№90. 子育て卒業イギリス旅行記(8)<最終回>


旅は楽しくても疲れる。 まして時差や気温差があれば尚のことだ。 50歳半ばの私が、私の長女のように、インドや中南米を数週間も一人旅したら、どんなに疲れてしまうだろうか。 20年以上も前のことだが、飲み友達同士で2グループに別れてニューヨークに行ったことがあった。 第1班は1週間早く東京を発ち、ロサンゼルスで遊んでからニューヨークに入り、私の所属する第2班は直接現地入りで合流し5泊7日の予定だ。 直接現地入り組の出発の当日、東京は記録的な大雪で交通機関が乱れに乱れ、結局、成田に到着したときは既に飛行機は飛び去ったあとであった。 1月末の閑散期もあったので、交渉の末、24時間遅れで現地に辿り着けたのだが、初ニューヨークで元気いっぱいな我々と違い、 ロサンゼルス経由組がかなり疲れた様子で、観光にも身が入らぬようであった。 実際、自分も一週間後にはクタクタで「これ以上長い旅はもたんな、体調が良好で楽しい旅は7日が限界だ」と、30歳代半ばにして達観してしまったのだ。 それ以降「旅は1都市限定で一週間以内、複数の地域へ行く場合は2回に分けて行く」を原則と心に決めていた。 しかし、今回は、その原則を曲げて、風邪薬を飲みながらの長旅を続けていたので、ホテルの朝食も億劫でパスするほど疲労度もかなり高くなってきている。 おまけに帰国日前の2日間は、典型的な観光地を「せっかくロンドンに来たのだから、とりあえず観てまわる」的”おのぼりさん”ツアーだ。 相当、集中力、観察力が鈍ったなかでの観光地巡りなのだ。 我々夫婦は、初のロンドンなので、それはそれで価値はあるのだが、ガイドブックとWikiをコピペしたようなものを書いても意味は無いので、 サラリと純粋観光2daysの上辺を撫でてみよう。


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[8日目(2013.7.3)]
10:00過ぎ、3人とも疲れでホテルの朝食をパスしたため、外に出たあと近くのCafeで、クロワッサン、パンケーキ、スモール・イングリッシュ・ブレックファーストの朝食をとる。 Gloucester Road駅から地下鉄に乗りGreen Park駅まで行き、新宿御苑のようなグリーンパークを歩き、本日のハイライトのひとつバッキンガム宮殿へ向かう。 宮殿は外から眺めるしかないので、マラカニアン宮殿にマルコスを追い詰める群衆のように観光客が取り巻いている。 黒山の人だかりのなか、馬に乗った武装警備員に追い立てられながら、衛兵交替式を見物した。 が、しかし、あまりの混雑に、写真撮影に夢中だった妻が迷子なってしまう。 もし、携帯電話がない時代であれば、このあとは終日「迷子探し」となるところだったが、文明の利器に心から感謝したい。 バッキンガム宮殿からは、徒歩で時計台ビッグベンの方角を目指し、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)、ウェストミンスター宮殿(Palace of Westminster)を眺める。 宮殿は議会や保安局が入っているとのこと、観光名所というよりは現役の建物なのだ。 ビッグベンを見上げながら、ウェストミンスター橋(Westminster Bridge)橋わたり、対岸のパブで休憩しビールを一杯飲む。 巨大観覧車のロンドン・アイ(The London Eye)を横目に通り越し、テムズ川沿いの広場で大道芸を見物したあと、哀愁のあるウォータールー橋(Waterloo Bridge)を渡り再び川の北側へ入る。 ドラッグストアーでノド用のドロップを買い、建物も催し物も興味津々だったサマセット・ハウス(Somerset House)を素通りし、Fleet Streetを有名パブを探して歩く。 妻一押しのディケンズが通ったという「Ye Olde Cheshire Cheese」というパブで、薄いビールを飲みながら、読んだこともない文豪に想いを馳せたあと、 近くのセント・ポール大聖堂(St Paul's Cathedral)に向かう。 ここはスケルトンだけのマラッカのセントポール教会礼拝堂史跡とは違い、文字通り「大聖堂」であった。


スノビッシュな印象のロンドン中心部から、カウンターカルチャーを求めて、St. Paul駅で地下鉄に乗り、Holbone駅経由でキングス・ロード(Kings Road)のあるSouth Kensington駅で降りる。 キングス・ロードといえばオアシス(Oasis)のアルバムジャケット写真で有名だが、その撮影地は分からなかった。 そして、そこは、期待していた反体制的なイメージのストリートではなく、ロックファンにとって、わざわざ駅から長距離を歩いてくるほどの価値があるとは思えない普通の街であった。 キングス・ロードから地下鉄の駅に歩いて戻るとすると、ホテルへ道のりの2/3にもなるので、タクシーに乗り、地下鉄Gloucester Road駅付近に戻った。 駅横のアーケードにあるスーパーマーケットで、生ハム、チーズ、ワイン、パン、スイーツ、ポテチ、ノド用キャンデー、そして、ダラム以来お気に入りのスコッチFamous Grousを買いホテルに戻った。 PM5:00、チト早いが昼食抜きだったので、スーパーで買って来たもので晩餐会だ。 体調不良の私は、そのままベッド直行でYoutubeを観てグダグダしていたが「行ってみたい所がある」と、妻は一人でどこかに出かけ、末娘は疲れて寝てしまった。 夜、妻がエール(ビール)を抱えて帰って来たので、また飲んでしまった。 午前中から夜まで、水代わりにビールを飲んでいては、風邪も治らないワケだ。


