№75. ライブ・ライブ・ライブ(2)


最近、“アンチ・エイジング”という言葉をよく目にするようになった。 いや、正確には、“気になるようになった”、なのかも知れない。 KLから日本に帰任する友人がくれた『下半身からみるみるやせる腰回し!ダイエット/SHINO』といった本や、 話題になっている、『ゴボウ茶を飲むと20歳若返る!Dr.ナグモの奇跡の若返り術』のYouTubeなど、 以前の自分なら、「関係無し」の一言でスキップしていた筈なのだが、かなり真剣に注目している自分が可笑しい。 しかし、個人的には、肉体だけの若返り法は、あまり意味がないと感じている。 肉体の若さが積極的な行動を動機づける、という、夏休み朝のラジオ体操的な見方もアリだが、 やはり、内面の若さから、生活が活動的になり、外見を変化させる、というロジックの方が美しい。 じゃ、“内面の若さ”ってなんだろう。 この質問を若い人にしてみても無駄だ。 だって、若い人は、若さの定義なんてなくたって、ただ若いのだから、ナベツネさんに、「なんでアナタはエライのですか?」と質問するようなものだ。 だったら、逆に、“内面の老い”を考えてみればいい。 “内面の老い”が、学問的にどう定義されているのかは不明だが、自分の中では、[好奇心の衰退]、[情報発信能力低下]、[異性にモテたい意識の放棄(諦観)]、の3要素だと勝手に決めつめている。 それぞれの内容は、説明不要だとは思うが、3番目は、生き物として、かなり根源的な要素であり、マジメに重要だと位置付けている。


私にとっての音楽鑑賞やバンド活動は、3人の子供も成人して巣立ち、そろそろ、肉体的にガタが来そうなこの年齢を、どうやって老けこまずに生きて行くか、という課題に対する処方箋でもある。 色々なジャンルの音や、その時代背景とシンクロするストーリーで、自身の[好奇心]を刺激し、 ギターやネットというツールで[情報発信]を行い、 そして、上手くなりたい(魅せたい)という“欲”を肥大化させる。 別に、老け込まない為に音楽をやっているワケではなく、ただただ好きで継続しているのだが、結果的に、これがアンチエイジング効果があるのであれば、一石二鳥だ。


ちょっと前になるが、家内が主催した、小さな“女子会”に、夕飯ついでに参加させてもらった。 後日、奥様方から頂いた御礼メールで、「前川さんの旦那様って、とってもお若いのね~!」と、妙に評判だったらしい。 たとえ、お世辞とはいえ、私の自己流アンチエイジング法も、あながち的外れではないなと、プチ満足感を味わってしまったのだ。 こうなりゃ、“豚もおだてりゃ木に登る”ではないが、「今後は、腰まわし体操と、ゴボウ茶も採り入れて、更なる“若返り”を図ろう」などと、邪念を抱きつつ、今夜もギターの練習に励むのである。

あっ、今回も音楽遍歴の話を書くのだった。

それでは前編からのつづきを・・・


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[ハードロック~ブログレ~パンク]
既に[The Beatles]や洋楽ポップスは“不良の音楽”ではなかったので、無駄に元気いっぱいの音楽好き少年達は、今度は ハードロックというアウトローの臭いがプンプンする世界に魅力を感じるようになる。 そして、ハードロックが少し分かってくると、次は、音楽雑誌([ミュージックライフ]や[ロッキンf]等)で知った、 芸術性の高いプログレッシブ・ロックなどにも憧れるようになる。 私がこの手の音に目覚めた頃は、幸運にも [Led Zeppelin]でいえば[House of The Holly(聖なる館)]、 [Deep Purple]は[Burn(紫の炎)] 、 [Yes]は[Close To The Edge(危機)]、そして、ちょっと遅れて [Pink Floyd]の[Wish You Were Here(炎)] といった歴史的名盤が目白押しの頃であった。 当時、[The Rolling Stones]も [Exile on Main St.(メイン・ストリートのならず者)]、 [Goats Head Soup(山羊の頭のスープ)]、 [It's Only Rock'n Roll] と、リードギタリストの交代期でありながら、40年近く経った今でも聴けるアルバムを連発してた。 今でこそ、『人生ストーズ』だが、まだロック初心者の子供には、その真価は、正直云ってよく分からなかった。

