№89. 子育て卒業イギリス旅行記(7)


[7日目(2013.7.2)]
今日は湖水地方からロンドンへの移動日だ。 マイナス40度とかになる、長女の住むカナダとは、比べものにならないが、風邪気味の半分マレーシアンには、湖水地方の気温は寒過ぎる。 早くもう少し「熱(活気)」のある都会に戻りたいという気持ちで急いたか、早朝に目覚めてしまった。 昨夜サボった日記メモを打ち込もうとMacBookを開くと、我社のシニア・マネージャーから、Singaporeの同業者の仕事がまだトラブっているとのE-Mailが来ていた。 同業者からは、ほぼ丸投げ状態であったので、早く完成させて結果を最終顧客にぶつけないと危険だと感じ、早々に完成させたシステムを納品させた。 しかし同業者で納期寸前まで寝かせてしまっていたので、今になって最終顧客で爆発しているとのことだ。 もちろん、結果が最終顧客の意図したものと違うので、こちら側に否が無いとは言わないが、どうも仕事の進め方がしっくり来ない。 風邪気味の頭に、トラブル連絡メールが不快だし、ITの仕事に間もなく54歳にもなる私が、いつまでも私が口を出していたらキリがないので 「主張すべきことは主張し、不具合があれば真摯に対処セヨ!」と突き放してしまった。


朝食は、せっかく今はイングランド北部のカンブリア地方にいるのだからと、飽きもせず昨日と同じフル・イングリッシュ・ブレックファーストをオーダーした。 旅の数ヶ月後には、きっと、旅の思い出と供に食べたくなるであろう、とぐろ巻きカンブリア・ソーセージも塩っぱいベーコンも、充分美味しいとは思うが 流石に連日では飽きる。 そろそろ、ロティ・テロ、ナシ・レマ、そしてミーフンなどの、マレーシアでの私の休日朝食メニューが恋しい。


AM10:30、2日間お世話になったTower Bank Armsをチェックアウトし、すぐ近くのバス停まで歩く。 相変わらず空はどんより寒空と、陸には羊、羊、羊だ。 もし気温がポカポカ陽気であれば、外のテーブルで紅茶でも飲みながら、「ツバメ号とアマゾン号」の原書でも、英語の勉強がてらに 紐解いてみたいとでも思うのだろうが、この寒さではTower Bank Armsの暖炉の前でウイスキーでもチビリチビリやりながら、熱いハードボイルドでも読んでいたい気分だ。夏だというのに、つくづくイギリスの天候が恨めしい。 暫くすると、昨夜一緒に食事したH.Mさんが、同じバスで対岸のホテルへ移動するので合流してきた。 どうやら近場のホテルをハシゴして、湖水地方を満喫するらしい。


待つこと数分、バスと言うよりは、大きめのハイエースバンに、手摺をつけたような車が到着し、我々を湖岸まで運んでくれる。 ここから対岸のボウネス・ピア(Bowness Pier)まではフェリーで2日前に来たルートを戻る。 船は、操舵室の上に”The Cross Lakes Experience”の看板をつけた小さなフェリーだ。 湖畔に停泊したヨットや、鴨の群れを眺めながら、ウィンダミア湖を横断する。 到着したボウネス・ピアで、すぐ傍の湖畔のホテルへ向かうH.Mさんとは、記念写真を撮った後お別れをした。 ウィンダミア駅へ向かう大型バスを待つ間「神を信じなさい」と、脚立に乗り聖書を片手に説教する伝道師を、英語の勉強のつもりで聴いていたが、 一神教の独善と矛盾が鼻についたので、この旅で大分イギリス英語のリスニング力がついたのかも知れない。


