№82. 子育て卒業イギリス旅行記(4)


[4日目(2013.6.29)]
今回の旅のメインイベントであった、末娘の卒業式も昨日無事に終わり、今日から一週間は観光三昧だ。 思えば、こんなに仕事を離れて過ごすのは数十年ぶりかもしれない。 以前は、納入したシステムのサポートなどを自分でもやっていたため、長期間仕事を離れることは難しかったが、 今では若い世代だけで実務がまわるようになったので、こんな旅にも出られるワケで、彼らの成長に只々感謝だ。 末娘は、3年間暮らしたダラムを明日離れて両親と観光したあと、イギリス国内のカンタベリーというところで、 二週間英語の先生のアルバイトをし、その後スエーデンに移住することになっている。 北欧はチト遠いので、次にいつ会えるかわからないので、たんまりと親孝行してもらおう(笑)。


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狂ったままの体内時計のせいか、はたまた単なる老化現象か、この日も早朝五時前に目覚めてしまった。 前日負傷した右足の小指はあまり痛くなく、ほぼ回復していた。 本格的な観光を前に、妻に、デジカメの充電を促すが、充電済みのマークが出ているから不要だとのこと。 「デジカメのインジケーターなどイイカゲンなのでフルに充電しておく方が良い」と主張するも、「まだ大丈夫」とそっけない。 そんなやりとりの後、朝食は一昨日スーパーTESCOで買ったマフィンと紅茶ですませ、AM7:30頃、肌寒いが少し歩こうと、ダラムの街に散歩に出た。 街を鷲鼻の形に蛇行すウィア川(River Wear)を二度渡り、中央広場(Market Place)に来たが、露店は未だ準備中でだった。 この教会の前の小さい広場付近が、商業的には中心地らしく、休日には移動式のメリーゴーランドや、各種出店、そして、なんとマレーシア料理の屋台まで出て観光客で賑わうようだ。 広場に面した「Durham Indoor Market」も未だ準備中で中には入れなそうだったので、朝のウオーキングがてらブラブラとストリートを歩き回った。


話は脱線するが、外国を旅していると、街中でトイレに困ることが多々あると思う。 セキュリティ上、ニューヨークなどは、外部の人が利用出来るトイレも少ないからと、昔、私が買ったガイドブックにトイレマップが出ていたりして、日本との違いに戸惑った記憶がある。 私も、バンコクのカオサン通りで、連日のタイ料理にやられた下腹をかかえて、公衆トイレを探し回った挙げ句、もう、見たくもないタイ料理のレストランに客のフリをして入って用を足したり、 二日酔いで、胃酸が逆流寸前状態で見付けた、香港島のマクドナルドのトイレが天国に見えたりした経験がある。 そこまでの「緊急事態」は別として、何処へ言っても、明るいうちから普通にビールを飲み、街中を歩き回る観光客としては、 大きなホテルがある観光地であれば、あまり問題にはならないが、ダラムのようなこじんまりした街だと、街のトイレマップを把握しておく必要があるのだ。 今回、末娘が教えてくれた、場所は中央広場近くの、「Gala Theatre and Cinema」という映画館だ。 公共スペースがありトイレも清潔だ。そして、何故か、世界遺産の街には似合わないが、T-REXのマークボランの映画をやっていたりするのが、イギリスらしくて嬉しい。 そしてもう一つ、私が個人的にマイトイレマップに加えたのが、「Prince Bishops」というメイン商店街の奥にある「Bhs」という小さなショッピングモールだ。 この二つで、ダラムの街中散策用トイレマップは充分かもしれない。まあ、ダラム観光は今日で終わりなので、あまり意味は無いのだけども。。。


そのマイトイレのひとつである「Gala Theatre and Cinema」と、図書館らしき建物の間のオープンスペースに、ちょっと変わったオブジェがある。 等身大の5-6人の人間が棺桶のようなものをかついで移動している、ホラー映画を想像してしまうような現代彫刻である。 意味も分からず、夫婦で記念写真を撮っていると、突然近づいてきた労務者風の中年男が、「図書館はもう開いているか?」と話かけてきた。 「我々は旅行者なのでよく知らないが、未だ開いてなさそうだね」と答えると、「ところで、これはなんの像か知っているか?」と、最初からそれが目的だったのか、問いかけて来た。 ちょっと胡散臭い風体なので、あまり関わらないほうが良いかと思いつつも、「知らない」と答えると、我が意を得たりとばかりに話はじめた。 土地っ子だという労務者風オヤジの、問わず語りの説明によると、こうだ。


