№81. 子育て卒業イギリス旅行記(3)


[3日目(2013.6.28)]
イギリスは夜まで明るいだけでなく、朝も早い。 その昔「アムステルダムの朝は早い…」という、ネスカフェのCMがあったが、なるほどオランダとは緯度が近い。 まだ時差ぼけが続いているのか、AM4:00に起きてしまったので、紅茶と昨夜のフランス(残)パンを齧りながら、BBCテレビを観る。 イギリスに来て、現地の生の英語のリスニングはほぼ全滅だったが、BBCの英語は程よく耳に入って来るので、少しは自信を取り戻す。 生憎、外は小雨模様、涼しいと言うより寒いくらいだ。

家族3人身支度をととのえて、AM7:00には予約しておいたタクシーで、ダラム大学の卒業式会場である世界遺産のダラム大聖堂 (Durham Cathedral)に向かう。 泊まっているホテルと大聖堂の距離は非常に近いので、タクシーに乗った5分後には、もう目的地に到着してしまった。 しかし、イギリスに来る前から疑問に思っていたが、なんで卒業式の集合時刻がこんなにも早いのだろうか。 末娘の説明によると、ダラム大学では卒業生が多いので、卒業式(Congregation)は、数日間に日を分けて、更に、一日を数回に分割して行われるとのこと。 今回、我々が出席するのは、4日間の最終日の朝イチ。 AM9:00開始だが、参加人数が多いこともあり、そこに至るまでにけっこう時間がかかるので、こんなにも朝早いワケだ。

大聖堂の前の広場には、待合室として、サーカスのような巨大テントが張られていた。 テントの中にはテーブルが並び、軽食コーナーがあり、周りでは記念写真の注文を受けたり、グッズ販売の店などが出ていた。 タクシーで早々に到着してからは、大聖堂をバックに記念撮影などをしていたが、肌寒く、雨も本降りになってきたのでテントの中で待つことにした。 大聖堂内では式の準備が着々と進んでいるのだろうが、こっちはやることがない。 売店で温かいコーヒーでも飲もうかとも思ったが、世界遺産の中でトイレが近くなるのも面倒なのでそれはパスした。 式で卒業生が羽織るローブ(有償のガウン)を申し込んであるので、事務所に取りに行くという末娘について行くと、 列に並んでいた、学友でシンガポール人のリューベン(Reuben)君を紹介された。 サッカープレミアリーグ、ニューカッスル・ユナイテッドのファンが高じて近くのダラムへ留学したとのこと。 さすがにダラムまで来るとアジア人は少なく、大多数は白人で、イスラム教徒などは滅多に見ない。 個人的には、アウェイ感アリアリだったので、初対面の彼、シンガポーリアンであるにもかかわらず、なぜか親戚に再会したような、親近感を抱いてしまった。

テントに戻り、ボケっとプラスチックの椅子に座っていたら、何故だか、ふと仕事のことが心配になってきた。 そういや、ダラムに来てから、ホテルのWifiが割高ということもありE-Mailのチェックをしていなかった。 「こういう時の嫌な予感って当たるんだよな〜」と、思い切ってスマホのデータローミングをオンにしてみた。 「案の定」というか「想定内」というか、シンガポールのお客さんとの間で「至急メール」(それもデカイ添付ファイル付き)が飛び交っていて、うちのマネージャーからは、 「先方の進め方が納得出来ないのでクレームしてよいか?」と、指示を乞うメールが来ていた。 一言「文句言いな!」と返信してデータローミングをオフにすると、CELCOM(マレーシアの移動体通信会社)から、 「只今、データ通信料はRM50(リンギット)を超えています、次のお知らせはRM200を超えた時点で送信いたします」との警告メッセージが来た。 「ナニィ、RM50超と言えば、私の休日の朝飯二週間分ではないか!!」と、予想以上の高額に熱くなりかけたが、テントの外で卒業生の家族達が、雨の中、大聖堂に向かい長い列をつくり出したので我に返った。 今日は娘の卒業式に来てたのだった。。。

