№68. マレーシアの嫌なところ〔前編〕


マレーシア暮らしも12年目に突入して、普段は、この国の様々な習慣に、慣れたような顔をしているが、実は、まだまだ、日本人として、気になって仕方がないことも多い。 特に、今年(2010年)の初頭から、マレーシアの現地日系企業に重点を置いて営業をかけ始めているので、仕事として現地の人達と向き合う機会も多くなってきた。 そして、現地の仕事は、ローカル社員に任せる機会も増えてきたので、管理の範囲についても、今までとは異なるパターンに対応する必要が出てきた。 なので、思い通りにならぬこと、現地ならではの問題など、ネガティブなことは、些細なことでも、同時期に重なったりすると、滅入ったり、ムカついたり、捨て鉢な態度に出てしまいたい衝動に駆られることも少なくないのだ。

私は、基本的には、“マレーシア大好き人間”なのだが、今回は、日頃の、“一見観光客的なマレーシア礼讃”は引っ込めて、日常のネガティブな“気付き”を集め、 “私にとってのマレーシアの非常識”を列挙することにより、ささやかなる憂さ晴らしをしてみたいと思う。


【ポイ捨て】
マレーシアで車を運転するひとは、前の車に、ゴミや火のついたタバコをポイ捨てされ、ムカついたことが少なからずあると思う。 まあ、ティッシュや爪楊枝程度なら、こちらに実害はないのだが、火のついたタバコだけは許せない。 夜などは、道路に散らばる火の粉が見えるし、飛び跳ねている火のついたままのタバコが、私の車のキャブレターグリルを通過し、車体の油に引火して、燃え上がってしまうのではないかと心配になる。 中には、後ろの車に配慮しているつもりか、遠く、道端の木々めがけて、指で弾く輩も居たりして、火事にでもならぬかと、これまた心配になってしまう。

以前に日本で、前を走る車から、ポイ捨てされた空き缶の唾液を、DNA鑑定して、犯人を逮捕したというニュースを見た。 私も、あまりにも危険な場合は、パッシングして怒りを表すだけでなく、吸殻を拾い、DNA鑑定でもしてやりたくなるが、 ホーカーズ(屋台村)などでは、床が灰皿代わりのこの国では、そんなことを警察に申し出たら、こちらの方が、精神鑑定されてしまうのがオチだろう。

一方、お隣のシンガポールでは、この7月から、ポイ捨てに対する取締りが強化され、知的労働外国人の初犯でも、強制労働命令(CWO:Corrective Work Order)なる罰則が科せられるようだ。 これは、地元紙によると、“CWO”と大きく書かれたベストを来て、衆人環視のもとで、公園や住宅地を最低3時間は清掃しないといけない罰則で、メンツを大切にする東南アジアの各民族や、 数ランク上を自負する、勘違い系白人達にとっては、その効果は絶大であろう。

残念なことに、趣のあるオールドタウンと、近代的なビル群が調和しているKLも、よく見ると街角はゴミ溜化している場所が正直多い。 せっかく、ここまで良い街を創ったのだから、もうちょっと美しく維持しようという気持ちが芽生えてほしいものだ。 (何事にも、最後のツメが甘いのだ・・・)


【警察の闇】
以前のコラム(No.7)でも書いたが、この国のお巡りさん達は手強い。 スピード違反の罰金を、僅かな“袖の下”で見逃してもらうなんてことは、日常茶飯事なので、あえてここでは書かない。 私が、「これが、アタリマエだと嫌だな、ちょっと怖いな~」と、思うことは、もっと深刻だ。

あるとき、観光客にも有名な、Jalanアローというストリートの屋台で、友人達と飲んでいると、近くの店で、無銭飲食が見つかったらしく、違法滞在労働者風の男が、店の中国系の男達にボコボコにされていた。 店員達の勢いに、私も含めた野次馬達は、仲裁に入る勇気もなく、ただ一方的に暴行を受ける無銭飲食犯人に、同情しつつも、怖いもの見たさもあり、コトの成り行きを見物していた。