「この棺の中は、聖カスバート(Saint Cuthbert )の亡骸だ。 彼は、元々はリンディスファーンという所の修道僧だった。 死後は遺言どおりリンディスファーンに埋められたが、死後11年もたった後、骨を取り出そうと掘り返すと、遺体は腐敗しておらず修道僧たちを驚かせたんだ。 そして、その後、カスバートは聖者に列せられることになった。 リンディスファーンという所は、バイキングの侵略で危機にさらされたので、修道僧たちは聖カスバートの亡骸を守るためリンディスファーンを離れることにした。 この像は、そのときの様子だな。 流転の末、カスバートの亡骸はここダラムに来たが、当地で棺がどうやっても動かせなくなった。 修道僧たちは、これは、ここに教会をつくれとの”お告げ”と解釈し、ダラムの大聖堂がつくられたのだ」 即席観光ガイドと化した地元オヤジは、説明が終わると、自分自身の説明に納得したように 「ところで、ダラム大聖堂は、もう観たのか?ダラム大聖堂見学はMustだぞ!」と言い残して、現れた時とは逆の方角に去って行った。 言われなくても、大聖堂見学は本日の予定に入っているが、このオヤジが突然何処からともなく現れて、我々にウンチクを語ったのが、何故か偶然とは思えず、 ひょっとしたら、棺の中の聖カスバートが私に何か伝えたくて「必ず会いに来い」と言っているのかもしれない、などと、朝から妄想するのだった。


「腐敗しない遺体」の話を反芻しながら、ウィア川の川縁まで移動すると、ダラム大学の学生達だろうか、ボートの練習をしていた。 肌寒いが、少しは陽も差して来た。 ボケッと人慣れした鴨の群れを眺めていたら、末娘から「AM10:00過ぎにホテルへ行く」とSMSが入った。 ポケットの万歩計を見ると、これから観光で歩き詰めの予定なのに、既に一日の目標の3割以上も歩いてしまっていたので、ホテルに戻り末娘が来る迄休憩することにした。


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約束通りAM10:00過ぎ末娘がホテルに来たので、朝の散歩とは別のルートを通り、再び中央広場へ歩く。 途中、末娘の学友のシンガポール人のReuben君にまたバッタリと遭う。 一昨日から、街を歩く度に末娘の友達によく会う、ここは本当に狭い街なのだ。


本日の観光のメインイベントである、ダラム大聖堂見学の前に、イングリシュ・ブレックファーストなる、イギリスの伝統的な朝食メニューで腹ごしらえだ。 イングリシュ・ブレックファーストとは、目玉焼き、ベーコン、ベイクドビーンズ、焼きトマト、ソーセージ、マッシュルーム、ブラックプディング、そして、トーストに紅茶。 ブラックプディング以外は、取り立てて珍しくもない普通の西洋風朝食だが、皮肉を込めて「イギリス料理で一番美味しい料理」と言われているらしく、 「イギリスで美味しい食事がしたければ、1日に3回朝食を取ればいい」などと、昼食や夕食の「敵失」で棚ぼた的にトップに祭り上げられている料理である。 入った店は、中央広場から少し大聖堂寄りに歩いたところの坂道にある「Cottons Tea Room & Restaurant」というアンティークな店だ。 こじんまりとした古いレンガ造りの壁の店で、「全部入り」メニューであるフル・イングリシュ・ブレックファーストでは量が多過ぎるシニアの為のメニューもあった。 肝心のお味の方だが、朝食としては量が多いことと、ベーコンの塩分が強すぎる以外は、個人的にはマルであった。 Fish & Chips そして 焼きたての Scone と続き、期待度ゼロの勝利で、「普通に旨いじゃん」と思える料理で満足だった。