今思えば、この頃の音楽が、自分の行動や価値観の原点になっているかもしれない。 [Elvis Presley]では古過ぎるし、[Bon Jovi]では気が許せない。 同年代のオジサン達には、同じように思っている人達も多いのではないだろうか。

ブリティッシュロックだけでなく、[The Allman Brothers Band]や[Lynyrd Skynyrd]に代表されるアメリカンロック(特に南部系)も好んでよく聴いた。 特に[Lynyrd Skynyrd]は思い入れがある。 1977年1月の中野サンプラザ公演を観た9ヵ月後に、ツアー中の飛行機事故で、主要メンバーが死んでしまった。 もう、あの渋く泥臭い南部なまりのウタが聴けないのかと、落胆し且つ諦めてもいたが、 1991年冬に、死んだボーカルの弟 ([38 Special]というバンドに居た)を立てて来日したときは、思わず東京厚生年金会館のチケットを3夜連続で買ってしまったほどだ。

しかし、伝説のロッカーは早死にが多い。 [Jimi Hendrix], [Janis Joplin], [Jim Morrison], [Brian Jones], [Sid Vicious] 等々、挙げればキリが無い。 日本に来てコンサートをやっていたのに観に行かず、その後早死にしてしまい後悔したのは[Little Feat]の[Lowell George]と、[Bob Marley]だ。 どちらも、なんでチケットを買わなかったのか、不思議でならない。 おそらく、予算的な問題だったのであろうが、何事にも、タイミングってものがあるということを、このとき知った。 そんな悔しい思いをしたくないと、[Eric Clapton]や[The Rolling Stones]の初来日には“最初で最後”を覚悟して高いカネを払い観にいったが、 今では[The Ventures]並みに、ちょくちょく来日しているみたいで、価値半減である。 まあ、ロックではないが、生前の[Miles Davis]や[Jaco Pastorius]のこの目でしっかりと拝めたケースもあるので良しとしよう。

それにしても、十代~二十歳代が主だが、よくロック系の“外タレ”ライブには通っていた。 確かな記憶があるだけでも、 [Aerothmith], [Atlanta Rhythm Section], [Beach Boys], [Blood, Sweat & Tears], [Boomtown Rats], [Daryl Hall & John Oates], [Dave Mason], [Devo], [Doobie Brothers], [Eagles], [Eddie Money], [Eric Clapton], [Felix Pappalardi], [Firefall], [Foreigner], [Heart], [Iron Maiden], [J. Geils Band], [Jackson Browne], [Jeff Beck], [Jimmy Cliff], [Kansas], [New York Dolls], [Paul Weller], [Police], [Premiata Forneria Marconi], [Robin Trower], [Rolling Stones], [SANTANA], [Status Quo], [Stranglers], [Stray Cats], [Styx], [Supertramp], [Thin Lizzy], [Third World], [TKO], [Tom Robinson Band], [TOTO], [U2], [The Who], [Wishbone Ash] 等々。

