバンドの出演確約は取れたが、食べ物屋台の出店手配、機材の手配、会場の設営段取り、MC手配、控え室の手配、等々は、Excelの懸案リストから消えないでいる。 しかし、もう一般告知した以上、あとには引けない。。。 いやいや、そんな弱気ではダメだ。 やるからにはもっと前向きに行こうと、勝手に今回の最終目標を”第2回目開催のオファーを得る”に設定した。


[2015年12月28日(月)]
2015年も押し迫ってきて、イベントまであと1ヶ月を切っているのに、Publika側からの連絡がない。 こんな状態で年末年始を過ごしたくないので、ピーターに無理矢理打ち合わせ打診をすると、「ハニータに予定を確認してくれ」と、なんだか人任せ気味な返信が来た。 「俺は彼女のコンタクト番号を知らないよ。名刺は渡したが、その後、約束したメールももらってない。」と返すと。 「なんだって?、あのあと、なにも進展していないのか?」と来た。 「今回の件はピーター、俺は、アンタとしか交渉をしてないぜ!」と、頭に血がのぼるのを抑えながら返信すると、 「それはマズイ、早速、ここ(ハニータの携帯番号)にコンタクトしてくれ、俺は関係者に連絡する」となった。 今更ながら分かってきたのは、ピーターはPublikaの社員ではなく、外部の契約コンサルタントのような存在で、イベントのきっかけは関わったが、 Publikaに案件をパスしたので、あとは私とPublikaの社員で今回の担当者でもあるハニータで推進していると思い込んでいたようだ。 結果的に、年末年始で忙しいハニータと打ち合わせが出来ることになったのは、年末も年末の12月30日となった。 それまでに、各バンドから必要機材の洗い出しをしておこうと思い、各リーダーにメールをした。


[2015年12月30日(水)]
やっと2回目の打ち合わせ日。 仕事を抜け出してAM10:30に、バスキン・ロビンス(31アイスクリーム)のソファーに集合した(誰もアイスクリームは買わないが。。。)。 参加者はピーター、ハニータ、そして、Publikaのスタッフで、且つミュージシャンでもあるジェローム。 この日は、抽象的な話をしてもしょうがないので、こちらから懸案リストを持参して、「誰が、何を、いつまでに」やるかを決め、次回の進捗確認ミーティングも1月7日にセットした (もう、ここまで来たら、日本式プロジェクト・マネージメントでやらせてもらうぜ!)。 前述のJFKLに”財政支援”を要請することは既に時間切れなので諦めざるを得なかったが、資金的にPublika上司の決裁が必要な事項に関しては、外部コンサルである筈のピーターが強権発動で、決定を渋るPublikaスタッフを説き伏せていたのが意外であった。 懸案事項を吐き出してスッキリしたので、やっと年が越せそうな気分になったが、日本食レストランに出店を依頼することと、MC役探し(日本人コメディアンを起用したい)、 当日の進行表(タイムテーブル)再作成、そして、[UTTK+N]のY.U氏から紹介を受けた地元誌”WEEKLY M Town”への広告無料掲載依頼が、年内の仕事として残っていた。


[2016年1月3日(日)]
[Rock Samurai]のゲストに、若い女性2名(このうちのひとりがピーターにフェス開催をOKさせた)を含むホーン・セクション(3名)を追加することを決定。


[2016年1月4日(月)]
バトルロイヤル・ジャム・セッションのメンツ未定のまま、ジェロームに当日の進行表(タイムテーブル)を送る。


[2016年1月5日(火)]
昨年中に、Publika内の日本人が働いている日本食レストラン6店中5店には、フェス会場への出店のお誘いを作成し配っておいたが、 可能性が低いと思い保留していた最後の店にも出向いて説明した (依頼文書に添えたJSpo記事、我がボーカルの写真を見て、マネージャががニヤっとしていた)。


[2016年1月6日(水)]
[UTTK+N]のY.U氏が、フェイスブックのイベント (最終的に招待客は449人)を立ち上げ、SNSによる集客が開始される。 地元誌掲載のイメージファイルの扱いでちょっともめたが、若い層に対してこのツールは大きな存在だ。 余談だが、マレーシアによく遊びに来られる、有名ギタリストの法田勇虫さんも”いいね”してくれていた(感謝!)。