暫くして、犯人がピクリともしなくなり、店の男達も、「もういい、わかったか!」とばかりに、店内に引き上げて行った後、見かねた誰かが警察に通報したようだ。 青いランプ(日本では赤ランプだが、こちらの警察は青ランプ)を回転させながら、パトカーがゆっくりと、狭い路地に入って来たとき、私はちょっとホッとした。 いくら店に損害を与えた犯人だとしても、公衆の面前でのリンチは、法治国家としてマズイだろう。 ここはひとつ、お巡りさんに任せて、自分が暮らしている、このマレーシアという国が、“秩序ある国”であることを証明してもらわねばならない。 苦悶の表情を浮かべ、不自然なかたちで、店の入り口に横たわる無銭飲食犯にも人権はある筈だ。 などと、期待をしながら見ていると、ナント、二人で現れた制服のお巡りさんは、無銭飲食犯を一瞥すると、「死んでない、まだ、大丈夫でしょ」と、言った感じで、パトカーに乗り込み帰って行ってしまった。 ポカンとしている私の周りの群衆も、「これで見世物は終わりか、そんじゃ、帰ろ、帰ろ」とばかりに、四散してしまった。

これだけでも充分異常であるのに、驚いたことに、倒れたままの無銭飲食犯の傍には、屋台のテーブルが置かれていて、そこに新しい客が来て平然と座るのだ。 席についた中国系男性のグループが、ボコボコにされた男のスグ横で、何事もなかったように(猫でも見るかの如く)、飲み物を注文していたのには、心底呆れた。 コトの一部始終を見ていた、近くのパブに勤めるパキスタン人が私に言った。 「私の祖国では、テロとかもありますが、こういう場合は、絶対に、誰かが、暴行を止めに入ります、まったく、恐ろしいことですよ」、と。 私にとっては、確かにテロも怖いし、暴行していた人達も恐ろしい。 そして、なによりも、それを無かったことにしてしまうことが、イチバン怖い。

一方、最近のことだが、週末に、街のママッ(mamak:インディアンムスリムの屋台)でワールドカップを、パブリック・ビューイングしていたローカルの友人が、突然現れたポリス達に、フットボール(サッカー)賭博容疑で4日間も拘束された (地元新聞によると、ワールドカップの期間、警察は賭博胴元摘発のためにキャンペーンを張っていたらしく、賭博参加者を240名も大量に検挙されたらしい)。 実際には、その友人は、一緒に居た悪友に、スマートフォンを貸していただけだったのだが、悪友が、そのスマートフォンで、ネットの賭博サイト経由で、違法な賭けごとに参加していたため、お縄の連鎖を頂戴してしまったワケだ。 包囲され、問答無用で警察署に連行され、様々な犯罪者と共にブタ箱にブチ込まれて、外部との連絡も制限され、辛い経験をしたとのことだ。 友人は、「何を言っても聞いてくれない、以前から頭では分かっていたが、今回は、改めて、国家権力の恐ろしさが身に染みた・・・」とのことだ。

日本の検察も使う手だが、法を厳密に適用すれば、100%完璧な人間など居ないので、どんな人でも犯罪者に仕立て上げることは、ほぼ可能なのだ。 「アナタは制限時速80kmの道路で、時速82kmで運転していましたね?」、 「自宅に違法DVDがないかガサ入れしますよ?」、 「日本出張の帰国便で、持ち込んだ焼酎1.5ℓの0.5ℓ分は税関で申告しましたか?」 等々、基準のハードルを下げれば、皆、先の友人のような状況に置かれても不思議ではないのである。 これらが、観光旅行をしている日本人や、在留邦人にも起こり得るのかは分からないが、注意に越したことはない。


【音に対する鈍感さ】
日本進出しているのか知らないが、KLには、"Coffee Bean & Tea Leaf (通称:コーヒー・ビーン)"という“スタバ”のような存在のコーヒー・チェーン店がある。 地元の人にとっては、スタバ同様、雰囲気は良いが、ちょっと価格は高めの店だ。 独自のコンピュレーション・CDアルバムなども制作していて、音楽に対する感度も良い筈の店なのだが、一度酷い目に遭って、それ以降、足を踏み入れたことがない。

その当時は、ワイアレスのブロードバンドが使える店が少なく、仕事関係のリサーチの必要もあって、自宅近く“コーヒー・ビーン”にインターネットを使いに入った。 入店後、暫くは快調にネットサーフィンしていたのだが、1時間くらい経った後だろうか、BGMの異変に気付き、作業に集中出来ない状態になってしまった。 “異変”とは、BGMのCDが、レコードの針が飛ぶように、同じ部分を繰り返しているのである。 最初は、「そのうち店員が気付いて、調整するだろう」ぐらいに考えて放っておいたのだが、3分経っても、5分経っても同じ状態であった。 イライラして来たので、「きっと、他のお客さん達もイラついているだうな」と、周囲を見渡すと、店内に居る中国系、インド系、マレー系、 皆、一様におしゃべりに夢中で、まったく、異常なBGMなどには気がまわらないようであった。