式に参加する親族達の大聖堂への列が、あまりにも長いので「雨の中長い時間並びたくないし、もう、列の最後で入場すればいいや」と、暫くテントの出口付近で立って待っていた。 同じように出口付近で待っていた英国紳士が、私を海外から来たことは明白と思ったか「UKは何度目ですか?」と話しかけて来た。 「娘がこの学校に居るのに、実はヨーロッパ自体初めてなんですよ。そして、今住んでいるマレーシアから来たので、この天候とても寒く感じます」と答えた(おお、イギリス英語、聴き取れてるではないか!)。 差し障りのない話題としては、万国共通の天気の話をしたつもりだったが、英国紳士は、自身も辟易していると「英国を代表して、この天気の悪さを謝ります」と、ウインクして雨模様の陰鬱な空を見上げていた。

大聖堂への列も疎らになって来たので、最後尾に加わり、トロトロ牛歩で30分くらい前進して、やっと世界遺産の大聖堂に入った。 しかし、座席は備え付けの木製長椅子ではなく折り畳み椅子で、場所はほぼ最後列であった。 大聖堂の構造上、式の行われる中央ステージは見えず、数メートルおきに配置されたLGの薄型テレビを通して観るしかない。 今回、子供達が、けして安くはないおカネを出し合って、招待してくれたメインイベントがこの目で観ることが出来ず良いのか、 我々夫婦にとっても、子育てを卒業する記念碑的な瞬間が、テレビ中継経由などでで良いのか、と一瞬思うには思ったが、まあ、セレモニーはセレモニーだ。 一日に数回、2-3時間単位で消費されていく定型セレモニーなんかより、子が親を思い招待してくれた事実や、長年積み上げてきた実績の方が価値がある。

卒業式のなかで話されていた英語の聴き取りは、ほぼ全滅状態であったが、式の段取りは大体次のような感じであった。 まず、卒業生はローブ(ガウン)を借りたあと、ダラム大学の寮となっているダラム城 (Durham Castle)に集合し、 2列に並びゾロゾロと大聖堂へ行進する(こんな感じ)。 皆が着席したあと、エライ人達の長い挨拶があり、学部長(多分)が一人一人の名前を読み上げ、壇上に呼ばれた卒業生は、ベルトコンベア式に学長(多分)と握手をし元の席につく。 最後に、また、ちょっとお話があり「これで皆さん卒業ですよ!」みたいな宣言(多分)の後、エライ人達〜卒業生〜親族の順に大聖堂を出て行く。

まあ、終わってみれば「こんなものか」という印象であったが、式中は、荘厳な世界遺産の大聖堂で、アカデミックな衣装を纏った白人達が中心となり進行していく卒業式に、 なぜか自分たち夫婦だけが「場違いではないか」との思いを抱いてしまっていた。 そして、式終了後、大聖堂を出て行くアングロ・サクソン諸国の卒業生達と、それを祝う親族達を見ながら漠然と頭に浮かんだのは「やはり、世界ってヤツは不公平に出来てるんだな」というヒガミにも似た感情であった。 人種、言語、宗教、経済力、教育機会、スタート地点からして違う国々の子供達が「グローバルスタンダード」の名の下、アングロ・サクソン諸国の基準で競争を強いられるのは、どうも納得がいかない。 かといって、ルールや道徳観の違う近隣諸国(C&K)と不毛な言い争いを続けるのもゴメンなので「グローバルスタンダード」も捨て難い。。。 ナニも子供の卒業式で、TPPや領土問題まで持ち出さなくてもよいだろうに、読んでる新聞の影響か、単一民族の学校しか経験がないからか、どうしても、敵か味方かの二者択一を迫るような考え方をしてしまう自分が居る。 もしかすると、目の前の子供(卒業生)達は、全くそういう意識はなく、ただ同じ学校で学んだ友達同士であって、現在も未来も、国籍や国力に関係なく、信頼できる友達同士なのかもしれないのに、である。 そうであれば、ふと良い考えが浮かんだ!。 まったく進まない核軍縮などは、国をまたぐ指導者の人間関係を、長期計画で若いうちから学校で構築し、30年後、その信頼関係で一気に進めてしまえばどうだろうか。。。