[2016年1月7日(木)]
3回目の打ち合わせ日。 またまた仕事を抜け出してAM11:00に、バスキンロビンスのソファーに集合した(この日も、誰もアイスクリームは買わず。。。)。 参加者は、今回はピーターではなく、決裁権限を持つ華人のアレックス(以前から面識は有り)が初参加。そして、ハニータ、ジェローム、エディ、あと出演者の[Garuda]からMamoruとボーカルのAfir。 Publika専属の音響屋さんも来るかと思ったが不参加であった。 アレックスからは、最近は住民からイベントの音量に対する苦情も多いので、早く開始しても良いので、演奏はPM11:00迄としてほしいとの要望が出た。 PM11:00頃からはJazz系のバトルロイヤル・ジャム・セッションを予定していたが、この時点でも出演予定者で確実な人がいなかったので、これ幸いと、思い切ってカットすることにした。 デザイナーのエディが作成した数種類のフライヤー候補から、今回のイベントにあった雰囲気のものを選択したり、バックライン(アンプ等の機材)の要求リストを説明したり、 細かい内容の再確認をした。 とにかく、今となっては準備時間も無いし、スポンサーも無くPublika持ち出しのイベントなので、極力贅沢を言わず、プロジェクターの使用や、プロのMC(日本人コメディアンもタダでは無理なので諦める)などは遠慮することにした。 また、日本食レストランの出店に関しては、私から依頼するが、希望があれば、私ではなく直接ハニータにコンタクトするようなカタチにしていたので、どの店が手を挙げたのか知らなかった。 ミーティングの最後に訊いてみると、なんと最後に説明に行った店しか参加表明していなかったのは残念で且つ力不足を感じるのだった。 事務所に戻り、各バンドのリーダーにバンド紹介文の作成を依頼し、地元紙WEEKLY M Townに掲載する写真を送った。 結局、地元誌からの告知は、12月25日、1月5日、1月14日と、計ったような時間差攻撃が出来てよかった。


[2016年1月9日(土)]
[UTTK+N]とのコンタクトをY.U氏個人のLINEから、グループに切り替え、各メンバーとの意思疎通を迅速化する。


[2016年1月14日(木)]
地元誌、フェイスブックと告知してきたが、もう少し高齢層にもアピールしようと、日本人会へフライヤーを貼ることを検討する。 この晩は”和僑会”という在外邦人経営者の集まりに参加させてもらうので「自己紹介の時間は自社の宣伝よりフェスの告知優先だな」などと考えていたら、 ジャカルタでテロ発生とのニュース。 暫くして、我が[Rock Samurai]のボーカルからLineで「今、ジャカルタです。交通規制が入り渋滞してます。」とのメッセージ。 あとで聞くと、テロ発生が1時間早かったら、巻き込まれていた可能性があったようだ。 事件のあったサリナデパート前交差点といえば、昨年インドネシア旅行したときに宿泊したホテルのすぐ傍である。 マスコミでは「ついに東南アジアでもISのテロ発生」と嫌なニュースを伝えていたが、まさかこの事件が企画中のイベントにも大きな影響を与えるとは、 この時点ではまったく予想していなかった。


[2016年1月15日(金)]
更なるダメオシ集客を求めて気を緩めず、我[Rock Samurai]のスタッフY.H.嬢のツテで人気ブログ 「マレーシアてんこ盛り!日記」 にも掲載を依頼する。 夕刻、ある居酒屋チェーン店が出店希望なのか、ハニータからその居酒屋チェーン店のマネージャーへのメールがCCで流れてくる。 そのなかで、「出店費は無料だが、出演者用に弁当20個とビール50杯を提供してほしい」とビミョーな条件が書いてあった。 これでは多分利益は出せない、我々は無料で飲み食いさせてもらうより、会場に店を出してもらい、場を盛り上げてほしいだけなのに。。。


[2016年1月17日(日)]
バンドの練習を終えて携帯電話をチェックすると、スウェーデン在住の末娘からメッセージが入っていた。 なにやら、クアラルンプールでテロ可能性があり、そのターゲットに今度のイベント会場があるモール(Publika)も含まれているとのこと。 家に帰ってからネットで地元新聞サイトをチェックすると、テロリストと疑われる者が拘束され、持っていたターゲットのリスト中にPublikaが入っているとのことだった。 せっかく、ここまで来たのに、イベントを中止せざるを得ない事態になったら嫌だなと、若干暗い気分になったのは言うまでもない。 ここで深くは触れないが、ローカルマレーシアンの間では、このテロ予告騒動を”政治的なもの”とみる見方も存在する。 それはさておき、テロ関連報道後、イベントにじょじょに実害が発生していくのであった。


[2016年1月19日(火)]
我[Rock Samurai]のスタッフY.H.嬢のツテで、日本人会内各店舗へのフライヤーも浸透した。 しかし、残念なニュースも入ってきた。 明確な理由は不明だが、イベントに屋台を出店表明していた店と、先週末にチラリと出店話しが出た居酒屋チェーン店が出店を辞退してきたのだ。 出演者への無料飲食券提供のコストを嫌ったのかも知れないが、タイミング的には、マスコミで発表された「会場がテロのターゲット内にある」という事実が大きい筈だ。 イベント当日の盛り上がりは、こういう店の存在にかなり左右されると思っていたので、非常に残念であった。 しかし、ハニータからは「辞退の理由はわからないが、こうなったら、外部のFood Trunk(移動式屋台)を呼ぶ」と、始動は遅いが、ギリギリまで諦めないマレーシアンの面目躍如だ。