[9日目(2013.7.4)]
風邪の状態は一向に改善しないが無理やり起きる。 ホテルのレストランでコンチネンタル・ブレックファーストをとったあと、最後の観光日の行動開始だ。 まずは薬局へ寄り、風邪薬他を購入。 ホテル近くのGloucester Road駅から地下鉄に乗り、Embankment駅を経由して、Charing Cross駅で降りトラファルガー広場に出る。 ここは、沢木耕太郎というより猿岩石の貧乏旅のゴールで有名だ。 巨大なライオンのブロンズ像に乗り写真を撮ってる人達がいたが、あれは許される行為なのだろうかちょっと疑問だ。 広場に隣接するナショナル・ギャラリー(National Gallery)では、かなりの時間を割いて美術鑑賞をした。 上野の森でも、MoMAでも感じたが、こういう所に来ると 「全部鑑賞するのは、時間的にも体力的にも無理。観光の一部ではなくて、この街で暮らして、ちょくちょく観に来たい」と思うのだ。 とにかく、そのボリュームが半端でないので、個々の印象が薄くなってしまいがちだが、早逝したスーラの点描画「アニエールの水浴」は未だに記憶に残っている。 高尚な美術鑑賞のあとは、昨日に引き続き「妻一押しの店」を探して彷徨うかと思いきや、お目当ての「The Sherlock Holmes Public House & Restaurant」はトラファルガー広場の近くだった。 店名で分かる通りシャーロック・ホームズを「ウリ」にしたパブ&レストランだ。 2階のレストランに上ったが、シャーロック・ホームズ(等身大の人形)の書斎のような部屋がドーンとあり、観光客に人気のスポットらしい。 その日の私のメモには「ホームズパブにて、Ale、Meat Loaf、Steak、Mushroom Pie Vegetarian、Yorkshire Pudding、Chocolate Pudding Custard、愛想無し、オノボリさん多数」 と書いてある。料理の味は別として、個人的には前々日に行ったパブ「Shakespeare’s Head」と同じ匂い(観光地臭)のする店だった。


昼食のあとは、煤けた赤のダブルデッカーに乗り、女王陛下の宮殿にして要塞、ロンドン塔(Tower of London)付近に来た。 ロンドン塔を右手に見ながら、開閉することで有名なタワー・ブリッジ(Tower Bridge)でテムズ川を渡る。 対岸、シティーホールを左手に、テムズ川に浮かぶ巡洋艦ベルファスト記念艦を右手に、川沿いをロンドン橋(London Bridge)方面へ歩く。 途中、タワー・ブリッジが開き、大きな船が下を通過するのを見ることができたのはラッキーだった。 このまま、童謡でおなじみのロンドン橋を見学すると思いきや、次の「妻一押しの店」の店があるという。 末娘がダラムから面接を受けに来たというErnst & Youngのオフィスを越え、テムズ川と反対の方向に10分弱歩き、大通りから小さな路地を左に曲がった所にその店があった。 ナショナル・トラスト(No.84参照)に登録されているパブ「The George Inn」がそれだ。 入り口から中を覗くと、店内はあまり広くなく、空いている席もなさそうで、外の広場にあるテーブル席もほぼ満席だ。 なんとPM4:30だというのに、沢山のスーツ姿のビジネスパーソン(男女)が、ビールやワインを飲みながら、会話に花を咲かせている。 ここまで来て入店を諦めるのも癪なのと、歩くのもくたびれたので、近くの超高層ザ・シャード(The Shard)を眺めながら待っていた。 しばらく待って店内に入れた。窓際のカウンター席で薄いビールを飲みながら、そろそろ体力的に限界が近いことを自覚するのであった。