腹ごしらえの後、川沿いの裏道を通り大聖堂エリアへ入る。 道々写真を撮りまくっていた妻がバツの悪そうな顔をしているので訊いてみると、デジカメの充電が切れたとのこと。 「だから、言わんこっちゃない!」と内心ほくそ笑むも、長女の「絶対ケンカするな」の指令を思い出し、 あまり深く追求せず「デジカメがダメなら携帯で撮れば良い」と聖者の対応をするのであった。


世界遺産であるダラム城と大聖堂(Durham Castle and Cathedral)は同じ敷地内にあるが、ダラム城はなんとダラム大学の学生寮になっていて、一般人はガイド・ツアーがないと入れない。 この日は、ここで暮らす学生の親族の入場は許可されていたが、我々は、入り口付近までしか入ることが出来なかった。 しかし、世界遺産が学生寮というのも不思議な感じであるが、中には学生が利用するバーなどもあるらしい。 そんなダラム城は、最初から見学出来ないことは末娘の事前情報で分かっていたので、広場を隔てた大聖堂へと移動する。


昨日は卒業式の会場として、その一部に訪れた大聖堂だが、今日は改めて観光客として中に入る。 観光客の年齢層は、ハリーポッターの撮影場所目当ての若い観光客もいるが、圧倒的に年配者が多い。 薄暗く地味な城内は、もちろん、その荘厳さは残しつつも、何故か、前日のアカデミックな雰囲気とはとうってかわって、観光地然とした空気が漂っていた。 有料の日本語パンフレットは良いとしても、土産物屋やコーヒーショップ等々、昨日は目に付かずに済んでいた余計なものが、しゃしゃり出て来てしまった感じだ。 どこの観光地でも、施設を維持管理していくための資金が必要なことは分かるが、何故、世界文化遺産という最強のコンテンツを持つココが、 凡百の観光地と同じようなコンセプトで、ロゴの入ったコーヒーカップやペンを売らなきゃならないのか、短絡的な発想がただただ惜しい。。。 人の流れに沿って聖カスバートの墓に辿り着いた。 期待は膨らむ。 しかし、朝、労務者風のオヤジに聞いた話を反芻するも、鈍感な私には聖カスバートを感じることは出来なかった。 まあ、兎にも角にも、私としては、この大聖堂関係者で名前を知っているのは、この聖者のみなので、感謝を込めて祈るしかなかった。 「この3年間、宿敵バイキングの末裔に嫁ぐかもしれないのに、末娘を見守ってくれて居たのはアナタですよね、前川家を代表して感謝します」と。 何も約束はしていなかったが、墓の前に来て、これで労務者風オヤジに借りを返したような、妙なさっぱり感が不思議だった。


中央広場に戻り、朝開店準備中だった「Durham Indoor Market」を覗く。 「市場」と聞くと、私は、東南アジアのウェットマーケットのような「市場」を見てまわるのが大好きなのだが、そこには、 豚や鶏の解体や、積み上げた野菜の山は無く、衣料品やCDを売る店などが集まる、冴えない頃の「秋葉原デパート」のようなところだった。 屋台のようなギターショップが興味を引いた以外は、特に見るものもなく、「Shandy」なる清涼飲料水を買って飲みながら外へ出た。


この時点で結構疲れていたが、せっかくダラムまで来たのだから、親として、末娘が大学入学当初暮らしていた寮(College)を見てみようと言うことになり、 観光地ではないが、Taxiを拾い、Collingwood Collegeへ移動する。 ダラム大学におけるCollegeとは、寮であり、学び舎であり、コミュニティ(College内にはバーなどもあった)だ。 19歳で独り親元を離れ、ここに寄宿し、イギリス生活を始めた、末娘の人生においては記念すべき場所である。 この日は、ちょうど「オープンデイ」と称して、入学予定の学生とその親達が大勢見学に来ていたが、卒業式の翌日に来る親というのも、ちょっと珍しいかも知れない。