数多くライブに行っていると、色々とハプニングに遭遇するチャンスも多くなる。 色々あるが、なかでも一番笑えたのが、今は亡き強面ロッカー[Thin Lizzy]の[Phil Lynott]だ。 私、個人的には[Gary Moore]の参加した[Black Rose: A Rock Legend]のフルメンバーで来ると思ってチケットを買ったのだが、 日本に来る前のツアー中に脱退してしまい、不本意ながら[Ultravox]の[Midge Ure]がピンチヒッターであった (因みに、その次の来日時に観たときは、[Pink Floyd]のサポートギタリストの[Snowy White]だった)。 歌いながらベースを弾くフロントマンの[Phil Lynott]は、どちらかと云えば、女性にモテるタイプというよりは、 “男が惚れるロック一本道!”みたいな硬派イメージのミュージシャンだ。 この日も、トレードマークの革パンがピチピチになるまで踏ん張って、歌い且つベースを弾いていた。 ところが、エンディング近くで、踏ん張り過ぎたのか、こともあろうに、革パンのお尻が裂けてしまったのだ。 流石にヤバイと思ったのだろう、曲が終わり、ステージソデに引っ込んで行った。 普通、ライブでは楽器のスペアは準備してあるが、流石、ロックスターは革パンのスペアもあるのだな、と関心して待っていた。 しかし、ステージに再登場した彼は、さっきと同じ革パンをはいていた。 それも、引っ越しなどに使うガムテープをフンドシのように貼りつけて。。。 遠くの席で、コトの成り行きが分からない聴衆に、アメリカ人ギタリストの[Scott Gorham]が説明しようとマイクに向かったのだが、 あまりの可笑しさに吹き出してしまい、最強の強面フロントを配する[Thin Lizzy]も、この夜だけはコミックバンドと化してしまったのだった。

危ないコンサートもあった。 イタリアのプログレバンド[Premiata Forneria Marconi(通称PFM)]だ。 [PFM]は、アルバムを聴くかぎり、“プログレ”という言葉が非常にフィットするバンドだと思っていた。 情熱的ではあるが、クラシカルで、教養もテクニックも有り気だ。 その日のコンサートも、「今夜は席に座ってじっくりとプログレワールドを堪能しよう」としか思っていなかった。 しかし、前座の[クロニクル]の後にはじまった演奏(一曲目の[Celebration])は、予想に反してノリノリのお祭り騒ぎであった。 コンサート全編、かなり長い時間の演奏だったが、アンコール後も拍手が鳴りやまず、最後は“オマケ”で、また[Celebration]を演奏してくれた。 演奏後、ドラマーはスティックを、ギタリストはピックを観客に投げてプレゼントをしていたが、最後に何を思ったのかベーシストが エレキベースを観客に投げてしまったのだ。 まさかの悪ノリに観客は一瞬騒然。 エレキベースといえばかなりの重さだ。当たれば怪我は必至、もし無防備な状態に頭にでも飛んできたらば重症に至る可能性もありだ。 「誤って落とした」という本人談も後で読んだが、私には、勢いつけて投げた、としか見えなかった。 この件で、ちょっと後味が良くないコンサートだったが、会場出口で、壊れかけた裸のベースギターを、 嬉しそうに抱えて出てきた長髪のお兄さんを目撃したので、おそらく重症を負った人は居なかったのだろう。

1976年頃のイギリスのパンクムーブメントから、1970年代後半の東京ロッカーズの時代は、世相なのか、なぜかザワザワと皆いきり立っていて、 怖いコンサートが多かったような気がする。 私が一番怖かったのは、パンクロック界でもお騒がせ系の[The Stranglers]だ。 会場は、昔の後楽園球場の内野席にテントを張った特設ステージだったと思うが、彼らがステージに出て来て演奏をはじめたあたりから、異様な雰囲気は感じられた。 そして、一曲目が終わった直後にビックリすることが起きた。 なんと、ベーシストの[Jean-Jacques Burnel]が、サッと楽器を床に置いたかと思ったら、ステージから客席へ一直線に飛び降りて来て、客に殴りかかったのだ。 パンク系の客同士の喧嘩は珍しくもないが、主役がイキナリ暴力ってのも、流石に本場のパンク野郎達はオッカナイ。 そして、このベーシストは三島由紀夫を愛読するインテリであるとともに、空手(極真会館?)の使い手でもあるのだ。 殴った理由が、「椅子に座っていたから」と、後に雑誌で読んだが、カネ払って観に行った主人公から殴られた観客もたタマラナイ。 この後も、このベーシストは、音だけ聴こえるが、ステージ裏や通路に消えたりするので、 突然後ろから出没して、意味も無く殴られるんじゃないかと内心ヒヤヒヤであった。 ギターの[Hugh Cornwell]の“急所出し”パフォーマンスなどもあり、決して“楽しいコンサート”ではなかったが、 インパクトという観点では、忘れられないコンサートであった。