体はへばっているが、ロンドン滞在中にロックファンとして、もう一ヶ所だけ訪れなければならぬ場所があった。 そう、言わずと知れたビートルズ(The Beatles)事実上最後のアルバムジャケットで有名なアビイ・ロード(Abbey Road)だ。 裸足で横断歩道を渡るポールの姿に、彼は既に死んでいるのではないかとの憶測を呼んだアノ場所だ。 地下鉄London Bridge駅からSt John's Wood駅まではかなり遠いが最後の我慢だ。 駅を降りると、日本の入社式にでも出席するような、こなれない着こなしのスーツ姿の人達が、皆同じ方向へ歩いて行く。 まさか、コイツラ皆アビイ・ロードに行くのではないかと危惧したが、途中で皆別の別の方角へ向きを変えたので一安心だ。 駅から10分くらい歩いただろうか、例の横断歩道はあった。 「あった」と言っても、自分で見つけたわけではない。 何組もの若い学生グループが、その横断歩道でアルバムジャケの真似をして写真を撮っていたからすぐに分かっただけだ。 この子達はビートルズを意識して聴いたことがあるのか疑問だが、横断歩道に比べてすぐ傍のアビーロード・スタジオの方は、ひっそり静かであったのが、何をかいわんやである。 アビイ・ロード見学を終えて「これで終わった感」か、単なる疲労からか、もうこれ以上歩く気がしなくなっていた。 末娘に無理を言って(マレーシアと比較して、イギリスのタクシー代はかなり高い)タクシーでホテルまで帰ることにした。 タクシーはハイドパークを縦断する。 そういえば、ハイドパークで「ブライアン・ジョーンズ追悼コンサート」があったのが44年前の明日で、 そのブライアン・ジョーンズが死んだのが44年前の昨日だった。


ホテルに戻りベットに直行し、チビリチビリとFamous Grousで暖をとる。 妻と末娘は外に買い出しに出かける。 女同士、母娘水入らずで、少しでも長く、最後の夜を過ごしたいのだろう。 久しぶりにE-Mailを開くと、今まで決定が延ばし延ばしになっていた、日本の顧客からの大口案件の発注がやっと出たと来ていた(これで暫く生きて行けるぜ!)。 しばらくして妻と末娘が戻って来た。 末娘に「和食屋でたらふく寿司を食べさせる」ことが出来なかったことへの、せめてもの代償か、チェーン店の寿司を沢山買って来ていた。


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[10日目(2013.7.5)最終日]
とうとう末娘とのお別れの日が来てしまった。 今日は朝から空港へ移動し、クアラルンプール行きの飛行機に乗るだけの予定だ。 末娘は、このあと、カンタベリー経由で北欧スエーデンに行ってしまうので、次に会えるのはいつか分からない。 朝7:00頃に起き、出発準備に忙しい二人を部屋に残し、独りでブッフェに行き、安っぽいコンチネンタル・ブレックファーストの朝食をとった。 独りで部屋を出て来たのは、残された時間を惜しむ母娘の会話を、私の下手のジョークで邪魔したくなっかたからでもある。 AM8:30には3日間お世話になったMontana Hotelをチェックアウトする。 チェックアウトの際、ここを定宿としているらしき長身(かなり大きい)のテニスプレーヤーが出掛けるところで、フロントのインド人達が 「頑張ってこいよ!」と声援を送っていた。 あとで考えたらあの人は、ウィンブルドン選手権に出場中のマリーだったのかも知れないが、あまり詳しくないないので謎だ。 地下鉄ピカデリー線でヒースロー空港に向かう。 今回はLondon Undergroundにも随分お世話になった。 心なしか、車窓に映る外の景色は寂し気だ。 空港でマレーシア航空のチェックインを終え、カフェで軽くお茶したあと、感傷的になるのが嫌で「それじゃ元気で!」とあっさり出国検査のゲートに向かった。 厳しい検査のあと、口数も少なくロビーで出発便を待っているとき、末娘から「あのあと、ちょっと泣いた」とSMSが入り、胸が詰まった。


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約30年間で子育て完了。 妻と比べ自分は大したことしてないので「よく頑張ったね、エライ!」とか言われると、心の底から恐縮してしまうのだが、教育費捻出だけは「実によく頑張った!」と自分でも思う。 家や車や服で見栄を張る趣味はないし、ギャンブルも「カネと時間の無駄」と切って捨てているのが良かったのか。 まあ、最後の最後で「カネが足りん」と挫けそうになったときは、兄妹、姉妹の支援でなんとか乗り切れた。 世間で言う「反抗期」の年頃は、マレーシアのインターナショナルスクールで過ごしたせいか、日本の典型的な「親嫌い」子供にはならなかった。 そもそも、私自身に「おまえは、こういう生き方をしなさい!」と説教を言える器量も無いので、親を心配しこそすれ、反抗のしようもなかったのかも知れない。 しかし、ただ施し、与えるだけの対象だった子供達に、旅行に招待され、案内され、健康の心配までされるようになった。 そういう世代だと言われればそれまでだが、嬉しくもあり、寂しくもある。


我々夫婦には未だ孫は居ない。 子供達自身も「まだまだ、自分の好きな生き方で暮らして行きたいので、子供を持つことは考えられない」と思っている筈だ。 それはそれで良い。 ただ、誤解しているとマズイので言っておくが「子供が自分の人生の邪魔をする」というのは間違いで「子供が自分の人生を豊にする」が正しい。 噓だと思ったら自分の両親を見てみなさい。 こんなに幸せなのは、君たち3人のおかげなんだから。 ありがとう、父より。


(№90. 子育て卒業イギリス旅行記(8) <最終回>おわり)


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