悪いことは重なるもので、我々のバンドにゲスト参加を依頼しておいたホーンセクション内の一人(日本人駐在員)が「出演を辞退したい」とメッセージを送ってきた。 訊けばに日本の本社と協議した結果、テロの脅威がある場所でイベントに参加するのはマズイらしい。 企画を推進している立場からすると、かなりガッカリだ。 もしゲストでなく、正規のメンバーであれば、即解散の危機レベルである。 まあ、会社の意向だけではなく、本人も会社と同じ考えだとのことなので「了解です。」と返信するしかなかった。

あくまで一般論としてだが、このような日系企業の対応は、本当に正しいものなのであろうか疑問だ。 今回は、確かに大使館や日本人会、そして企業団体などから”注意喚起”のメールが来ている。 しかし、内容は「十分注意セヨ!」であって、「諸々の活動を自粛しなさい」とは言ってない。 それどころか「デマも多いので、イイカゲンな情報をSNSなどで拡散しないように!」と釘をさしているではないか。 もし、マレーシアのインテリジェンス機関が、本当に緊急事態と判断したならば、もう少し違ったトーンの警告になる筈である。 ネットなどで配信されている専門家の意見も、「インドネシアかマレーシアで、IS自爆テロの危険が心配されたのは事実であるが、 インドネシアで発生したそれは思いの外規模が小さく、且つ、シロートであった。ISも今は窮地に陥っているので、無理に戦線拡大を急かすほど焦っているのではないか」である。 今の時代「テロの可能性はゼロ」などとは言える場所は少ないが、ちょっとした情報に怯えてしまい、諸々の活動(特に経済活動)を自粛してしまっては、 それこそテロリストの思う壺ではないか。 ある組織の”自粛”が、他の”自粛”を呼び、結果的に「こんな時期に自粛しないところは非常識な組織」といった負の連鎖を起こすだけだ。 おそらく、日本本社側も「従業員の安全が第一」と口では正論を言っていても、正直なところ「万一何かあった場合の責任問題」の方が気になるのだろう。 「情報の信憑性はともかく、とりあえず自粛しとけ」と言ったところではないだろうか。 窮地に陥った本家(IS)から指示された(自称)テロリストにとっては、このような反応はとてもオイシイ。 デマを当局に掴ませれば、社会が勝手に混乱してくれる。 ひとつの爆弾を破裂させることもなく、社会を恐怖に陥れ、混乱を招くことが可能なのだ。 得体の知れないものに怯えるのは分かるが、私個人としては(自称)テロリストの気紛れで、奴らの意のままに踊らされるのは真っ平御免である。 信念を持って日常の生活を継続するまでだ。


[2016年1月22日(金)] イベント前日
事務所でジェロームから送られてきた、当日のタイムテーブルの訂正依頼のメールを打っているとき、ふと窓から外を見ると、 3人のM16系自動小銃で武装した迷彩服の兵士と、その上官らしき計4人が見えた。 どうやら、俗に言う”見せる警備”を強化し出したようだ。それにしても、ショッピングモールに武装した兵士は物々しい。 ひょっとして、もっと狙われやすい人の集まる場所は兵士でいっぱいなのかなと、(なぜか)喜び勇んで事務所から出て野外ステージの方に見に行くと、残念ながら特にいつもと変わりはなかった。 ちょっと拍子抜けした気分で、事務所に引き返そうと思った瞬間、あってはならぬものを見てしまった。 それも、明日演奏する神聖なステージのバックにだ。 なんと、中国正月のイベントの特大ポスターがステージのバックスクリーンにぴったりと貼られているではないか。 「日本人の、日本人による、日本人のための音楽祭」のステージ後ろに、「華人の、華人による、華人のためのお祭り」の特大恭喜發財ポスターが「どうだ!」とばかりに胸を張っているのである。 思わず「これは北朝鮮の陰謀か?」と青山繁晴さんのジョークを思い出したが、なんとも言い表せぬ嫌な気持ちで、ハニータに「これはどうなってるの?」とメッセージを打った。 即レスで来たメッセージは「Oh, No〜 !!」だけであったが、彼女のムンクのような叫び声が聞こえて来そうなレスであった。