そんな妄想をしていたら、大聖堂の中の人は少なくなっていた。 30年後の核軍縮はともかく、まあ、色々あったが30年間弱の子育ても今日で終了だ。 若い頃の子供なので、自分たちも老け込むにはまだチト早過ぎる。 そして、幸いなことに夫婦揃ってまだまだ元気だ。 「子供達の教育はこれで一段落、今度は自分達が学ぼうね」と夫婦で確認しあい、大聖堂を退場する列に割り込んだ。


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無事に卒業式も終わったので、式の為に借りたローブ(ガウン)を返却して街に出ることにした。 因に、多くの卒業生はこのローブを来たまま「本日、私、ダラム大学を卒業しました〜っ!」とばかりに胸を張り、街に繰り出すらしい。 安くはない料金で借りる為、精一杯モトを取りたいという気持ちもわからなくはない。 しかし、親に似て現実的なのか、アンチ権威主義なのか、末娘は「汚してしまうのも怖いし、後で返しに来るのが面倒」と、そそくさと返却してしまった。

街に出ようと歩きかけたとき、日本語で「日本人の方ですか?」と声をかけられ、一瞬、名前を呼ばれたような錯覚に陥り「自分は何処に居たのだっけ?」と、たじろいだ。 声の主はイギリス在住が長い年配の日本人女性だった。 5分程度の立ち話であったが、聞くところによると、お孫さんも卒業らしく、名簿を見ていたら、一人だけ日本人と思しき名前があったので、 おそらく、この人達だと思い声をかけたとのこと。 多分、この人がイギリスに来て初めて会話した日本人だったと思うが、後で考えたら、この数日後の、日本人との邂逅が重なる予兆だったのかも知れない。

雨のなか街を歩き、まずは、末娘や友人達がよく集まったという小さなカフェに案内してもらった。 渋谷のスペイン坂を狭くしたような小径の奥の隠れ家のような所にあるカフェだ。 壁は石造りで、いくつかのテーブルは昔のミシンだった。 とにかく大聖堂で冷えた体を暖めたいと、コーヒーにプラスして温かいスープとパンで、やっと人心地がついた。

次に、末娘が専攻していたヒストリーの「打ち上げワインパーティー」的な集まりが、徒歩圏内のSt Chad's Collegeという場所であるというので顔を出すことにした。 ダラム大学における「カレッジ」の位置づけは、寮+アルファのようなものだが、自分では正確に説明出来ないのでここを読んでくだされ。 会場に行ってみると、あまり広いとは言えない中庭に、150人くらいだろうか、すし詰め状態で皆立ったまま、飲み物を片手に(もちろん)英語で話し込んでいる。 正直に書くが、私たち夫婦は、こういうシチュエーションはとても苦手だ。 相手は容赦なくノーマルスピードの英語でたたみかけてくるし、初対面の相手に適当な話題を探すのもツラい。 そのうえ日本の古典文学の話などふられた日には、赤面モノで、3日間は日本人としてのアイデンティティー喪失状態必至だ。 なので、この場は深入りせず、お世話になったプロフェッサーや、友人達に簡単な挨拶しながら、無料ワインをゲットしたらフェードアウトしようと密かに心に決めていた。

末娘は、いかにも教育者らしい教授達より、ちょっとアウトロー的な自由な言動のプロフェッサーがお気に入りで、可愛がってもらっても居たようだ。 そのプロフェッサーの教室には、偶然にも数少ないアジア系の学生が集まっていたらしく、卒業式の前に紹介された中国系シンガポーリアンのReuben君が話かけてきた。 韓国人のMonaさんも寄って来て、末娘達の話の輪に加わる。 こういうのを見ていると、日中韓、それぞれの間には色々な問題があるが、やはりアジア人同士のシンパシーってやつは確実に存在していると思う。 双方の問題が必要以上にゴタゴタするのは、近しいからこその「近親憎悪」の要素が大きいかも知れない。