飲食店などで、同じアルバム(CD)を、同じ日に、何度も使いまわしていることですら“興ざめ”な私にとっては、この状況は耐えがたい。 作業にも集中出来ないので、レジに行って店員に、「ちょっと、この音楽どうにかしてくださいよ」と、ジェントルな態度でクレームしてみた。 すると、驚いたことに店員は、「どうかしましたか?」と、キョトンとしているではないか。 「BGMだよ、ほら、おなじ箇所をリピートしてるでしょ?」と、スピーカを指差し、指をクルクルまわしながら言うと、やっと、状況を把握してくれた。 そして、『本日は、特別にアナタ様のリクエスト曲を、かけて差し上げますわ』的な態度で、次の曲に飛ばしてくれたのだ。

ひと安心してノートパソコンに向かっていると、5分もしないうちに、また、BGMが同じ部分を繰り返し出した。 そして、相も変わらず、誰も気付かず、且つ、店員も状況放置の状態であった。 再度レジに行き、「また、リピートしてるよ」と、今度はちょっと不満気に告げると、『また、リクエストですね?』みたいに、特別サービスでも受け付けたような、場違いな表情とともに、次の曲に飛ばしてくれた。 そして、数分後、信じられないことに(・・・こういうことに慣れた今となっては、想定内のことかもしれぬが・・・)また同じことが起きたのだ。

「こりゃダメだわ」と、私はイソイソとPCを閉じて、勘定を払い、逃げるようにしてコーヒー・ビーンを後にしたのである。 ウインドウ越しに見ると、店内からは、呪文のように繰り返すBGMをバックに、楽しそうに、お喋りを続けるマレーシアン達の姿があった。。。(ため息)

店のBGMの場合は、気に入らなければ、店から出てしまえば良いが、自宅の場合はそうもいかない。 階下の住人が、大音量でDVDのアクション映画を観ていたり、病気で会社を休んで寝ていたら、ガリガリとコンクリートを削る音で、目が覚めたりするのも辛いが、我家のあるコンドミニアムには、もっと強敵がいる。 それは、大きな池を挟んで対峙する、フラミンゴ・ホテル(Flamingo By The Lake Hotel)だ。

このホテル、以前は、ちょっと都心から外れたC級ホテルとして、分相応の価格帯でローコスト・トラベラー達には便利な存在であった。 そして、経営が我コンドミニアムと一緒だったのか、テニスコートや、池の周りの遊歩道を、我々も自由に使えるのが、何よりの魅力であった。 それが、2,3年前に経営が変わったのだろう、我々の施設使用は禁止され、外観は改装し豪華に見せ、強気なことに、都心のホテルと同じ価格帯を設定したのだ。 別に、私は、自宅の隣のホテルに、泊まりに行くワケではないので、ホテルのレートがいくらになろうが関係無いのだが、迷惑なのは、池の畔で行われるイベントが、極端に増えてしまったのだ。 結婚セレモニー、アニュアル・ディナー、何かのパーティー等々、平日、休日に関係なく開かれるのである。そして、困ったことに、それがかなりの大音量なのだ。

位置関係を、野球場を例にして説明すると、ホテルの建物がバックネットだ。 ホームベースあたりに仮設ステージがあり、外野に向かって音を出す。 コンドミニアムは、外野の観客席の位置にあり、11階の我家は、ちょうどスコアボードの位置だ。 フェアーグランドの場所が大きな池なので、遮る建物がいっさい無い。

まあ、適切な音量でCD等を鳴らしているのであれば、それは、それなりに完成された音楽なので、まだ我慢が出来るのだが、常軌を逸しているのは、カラオケと、司会者のMCだ。 下手な歌ほど、大声でがなり立てるし、パーティーを盛り上げようと、一生懸命にジョークを連発する司会者のマレー語は、外国人の多いコンドミニアムの住人を苛立たせる。

一度、夜の11:30を過ぎても音が止まないので、完全にブチキレ状態で、ホテルに乗り込み、ノリノリで盛り上がっているイベント会場の調整卓まで行き、「音下げろ!」と怒鳴ったことがある。 調整卓をいじろうとする私と、イベント屋と押し問答していると、騒ぎに気付いて、出てきた自称マネージャが、「これはマレーシアの法律に違反していない。我々は、12時まで音を出す権利がある!」などと、偉そうなことを言ってきた。 名刺も出さない“自称マネージャ”を相手にしてもら埒が明かないので、ホテルのロビーに行って、「Impiana(コンドミニアムの名称)の住人だが、パーティーの音量について、支配人と話がしたい」と、カウンターで取次を依頼した。 フロントの男性には、支配人と長電話のやりとりをした後で、「支配人は今、ホテルには居ないので来られない」と、居留守を使われてしまった。 「じゃ、後でメールでクレームするので、支配人の名刺をくれ!」と言うと、一刻も早く、このクレームを、支配人に投げてしまいたいのであろう、支配人の許可も得ずに、「ここにメールしてください」と、ボスの名刺をくれた。 自宅に戻る途中、腹の虫が収まらないので、「もし、自室に戻った段階で、まだ大音量が止んでなかったら、60ワットのギターアンプを窓からホテルへ向けて、フルヴォリュームで同じ曲弾いてやろう!」 などと過激に考えていたが、“自称マネージャ”の言う通り、深夜12時前には音が止んだ。

