[2日目(2013.6.27)]
ロンドンの小さなホテル、暗闇の中、鳴る筈のない携帯電話が鳴ったので、年老いた宮崎の両親に、何かあったのかと、慌てて飛び起きた。
時刻はAM4:00(KLではAM11:00)、電話に出てみるとKLの取引銀行からだった。
毎月定例、従業員のSalary Cheque(小切手)の確認電話だ。
「今、時差のあるロンドンにいます。こんなことが無いようにと、事前に発行済みChequeの確認レターを提出した筈なんだけど。。。」と言うと、「Oh, Sorry, Sorry」と電話が切られた。
この手のケアレスミスに、以前は、よく噛みついていたが、何を隠そう、出発前夜、一緒に日本酒をシコタマ飲んだ太田君は、今、この銀行にシステムのデモをするためKLに出張しているのだ。
早朝叩き起こされたぐらいで、お客様筋と険悪な関係になるのもマズイので、大人の対応で我慢×2。
寝直す努力をするも、突然の仕事モードで冴えてしまった頭には無駄だと諦めると、昨夜何も食べてないことを思い出してしまった。
ホテルの朝食には早すぎるので、どうしたものかと思っていたら、食べ物を持っていることを思い出した。
KLの自宅を出発するのが早朝だったので、妻がKLIA(空港)で食べようと持参したが、二日酔い気味で食べられなかった、カレーパフとカヤのパイがあったのだ。
薄暗いホテルの部屋で独り、マレーシアのC級ローカルフードと水だけの朝食だ。
もし、私がツイッターでもやっていたら、
「ロンドンまで来て、俺は何してるんだろうか?」と呟くだろうな、などと考えながら、横のベッドで熟睡する妻を見つめていた。
暇つぶしにインターネットでE-Mailの処理などをしていたら、ホテルの朝食の時間になり、質素なコンチネンタルブレックファーストの、この日二回目の朝メシを食べた。 チェックアウトの時間には未だ早いので、妻と街に出てブラブラとセントパンクラス駅舎やダブルデッカーの写真を撮りまくる。 周りは、通勤時間帯には少し遅いが、やはり先進国らしく、皆、早足で歩いている。 そして、Starbucks、Caffe Nero、COSTAといったカフェでテイクアウト(Take Away)したコーヒーを飲みながら歩いている人がやたらと多い。 中には歩きながら朝飯を食ってる奴も居たりするが、「どこも都会って所は忙しいんだな〜」などと、東京出身のくせして完全にマレーシアン側の発想が基本になっている自分が怖い。 歩いている人種も雑多で、どちらかというと英国人(White)より、私たち夫婦も含めて有色人種の方が多い感じだ。 イスラム教徒や、アフリカ系の黒人も、違和感なく街にフィットしているのは、個人的には安心した。
AM10:00頃、ホテルへ戻り荷物をパックしてからチェックアウトした。 ロビーで、ピクリともせず外を眺めている黒いホテルの飼い犬と、フレンドリーな従業員に別れを告げて、夫婦は徒歩で近くのKing's Cross駅へ向かう。 この駅は、各地方都市への長距離列車が出ているので、日本で言えば上野駅のような存在ではないだろうか。 皆が、自分の乗る列車が出発するプラットホームが告知される電光掲示板を見上げている。 目的のダラム行き11:30発の表示は左端にあるが、未だ何番線かは決まってないようだ。 うしろを見ると、その電光掲示板を確認しながらお茶を飲んだり、食事をしたり出来る、野球場の二階席のようなフードコートがある。 「座って待とう」と上がってみたが、満員で座る席がない。 暫く、ボケッと立って電光掲示板を眺めて待って居たが、飲み食いもせずタダで座っている人が多く、席は空きそうにない。 「このままでは埒が明かない、そして、疲れてしまっては旅が辛い」と理由付けして、フードコートを横断し、また昨夜のハリポタ横のパブに直行し腰をおろした。 どうせ、これから約3時間の電車の旅は、時差ボケ調整も兼ねて、寝て行くつもりであったので、朝からだが、また妻とビールを飲むことにした。 カウンターに行き、ちょっと弱気だが「午前中だけど、ビールをオーダーしていい?」と、オネエサンに訊くと。 「Why not ?」と、やさしい「お墨付き」を頂いたので、オネエサン推奨Fuller's(ここParcel Yard PubはFuller'sの直営店みたいだ)のFrontier Craft Lagerを注文してみた。 朝っぱらで、気温は肌寒く、且つ、飲み慣れないビールなので充実感は薄いが、「ほらほら、ビールを飲む、ちょっと疲れたこの姿が ちょい不良(ワル) っぽくて渋くない?写真撮ってFaceBook載せてよ」と、軽く妻に迫ってみたが、サラリと却下(無視)されてしまった。