[再びバンド、そしてギター]
十代後半~二十歳代前半は、リスナーとしてだけではなく、プレイヤーとしても、ロックが興味の対象であった。 嬉し恥ずかしの“お化粧バンド”(今風に云えば“ビジュアル系”!)を卒業した後は、 [Uriah Heep], [Deep Purple]などのブリティッシュロックに入り、[Foghat]などを経由して、 ブルーズやR&Bをベースとした、アメリカンな演奏に趣向が変わっていったと思う。 弾いていたギターは、友人から借りていた[Fender Stratocaster]。 友人は、これを米軍横田基地の近くの中古楽器店で手に入れたらしいが、兵隊か軍属の放出品としては、ナカナカの質であった。 ファズなどのエフェクタを一切使わず、アンプをフルボリュームにするだけであったが、その頃は、それで満足であった。 実は、当時(18才~20才頃?)、既に、年上のセミプロミュージシャン達のバンドに誘われ、小さなライブハウスや、 学園祭に呼ばれてギターを弾く機会もあったので、親に泣きついて、その当時ですら19万5千円もする[Fender Telecaster]を丸井の月賦で買ってもらっていた。 しかし、このギターでは、どうしてもハードロックは無理だったので、ライブがある度に、友人のギターを私物化していたのだ。

ギターに関して云えば、これ以来マレーシアに来るまで、ずっと[Fender]系一本槍だった。 なので、マレーシアに来て即買った[Hamer]はあまり使わず売っ払ってしまったし、 最近、清水の舞台から飛び降りる心境で買った[Paul Reed Smith(PRS)]は、正直、まだ上手く使いこなせていない。 先日、KLに遊びに来ていたギタリストの法田勇虫さんと、お酒を呑む機会があり、色々ギター談議をさせてもらった。 法田さんも若い頃から“ストラト命”だったようで、色々と勉強させてもらったが、プロが一生かかって、好きなギターの良さを追及(かなり改造しているよう)しているのだ。 高価な[PRS]を買えば、色々な場面で、ちょっとはラクが出来るのではないかと、考えていた自分が恥ずかしい。

さて、この頃は、仲間内では“ソコソコ弾ける奴”との地位を確保しつつあったので、 同年代とは熱中していたロックをやり、先輩達とは、思いっきり背伸びをして、ブラック・ミュージックを演奏するという、 云わば、二足の草鞋をはいていた格好になる。 因みに、後者のバンド、ベースは、日本ブルーズ界の老舗バンド[ローラーコースター]の小町正明さん、 リードギターは中森明菜のツアーバンドに居た北川涼さんであった(共に当時はセミプロ)。 そして、演奏していたレパートリーも、[Esther Phillips], [Etta James], [Joe Cocker]などと、 今思えば、実力的にも、音楽知識的にも“汗顔の至り”、“身の程知らず”、“不相応”、“若気の至り”、“恥知らず”・・・ いくら同種の言葉を並べても足りないぐらい赤面モノなのである。 自分のレベルより明らかに上の人達と演奏することは、自尊心をくすぐられるが、精神的負担が無いワケではない。 少しずつだが、音楽の難しさも分かってきて、目の前の壁がどんどん高くなるような心境であった。 演奏していても、あまり楽しくない時間が増えて来たのもこの頃であった。


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最後は、ちょっと暗くなってしまったが、続きはまた次回。 不定期 & ランダムに、ダラダラと続きます。 日付等データ的な部分は、ネットでウラをとりながら書いていますが、記憶違いもあるかもしれないけど、そのへんはご勘弁を!


(№75. ライブ・ライブ・ライブ(2) おわり)


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