おそらく、複数の住人からの強烈なクレームがあったのだろう。 最近は、イベントも静かなものが多くなったようだ。 たまに、バンドなどが入るときもあるが、以前ほどは響いてこない。 音が小さくなったのは助かるが、ひとつだけ困るのは、演奏しているバンドが下手っぴぃの時だ。 知っている曲があったりすると、また60Wのアンプを持ち出したくなるので困るのだ。。。


【計画性の乏しさ】
単純に仕事経験の差なのか、東南アジア人の特性なのか、未だに明確ではないが、日本での経験と比較すると、この国の人達は、計画性に乏しい、と言わざるを得ない。 国家的なプロジェクトでさえ、数年遅延する場合も珍しくない国で、「ちゃんとプランを立てて仕事しろ!」と、毎回、ミーティングで繰り返している自分が、細か過ぎるのかも知れないが、 色々な場面で、先を見越して仕事をしてほしいと、未だにイライラすることが多い。

例えば、来週から新しいプログラム開発のプロジェクトを始めようと、リーダーを決めて準備を指示する。 週末に人員を割り当てて、月曜からフル稼働させる目論見で居ると、月曜の朝、リーダーが皆より遅く出社して来て、且つ、「まだ、細かい準備が出来ていない」とか言い出す可能性が大なのだ。 早く出社した、割り当てられていたメンバー達も、「作業の指示を早く下さい!」と、言って来る者は超優秀な部類で、ほとんどが、漫然と指示を待っているというパターンなのだ。

どうも、「計画」という概念が薄いので、計画を立てることが、時間の無駄と考えているフシがある。 なので、「計画を立てる時間があったら、行動した方が速い」というロジックになっているようだ(これを、日本のスタッフは、“地図の無い旅出る”と、呼んでいる)。 また、別の見方では、「計画を立てても、守れない、守らない、だから意味が無い、計画も不要」というイタチゴッコ的悲観論だ。

イスラム圏では、 「イッシャ・アッラー」という言葉がある。 「全て神の思し召し」と、訳されているが、日常的で使われる場合は、 「しょうがない」、「焦ってもしかたがない」、「なんとかなるさ」といったニュアンスだ。 誤解してほしくないのは、“イスラム教徒=計画性が無い”と、言っているのではない。 ある意味では、 イッシャ・アッラーの寛大な精神は、円滑な人間関係や、人生の機微として非常に重要である。 完璧主義者が、深く悩んだ揚句に、自殺してしまうより、「なんとかなるさ」と、切り替えが出来る人の方が強いし、人間的な魅力もある。 ただ、私が指摘したいのは、計画すればコントロール可能なことを、自身の怠惰や努力不足のせいで制御不能にしてしまい、 それを「イッシャ・アッラー」と、一言で片づけてしまうことは、とてもダサいですよ、ということだ。

1998年にマレーシアで英連邦競技会(Commonwealth Games)があった。 これはオリンピックのような大きな大会なので、それにあわせて、KLではホテルの建設ラッシュとなったが、大会開催までに、完成が間に合わないホテルもあった。 そして、今となってはKLはホテル乱立気味もあり、ホテル代が非常に安い。 利用者にとってはありがたいことだが、資本を投入して、ビジネスとして成立させたい側からすれば、この計画性の乏しさは、かなりリスキーだ。

私としては、「突貫工事をしてでも、オープンに間に合わせるぞ!」とか「徹夜をしてでも、納期は守ります!」といった根性論を期待しているのではない。 そんな事態に陥らないように、計画性をもって仕事しましょうね、段取りこそが大切なのよ、と、日々言っているだけなのだ。 しかし、現時点では、「ちゃんと、伝わっているな(理解してくれたな)」という実感は、残念ながら未だ無い。



後編につづく。


(№68. マレーシアの嫌なところ〔前編〕 おわり)


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