ボウネス・ピアからウィンダミア駅へ向かう途中の街並は、普通の観光地のように土産物屋なども多く、今回泊まったニアーソーリーの方がダントツに趣があった。 今朝起きたときは「早く都会へ戻りたい」などと思っていたが、やはり、市井の人々の生活感のない所謂観光地はまったく面白くない。 ウィンダミア駅では、電車を待つ間、隣接するスーパーマーケットで、小一時間ほどコーヒー&インターネットブレイクのあと、駅のプラットフォームに移動した。 時刻は13時近くだが、かなり肌寒い。 しかし、ここからは、Windermere駅発、Preston Lancas駅経由でLondon Euston駅と電車の旅なので、もう田舎の寒さは気にしなくて良い。 車中では、ひたすら風邪で病んだ体と脳みそを休めることに専念して、ボケッとしていた。


16:20分頃、電車はLondon Euston駅に到着。 Tube(ロンドンの地下鉄)に乗り、Geen Park経由でホテルのあるGloucaster Road駅まで行く。 チェックインしたのは、地下鉄Gloucaster Road駅から5分くらい歩いたところにある「Montana Hotel」という超高級とは言えないホテルだった。 ここはインド人経営なのか、従業員にもインド系と思しき人達がやたらと多い。 マレーシアにもインド系が多く慣れているので、白人の存在が幅を利かせているロンドンでも、ここは人種的なコンプレックスを感じず、なんとなく落ち着く。 通された部屋は、ストリート沿いの半地下で、面積は充分広いが、窓のカーテンを明けると、Sonny ClarkのCool Struttin'の紙ジャケのように、通りを行き来する人の足が見える。 ホテルの部屋に備え付けのポットで紅茶を沸かし、一息入れたあとは、旅の初日に引き続き、旅計画絶対神(通称「ガイドブッカー」)の妻の下僕となってロンドン観光の再開だ。


19:00前、Tube(地下鉄)の駅のもぐると、どこからともなく、熱い生演奏のBe-Bop(Jazz)が聴こえてきた。 ロンドンのバスカー(Busker)初体験だ。 駅のプラットフォームでの演奏とはいえ、オーディションでふるいにかけられているだけあって、レベルはかなり高い。 出来れば一曲くらいは丸々じっくりと聴いていたいが、絶対神の下僕にそれを主張する権利はなく電車に乗り込んだ。 Gloucaster Road駅からPicadelly Circus駅を経由してOxford Circus駅で降りる。 なんだか、ロンドンにはやたらと、サーカス(Circus)をやっているところが多いのかと思ったが、あとで調べてみたら、サーカス(Circus)とは「通りの合流点における円形の空き地」らしい。 駅の階段を昇り地上へ出ると、薬物付けのようなホームレス風の若い黒人が物乞いをしていた。 風邪と湖水地方の田園風景で、少々ボケ気味の頭に「ここは世界有数の大都市なんだぜ、油断するなよ!」と教えてくれる。 妻のガイドで、Oxford StreetをTottenham Court Road駅方面に向かうと、左手に100 CLUBというライブハウスの小さな看板が見えた。 100 CLUBといえば、Sex Pistols, The Clash, The Stranglers,The Damnedといった、パンクロックの第一期生達が暴れてた頃が有名なので、 高円寺のライブハウス「20000V」のように、店の前では、モヒカン、革ジャン、チェーンじゃらじゃら系の兄ちゃん達が大量にたむろしているかと思いきや、 通りの反対側から見た限りでは、店を開けてるんだか、閉めているんだか、よく分からなかった。 The Rolling StonesのRon Woodが店の救済ライブをやるぐらいだから、もうあまり流行ってないのかもしれない。 余談だが、高円寺の「20000V」は、火災(2009年11月22日朝)で4人が亡くなった「石狩亭」の階下にあった。 この前々日に、たまたま、東京出張でこの近辺を酔ってフラフラしていたので、「高円寺ビル火災で4人死亡」のニュースはかなりビックリだった。 更に余談だが、この焼けた「石狩亭」こそが、妻との結婚のキッカケとなった「思い出の場所」だったので更に衝撃だった。話がそれた。