ダラム行き11:30発は、ゼロ番線(Platform 0)から出発すると、出発時刻間際に電光掲示板が変わったので、荷物を引きずりながら、急いで車両に移動した。 このイースト・コースト本線 (East Coast Main Line) のエディンバラ(Edinburgh)行きに乗り、途中のダラムまで約3時間の旅だ。 車体は意外と古く垢抜けないが、地方都市への列車の旅にはかえって趣があるかも知れない。 荷物をデッキに置き、チケットの標記を頼りに座席へつくと、背もたれの上に我々の予約を記す紙カードが差されていた。 電車が定刻に出発し、外の街並みを眺めていると、わずかな時間で車窓は牧草地帯変わって行く。 「あれ、イギリスってこんな酪農国だっけか?」と、思わず呟いてしまうほど、窓の外は一面緑色なのだ。 時折、菜の花の黄色やラベンダーの薄紫で華やかにはなるが、基本は曇り空の牧草地に、羊、羊、羊、牛、牛、馬。 数10分前には、パンクロックの聖地ロンドンに居たとは、とても想像出来ない。 個人的なイメージでは、場所は全然違うが「アルプスの少女ハイジ」や「フランダースの犬」の風景だ。 しかし、最初こそ「良い眺めだ」と感動していたが、後半は代わり映えのしない景色に飽きてしまった。 そして、リスニングの勉強にと、車内で交わされている英語の会話に聞き耳を立てるも、まったく聴き取れず、朝のビールの影響もあり、ヨーク(York)駅あたりまでウトウト状態であった。
ヨークを過ぎれば、あと2駅で目的地のダラムだ。 手前のダーリントン(Darlington)の駅を過ぎてから、デッキで荷物を取り出し、降車ドアー越に外を眺めていた。 もうすぐダラム到着とのアナウンスがあるも、相変わらず牧草地が続いているので、 「ウチの娘は、こんな辺鄙なところで3年間も暮らしていたのか?」と、少々心配になって来た。 PM2:20、電車は無事、末娘が迎えに来ているダラムの駅に到着。 「さあ、いよいよ来たぞ!」と、降車口から降りようと思ったが、電車の扉が開かないではないか。 「あれ、このドアー、この駅では開かないのかな?」と、内心焦っていたら、後ろに居た白人のオバさんが、「このOPENボタンにライトがついている間に、PUSHしないとダメなのよ」と、笑いながら教えてくれた。
一瞬慌てたが、兎にも角にも今回のメイン目的地である場所にやって来た(今回は明日の卒業式に参加することが主目的だ)。 ダラム駅はプラットフォームが二つしかなく、駅舎も小さいので、迎えに来ている末娘が手をふっているのは遠くから確認出来た。 1年9ヶ月ぶりの気持ちを抑えながらも早足で近寄る。 妻は「久しぶりね、元気だった?」と、駆け寄り抱擁せんばかりだが、男親はそうは行かない。 「お父さん、お母さん、よく、ここまで来れたね〜」と、安心した様子の末娘は、早速駅前で客待ちのタクシーを手配して、自分のアパート近くに予約しておいてくれたTravelodge Durham Hotelに向かう。 駅からホテルまでは車で5分程度。荷物がなければ歩いても行けそうな距離である。 車中、北部の訛りなのか、自分のリスニング力の無さなのか、タクシー運転手と末娘の早口会話が、まったく聴き取れないので、諦めて外の風景を見ていた。 街の第一印象は、電車の中で心配したような、牧草地ではなく、世界遺産であるダラム城と大聖堂をメインとした、主要なところは徒歩で行けそうなほどの、小さな城下町といった感じであった。
Travelodge Durham Hotelは、ロビーも小さく、一般的な宴会場のあるようなホテルではないが、思ったよりも部屋が広く、一泊目のホテルよりは格段に快適そうだ。
ただ、WIFIや朝食が有料で、価格をマレーシア通貨に換算してみたらちょっと高いので手を出さないことにした。
ホテルの部屋で一息入れてから、遅い昼食と街の散策のためにタクシーを呼びダラムの中心街へ出る。
歩いてでも行けそうだが、雨が降って来て気温もかなり低めなので、無理はしたくない。
まずは腹ごしらえ、中央広場(Market Place)に面したBell's Fish Restaurantという、人気のレストランで、イギリス名物Fish & Chipsをトライする。