Collingwood Collegeから数分歩くと、ボトニックガーデン(Botanic Garden)という有料の植物園がある。 長女が来たときも案内したというので、行ってみることにする。 ここも大学の施設なのか、Durham Universityの学生証を提示すると無料だ。 売店で料金を払い、中に入るとかなり大きなエリアであった。 自然の中を散策するもよし、温室内の珍しい植物や昆虫を鑑賞するもよし、小さな子供連れで来て、ゆったりとした時間を過ごすには良いところだ。 広いので全てを見てまわることは出来ないが、親子3人ブラブラと、とりとめも無い話をしながら緑の中を歩き回った。


朝から動き回っていたので、そろそろ疲れが出て来た、ポケットの万歩計もノルマの2倍に達している。 この分だと、もう外で夕食をとるのも億劫になること必至であった。 気温も寒くなりはじめる時間帯なので、ボトニックガーデンでタクシーを呼び、中央広場近辺で夕食の買い出しをして、ホテルにほど近い末娘のアパートをちょっと覗いてから、ホテルの部屋に帰ることにした。 初日同様スーパーTESCOに入り、数種類のAle(Beerの一種)と、再びスコッチ(Famous Grouse)の小瓶、そして、末娘はなぜか「台所用の洗剤」を買う。 TESCOには、もう食べてみたいものがなかったので、ダラム初日に行った「Bells」のテイクアウト店で、特大のタラのFish and Chipsをオーダーし、向かいのベーカリーでサンドも追加する。 ストリートで大道芸風の笛吹きが演奏するクラシックを聴きながら、Fish and Chipsが出来上がるのを待つ間も、末娘の友達が何人か現れ声をかけて行く。 本当に狭い街なのだ。


買い物を終えて、中央広場付近からホテル近くの末娘のアパートまでは歩いて帰ることにした。 明朝、ダラムを発つので、この街並を歩くのもこれが最後になる。 おそらく、再びこの地に戻ってくることはないと思うので、3年間末娘を育ててくれた感謝を込めてゆっくりと歩いた。 なだらかな坂沿いにある、末娘が数人の友人達とシェアしていたアパートの部屋は小さく狭かった。 そして引っ越し準備は、明朝、我々夫婦と共にダラムを離れるというのに、まだ、明け渡しには程遠い状態であった。 大きな荷物は、既に移住先のスエーデンに送ってあると言うが、割り当ててあったノルマを果たさず、既に帰国してしまったルームメイトなどもいたりして 「立つ鳥跡を濁さず」が基本の日本人が、最後の台所の片付けなどをする羽目になっているようだ。 こういうことは、一事が万事で、育った環境も、考え方も、はたまた常識さえも違う国の学生達との共同生活は、親が想像する以上に色々なトラブルの連続であったようだ。 「今となっては、良い経験と言うしかないけど、もう、常識の違う人種との共同生活は懲り懲り」と末娘は言っていたが、 私としては、そういう、ある意味「理不尽」な経験を、若いうちからさせてくれた異人種達に感謝をしたい気もする。 妻は、引っ越しの準備(と言うか台所の掃除)を手伝って行くと言うが、「疲れているだろうからいい!」と末娘の固辞もあり、ホテルの部屋に戻ることにした。 帰り際に、厚かましくも、頼んでおいた洗濯物をピックアップし、まだ生きていたWifiを使いメールチェックをし、そして、ルームメイトが勝手に「処分してくれ」と置いていってしまった放置品の中から 「マイルス・デイビス」と「ショパン」のCDを失敬してからアパートをあとにした。


ホテル戻り、ビールの栓抜きが無いというトラブルはあったが、買ってきたものを食べて、失敬してきたマイルスを聴きながら19:00頃ウトウトと寝てしまう。 深夜、末娘はアパートの片付けを終え、自分の荷物をホテルの部屋へ移動してきた後、今夜でお別れとなるルームメイトと飲みに出かけた。 色々トラブルも多かった相手で、共同生活も終わり寸前で、鬱積したものが大爆発して大喧嘩をやらかしてしまったらしいが、「終わり良ければ全て良し」はシェイクスピアの戯曲で万国共通の筈だ。 最後の夜ぐらいは「色々あったけど、ありがとう」と、ハッピーエンドになることを、数々の奇跡を起こしたといわれる聖カスバートへの「最後のお祈り」として眠りについた。


次回へとつづく。


(№82. 子育て卒業イギリス旅行記(4) おわり)


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