細いストリートに入り、くねくね歩き回ると、夕刻ということもあり、どこのパブも賑わっている。 面白いことに、店内のテーブルで飲んでいる人よりも、店の外で立ち飲みしている人の方が多いくらいだ。 外気はかなり寒いと思うのだが、パイントのビール片手に話に花を咲かせている人達を見ると「おお、これがロンドンの飲み方か!」と、早速真似をしたくなった。 因みに、私は旅先では、無性に現地のやり方を真似したくなる人間なのだ。 ハノイでは、道端で銭湯の腰掛けのような椅子に座りサトウキビの絞り汁を飲み。 香港では、テーブルいっぱいにエビの殻を散らかし、テーブルクロスに文字を書く。 最近では、日本の蕎麦屋で、ざるそばを音を立てて食べるのも、何故かとても嬉しい。 ここはひとつ、ロンドン流にパブの外で凍えながらエールでも、と心の中で思ったが、 完全事前調査済みの妻は、今夜は「Eat Tokyo」なる地元で評判の日本食屋で、末娘に久しぶりに寿司や刺身を堪能させるという。 末娘に”も”たいした仕送りはしていなかったので、海外ではとても高価な寿司や刺身などとは縁遠い生活をしていた筈。 そんな末娘にたらふく日本料理を食べさせる。 妻にとっては、この予定は動かし難いであろうことを察知して、早々に現地流の真似は断念だ。


どこをどう歩いたかは分からぬが、有名なCarnaby Streetまで来た。 そういえば、昔、GS(グループサウンズ)全盛期に「好きさ 好きさ 好きさ」と歌っていたアイ高野のバンド名は「ザ・カーナビーツ」だった。 モッズやサイケデリックなファッション発祥の地らしく、一癖ありそうなブティックが並ぶ。 音楽は好きだが、ファッションにはあまり感心が無いので「来た」という証拠写真を撮り、通りを抜けた。 2階の窓からシェイクスピアの頭部が通りを睨む、シェイクスピアズ・ヘッド(Shakespeare’s Head)なるパブがちょっと気になったが先を急ぐ。


Googleストリートビューで完全予習済みの妻のガイドで、有名なクラブであるロニー・スコッツ(Ronnie Scott’s)の前まで来た。 末娘は友人の家族に連れられて、一度だけライブを観たことがあるとのこと、ロックファンにはJeff BeckのDVDでおなじみのクラブだ。 今夜の出演は「Spok Frevo Orquestra」というバンドらしいが、神の啓示では、ここは場所を確認するだけの通過点なので、どんなバンドかも深く追求しなかった。 周りに居た日本人観光客も、我々同様、店の写真だけ撮り移動していく人が多いので、正面のモーツアルトの下宿先と同様、既に観光地化しているようだ。 音楽にこだわりを持つ私は、あとで出演していたSpok Frevo Orquestraを調べてみたが、ビッグバンド・ジャズを演奏するブラジル人Sax奏者が中心の超ゴキゲン凄腕軍団だったのが悔しい。 まあ、バンドのことを知っていたとしても、妻の予定を曲げて「ここでライブ観ながら食事しよう」なんて言えないから、知らなくてよかったのかも知れない(とにかくCoolです、Youtubeで確認してください!)。


ぶらぶら歩いてチャイナタウンまで来る。 中華街の門の前に、Rasa Sayangなるマレーシア・シンガポール料理屋を発見して喜んでいると、神が、いや妻が「近くにLed Zeppelinが初めてリハーサルをやった店がある」という。 記念碑でも立っているのかと行ってみると、そこはなんの変哲もない中華料理店だった。 そういやJimmy Pageの片親が中国系だった。 ここでリハをやった時代でも、それなりに名前は売れていただろうが、数年後にプライベート・ジェットで世界をまわるほど大ブレイクするとは、メンバー達も想像出来なかった筈だ。 しかし、商売上手な筈のこの店の中国人達が、なぜ、このことをウリにして儲けようとしないのかとても不思議だ。 「【倫敦齊柏林飛船飯店】1968年、ここでLed Zeppelinが初めてリハーサルをしました」なんて、ガイドブックにでも出せば、世界中の引退世代を集めることができるのではないか。 ロンドンに来たら、毎晩ここに飯を食いに通うであろうZep信者のドラマーを、少なくとも一人私は知っている。