末娘が言うには、「ここは、学生にはちょっと値段が高いので、一度入ってみたかった」とのことだ。
因みに、我が家から末娘への仕送りは最低限で、贅沢する余裕などとてもない。
この店は、値段が高いだけあって、ボリュームもかなりあるようなので、COD(タラ) & Ships(ポテト)と、サーモン & サラダの二人前をオーダーし、様子を見ることに。
飲み物は、もちろんビールだが、食事に純粋な黒はキツイので、イギリスのエールBlack Sheep AleとドイツのBECK'sにした。
まあ、料理としては有名なFish & Chipsだが、味に関しては、正直言って、淡い期待すら抱いてなかった。
しかし、魚が新鮮なのか、ビールのつまみとしてもなかなかイケル。
そして、地元の人達には「当たり前だ」と言われてしまうかも知れないが、サーモンよりタラの方が断然旨い。
因にイギリスでは「the original fast food and still the best」と言う人も居るらしい。
まあ、Bestかどうかは置いといて、イギリスに来て初めて観光客らしい食事が出来てよかった。
食事中、末娘がカナダの長女に、報告方々、飲んでいる写真を送ると、「もうやってるのかよ、そっちは、まだ16:00頃じゃなかったけ?」と、即レスだった。
それにしても、ウエイトレスが地元の娘なのか、この店でも、ほぼ英語が聴き取れずじまいだったのはショックだった。
Fish & Chipsのレストランを出たのは、まだ明るいとはいえ、既に夕方だった。
移動の疲れもあり、もう夕飯まで外食する体力は残ってないので、近くのスーパーTESCOで買い物をして、ホテルに籠ることにした。
ワイン、チーズ、生ハム、クロワッサン、ピスタチオ、マフィン、そして、手っ取り早く暖をとるためにFamous Grouseというスコッチの小瓶も追加した。
スーパーからホテルまでは20分ぐらいだろうか、石畳の街並を散策しながら歩いた。
小さなカフェやパブに混じって学生向けの不動産屋が目立つ。
ここは世界遺産がある街ではあるが、観光よりダラム大学に通う学生相手のビジネスがメインなのかも知れない。
街を蛇行するウイア川を渡り、自然溢れる風景画のような小径に立つ。
天気の良いときは晴れやかな景色なのだろうが、小雨の今は、ちょっと寂しげだ。
「二十歳前だった末娘は、親元を離れ、たった独りでこの街に来て、自分の生活を始めたんだな」と思うと、愛おしいような、可哀想なような、
とにかく、「よく頑張ったな」と思う気持ちが溢れて来て、感慨深いものがあった。
ホテルに戻ると疲れがどっと出て来たので、シャワーしたあと、ちょこっと日記を付け、スコッチをストレートであおり、夜まで寝てしまうことにした。
末娘は、引っ越しのための整理をしに、一旦、自分のアパートへ戻って行った。
ベッドの上で「小さかった子供が大きくなり、旅をリードしてくれたりするのは、嬉しく、且つ、全てお任せで楽だが、こうして親はボケて行くのかもしれないな。。。」
などと考えているうちにコロリと寝てしまった。
二時間くらい寝ただろうか、末娘が戻って来たので、疲れていたが起きる。
末娘も、明日の卒業式は朝が早いので、今夜はここに泊まって、明朝一緒に出ることにすると言う(本当は、なるべく長く親と居てあげようという気遣いかも知れない)。
早速、昼にTESCOで買ったものをベッドに並べる。
前川家では、子供達3人が小さいときから、旅先では「宴会」と称して、買い出ししてきたものを、ベッドの上にピクニックのように並べて夕食とする風習があった。
いや、夕食をレストランで食べたあとでも、「ホテルの部屋へ帰って宴会しよう」などとやっていた筈だ。
昔は、子供達は、お菓子とジュースで「宴会」であったが、今ではビールやワインが並ぶようになった。
別に贅沢をしなくても良いし、家族なので気を遣うこともない。
色々な話をしながら、食べたり、飲んだりするだけだが、「あれ以上の幸福な時間ってあっただろうか?」と、気付くときがいつか来る筈だ。
子供が皆巣立って行ってしまった今となっては、昔観た韓国映画で、長老が言っていた言葉が忘れられない。
『家族というのは、一緒にごはんを食べた時間の長さが大切なんだよ。。。』
さあ、明日は早朝から末娘の卒業式だ。
明朝のTaxiを予約してもらい、母娘の会話を子守唄にして、ベッドに横になって居ると、夜11:00頃には寝てしまっていた。
次回へとつづく。
(№80. 子育て卒業イギリス旅行記(2) おわり)