夜、朝イチでインドネシアから駆けつけたボーカルを交えて、スタジオで最後の調整(練習)をする。


[2016年1月23日(土)] イベント当日
中国正月の特大ポスターは、映画用のホワイトスクリーンで覆うことにより難を逃れたが、地元誌の広告に出した「食べ物屋台も企画中」や「ビール片手に盛り上がりましょう!」 の文言に関しては、「パブもテイクアウトの店も多いショッピングモールなので、なるようになるさ!」と、開き直って当日を迎えた。 PM2:00にバンドメンバーが集合すると、マレーシアにしては珍しく、機材は時間通りに、既にセッティングが終了していた。 時折、自動小銃を持った迷彩服の兵士のグループが、ステージ前をパトロールのため横切る以外は平穏そのものである。 企画者としてやる事は前日手配までで、当日はさほどすることもない。 なので、自分のバンドのサウンドチェックだけ終わらせ、歩いて5分の自宅に帰って昼寝をしていた。 昼寝中、他のバンドのサウンドチェック時に、ステージ前の店舗から「今日のフェスのことは聞いてないぞ、音がうるさいので客が帰ってしまったじゃないか!」とクレームが来たらしい。 テロの標的とアナウンスされてから、Publika自体の客が激減しているようなので、どの店も神経質になっているのかも知れない。 テロ情報前にフェイスブックで参加表明していた人達も、やはり自粛して来ないのかな、と一抹の不安がよぎる。

PM7:00前、そろそろオープニングなので会場に行くと、ハニータの呼んだFood Trunk(タコ焼きの移動式屋台)が来ていた。 当初は、Publika内の日本食レストランに、焼き鳥、枝豆、から揚げ、お好み焼き、等々を出してもらうことを想定していたが、今となってはタコ焼きだけでもありがたい。 ビールに関しては、近くのセブイレブンでも売っているので、飲みたい人は自分で買いに行くだろうと、自分で勝手に納得していたら、 Publikaでカラオケ・ルームや託児所など広くビジネスを展開している若手女性経営者のN.Kさんが、男性オーナーとひょっこり来て「あの〜、会場でビール売っていいですか?」と言うではないか。 どうやら、私とのLineグループで事情を知る[UTTK+N]のメンバーから聞いて、即断でビール販売を思いつき来たらしい。 こちらとしては、”願ったり叶ったり”なので、即、会場に居たハニータから許可を得て、ついでに販売用のテーブルまで準備してもらった。 土壇場でなんとかなるという”マレーシアの法則”はここでも有効だった。 充分とは言えないが、ビールもツマミも準備できた。 遠くから雷鳴が聞こえ、スコールの前兆のようだった空も奇跡的に晴れた。 あとは、フェスのメインディッシュである音楽に集中するだけだ。

ギャラなし無料の司会、PublikaジェロームのMCで始まったフェス。 [Garuda]、[UTTK+N]、そして自称”大御所”トリの我[Rock Samurai]。 テロ情報の影響もあり想定よりは観客は少なかったが(想定は超満員)、一般的にシャイだと言われる日本人が「ここまで盛り上がるか?」と驚くほどステージ前に居た人達の反応が良かった (特に”和僑会の面々”)。 音楽体験を文章で表現するほどの筆力は持ち合わせていないので、演奏内容についての記述はしないが「きっと拙い演奏だろうが、ちょっと観てやろう」という 心の広いお方はYoutubeでどうぞ。

[Rock Samurai Live]
Part 1 Part 2 Part 3 Part 4


兎にも角にも、フェスは無事に終わった。 終わってみれば、出演3組がベストの長さでもあった。 Publikaのハニータもジェロームも「素晴らしかった」と満足してくれた。 ステージの上も客席も汗だくであった。 テロリスト達の思惑を嘲笑うように、皆で日常生活を楽しんだ。 敢えて個々に名前はあげないが、関係した全て人達に「ありがとう」と言いたい。


[後日談]
フェス当日、今回のチャンスを作ってくれたピーターの姿がなく、ちょっと気になっていた。 後日、Publika内を歩いていると、カフェで何かのミーティングに参加していた彼と目があった。 遠くから、お礼のつもりで合掌のポーズをとると、ミーティングを抜け出して近くまでやってきた。 「フェスはどうだった?俺はシンガポールに行く用事があって観にいけなかったんだ」と言う。 「機会をくれて、ありがとう、とってもエキサイティングなGigができたよ。」と私。 「そうか、それは良かった。じゃ、またやらないとな!」とピーター。 この瞬間、今回の最終目標である”第2回目開催のオファーを得る”が達成されたのであった。 「そうさ、またやらないと、だよ!」企画疲れも吹っ飛んだ。 ピーターがミーティングの席に戻る。テーブルにはPublikaの企画ミーティングには珍しくカフェ・ラッテがオーダーされていた。


(№93. ロックフェスを撃て おわり)


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