チャイナタウンの中国色が、完全になくなったあたりの細いストリートに、妻のお目当ての日本食屋「Eat Tokyo」はあった。 勝手に予想していた割烹のような店構えとは違い、写真付きのメニューなどが外に貼り出してある、マレーシアの「なんちゃって日本食屋」のような小さな店だった。 既に店内は満席のようで、外には現地在住の日本人などが数人並んでいる。 おそらく地元では人気の店なのだろう。 が、私としては、せっかくロンドンまで来ておいて、寒い中、並んでまで日本食は食いたくない。 ここに来て、風邪気味の体調と、歩き疲れと、空腹で「とにかく、外で長い時間待つのだけは勘弁して欲しい(怒)」と、 初めて妻の詔に逆らい、Piccadilly Circusを観光がてら、他のレストランを探しに歩くことにした。 妻は不満そうだったが、計画に縛られて辛い旅をしていては本末転倒、海兵隊ではないが「臨機応変」が大切だ。


Piccadilly Circus周辺では、中東系の人が自転車を漕ぐトライショーのような乗り物もあったが、慣れない通貨(ポンド)でぼったくられるのも癪なので、とにかく歩いて、落ち着けるところを探した。 「近くデパートの中に有名な日本料理店がある」という神のお告げを生返事でスルーし、気軽に入れるチャイナタウンに戻りたいな、などと内心思いつつブラブラするも、結局気分にマッチした店が見付からない。 計画の破綻とメドが立たぬイライラで、次第に夫婦間の雰囲気が刺々しくなってくる。 長女の「絶対に喧嘩するな!」との指令を反芻しつつ歩いていたら、アポロシアターのあたりで、末娘が「もう椅子に座って休めれば何処でもいいよ」と言うので、結局「Bella Italia」だったか、何処にでもあるチェーン店のイタメシ屋に入ることにした。 イギリスで暮らしていた末娘にとっては、デニーズ並みにありふれた店かもしれないが、我々夫婦にとっては初めてのところなので、実のところまったく問題無しだ。 腹がふくれりゃ文句は出ない、ピザ、パスタ、ビール、ワインでやっと人心地がついて、心の余裕を取り戻す神と下僕であった。


イタメシ屋を出て地下鉄の駅に向かう途中に、Carnaby Streetで気になったパブShakespeare’s Headに入ってみた。 我々夫婦御用達である瓶のギネス・スタウトは無いようなので、ドラフトを飲んだが、これがかなり薄い。。。 店内はそれなりに凝ってはいるようだが、なんだか遊園地の作り物のような印象で、湖水地方のパブのような年輪を感じることができない。 幸い満腹であったので、食べ物はオーダーしなかったが、あとでネットでみたら「冷凍食品だった」、「観光地価格なのか高くて不味い」、 「イギリスは調味料不足で味付けが出来ないのか?」等々、酷評カキコミだらけの散々な店であった。 やはり観光地なんてこんなもんだ。


帰りの地下鉄駅では、かなり遅い時間であったが、長髪を後ろで束ねた人の良さそうな白人のバスカーが、独りでジョー・サトリアーニ(Joe Satriani)のような早弾きでIbaneez (エレキギター)を弾いていた。 私がポケットにいつも入っているピックを見せ「俺もギタリストなんだぜ」と言ったら、地下鉄のサトリアーニはニヤリと笑って「どうだ!」とばかりに、更に高速で弾くのであった。


次回へとつづく。


(№89. 子育て卒業イギリス旅行記(7) おわり)


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