13:30、末娘が事前に予約してあったアフタヌーンティーの店に行くために、Reuben君やMonaさんに、記念にミュージシャンの長男のCDをあげて、別れを告げる。 帰り際、気弱そうなイギリス人の卒業生が「こんな天気でスミマセン」と私に謝るので笑ってしまった(七つの海を支配したイギリス人のコンプレックスは天気だったのか!!)。


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雨の中、傘をさして、途中階段でコケそうになりながらも、徒歩で辿り着いたアフタヌーンティーの店は、単なるレストランではなく、 Crook Hall & Gardensという結婚式も出来るガーデンであった。 メインエントランスからレストランのある小さな古民家風建物(Crook Hall)までは「ガーデニング」という言葉のイメージ通りの庭(Gardens)が続き、建物の小さな扉を開けると、 暖炉の煙が目に染みる、幽霊の出そうなレセプションルームだ(本当に幽霊伝説があるらしい)。 通された部屋の窓からは、ガーデン越しにダラム大聖堂が見える良い席であったが、天気が良ければ、外で本家本元のガーデニング&アフタヌーンティーを楽しめたとのこと (アジアを代表してイギリスの天気に文句を言いたい)。 末娘が予約しておいてくれたのは「Durham University Graduation Sparkling Afternoon Teas」というアフタヌーンティーのセットだ。 ダラム大学の卒業式にあわせたイベントメニューということで、他のテーブルにもローブを羽織ったままの卒業生とその家族が居る。 内容は「憧れの三段スタンド」に、サンドイッチ類数種、スコーン、これでもかの大量スウィーツ、そしてなぜかポテチ。 ちょっと甘いものが多過ぎるかなと感じたが、ダラム生活で贅沢厳禁だった末娘と、憧れの地でのアフタヌーンティーにご満悦の妻、思いは違えどそれぞれ満足のようだった。 私、個人的には「美味しくないもの」として誤解していて、人生で数回しか食べたことのないスコーンが、焼きたてのせいか、意外とイケルのが発見だった。 食事中「今日のスコーンは私が焼きました」と、粉にまみれたエプロン姿で挨拶に来た娘さんに「このスコーンは、私が生涯食べたスコーンのなかでNO.1だ!」と押した太鼓判に嘘はない。


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アフタヌーンティーのあと、幽霊が出るというCrook Hallと外のGardensをじっくり見学し、近くでタクシーを拾いホテルへ戻った。 まだ夕方だが、早朝から活動していたので、もう眠くてフラフラ状態だ。 しかし、仕事も気になっていたので、Famous Grouseをストレートでやりながら、スマホの高価なデータローミングをオンにしてE-Mailのチェックをする。 相変わらず、大量の添付メールが飛び交っていたが、口出しする必要はなさそうだ。 末娘は一旦アパートに戻るというので、引っ越し準備で忙しいとは知りつつ、洗濯モノを預け、昨日Tescoで買って残っていたカマンベールチーズを「これオムレツにすると美味しいよね〜」と渡した。 人使いが荒いとの罰か、スコッチが回ったのか、昼に階段でコケそうになり軽く負傷した右足の小指を、今度はベッドの足に強く打ち付けてしまった。 「明日から歩き回れなくなったらヤバいな」とベッドで横になり、足をさすっているうちに眠ってしまった。


21:00頃、末娘がホテルの部屋へ、カマンベールチーズのオムレツと野菜サラダ持参で戻ってきた。 アパートにある食材の消費も引っ越し整理の一環とのこと。 体は疲れていたが、昨夜に引き続き、ベッドの上で質素に「宴会」だ。 ワインを飲みながら、明日からの旅行の予定を確認する。 時差ぼけと、寒さと、軽く負傷した右足小指が不安材料だが、今日、卒業式というメインイベントが終了したので、あとは、ダラム、湖水地方、ロンドンと観光あるのみだ。

夜も更け「宴会」もお開き、あと二日でお別れなので、今夜はルームメイトと過ごすと、末娘はアパートに戻って行った。 こじんまりとした街だが、夜でも若い女性が一人で歩ける治安の良さと、歴史と自然。 たった2日間の印象だが、ダラムの街もなかなか良いところだと思い始めていた。


次回へとつづく。


(№81. 子育て卒業イギリス旅行記(3) おわり)


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