№52. 歩く異教徒


ちょっと年寄りっぽくて恥ずかしいのだが、『ここ数年、私の趣味は近所の散歩だ!』と、公言してしまおう。ジョギングではなく、ウォーキングともちょっとニュアンスが違う。 要は単なる“散歩”だ。 そもそもの発端は運動不足解消目的だったのだが、今となっては目的などどうでもよくて、キョロキョロ街中を観察しながら歩き、何か珍しいものがあると立ち止まり、 旨そうな屋台があれば入って食ってみる、という至って気ままな徘徊行動なのだ。 以前はクアラルンプール(KL)の中でも観光名所のようなところを、徒歩で5~6時間かけて渡り歩いてみたり、遠くの大きな公園に遠征したりして悦に入っていた。 が、やはり、歩いていて本当に面白いのは、地元の人達の生活圏を観察することなので、生活感のない観光名所や大きな公園からは自然と足は遠のいてしまった。 そして、今現在の散歩対象地域といえば、もっぱら自宅のあるAmpang(アンパン)周辺地域が多くなっている。 “自宅近辺”と書くと、なにやら狭い範囲を老人のように早朝からタオルを首にひっかけ、ボソボソと歩いていると思われるかも知れないが、さに非ず。 AmpangエリアはKLの中でもかなり広く、大使館の密集する地域、庶民の暮らす地域、リトルチャイナタウン的地域、コリアンタウン、 信じ難いくらいの金持ち屋敷が林立するハイクラス層地域、更にはバードウォッチングで有名な自然公園なども含まれ、中高年の散歩コースと呼んでしまうのは失礼なくらいの大きなエリアなのだ。 今回は、この地域を休日毎に短パンとTシャツ姿で、あるときはインド寺院に潜入し、またあるときはイスラム学校を覗き見し、行列の出来る屋台には必ず並び、 野犬を察知したら一目散に逃げ、ノドが渇いたらば黒ビールなど飲んでしまう、“歩く異教徒”(実際は無宗教だけど・・・)の成果を池波正太郎や植草甚一風に綴ってみよう。 (嘘々、ただの自分流レポートですってば)


まず、赤道にほど近いこの熱帯都市を散歩するときの注意事項を挙げておこう。 イチバン大切なのはもちろん熱射病対策。帽子着用や水分補給を怠るとかなりのダメージを受ける。 次に車の排気ガスも健康的徘徊運動の大敵だ。そして、大きな通りに沿って歩く場合などは、排ガス以外にも乱暴運転による交通事故にも注意しないといけない。まあ、ここまでは夏の東京 でウォーキングを楽しむ場合も同じだと思うが、マレーシアには更に上と下からの危険が潜んでいる。下の危険は、道端の壊れたドブ板や穴ボコだ。KLはそれなりの都会だとは思っているが、 道はかなりラフな造りだと云わざるを得ない。道路は波うっているし、高速の継ぎ目ではカーステレオのCDが飛ぶことも少なからずある。酷い手抜き工事が行われた道路などでは、大穴が開き、走っていた オートバイがすっぽり入ってしまったこともあるらしい。車道でさえこの体たらくなので歩道は“おして知るべし”だ。敷詰めたブロックが不揃いなのはご愛嬌だが、側溝の金属カバーが無かったり(最近は日本も同じか・・・) 、コンクリートが崩れて約1メートル四方の穴から下の地下水が見えていたり、子供が転落したら間違いなく這い出て来れないほどの大穴も珍しくない。初めてKLに旅行で来たときは、 小さかった子供を連れて街を観光するのにかなり気を遣った記憶がある。さて、次に上からの危険だが、これは熱帯地域の脅威らしく、落下する椰子ノ実なのだ。田舎ではドリアンの直撃を受けて 死ぬ人が毎年けっこういると本で読んだことがあるが、椰子の実もかなり危険だ。私自身、以前はあまり気にしていなかったが、2004年の夏にパンコール島で落下する椰子の実を間近で 経験して引き攣ったことがあり、それ以来注意を怠らないようにしている。そのときは、妻と末娘と私でパンコール島の安宿の周辺を、朝食にテ・タリッとロティチャナイでも食べようとブラブラと緩みきって歩いていたのだが、突然ドスンという音がして、微かな振動が地面を伝い体に届いた(感覚的にはボーリングのボールを2階の窓から土の地面に落とした感じ)。 よく見ると、我々の前方左横から歩いて来る若い学生風のマレー系男性2人連れの足元に、特大の椰子の実が落下していたのだ。あと50センチずれて頭部を直撃していたら大変なことになっていた筈だ。良くてムチ打ち症、下手すりゃ死亡事故だろう。私の左脳のシナプスが事の重大さを把握して肝を潰しつつあるタイミングで、その椰子の木の植えてある家のオバサンが現場に出て来た。 日本であれば『大丈夫ですか?お怪我はございませんか?』と恐縮しつつ安否を気遣って然るべきで、且つ、危うく被害者になりかけた二人も『もし直撃したら、どうしてくれるのだ?』 的な会話が展開されると思い見ていた。しかし、その若い学生風の2人は『鳩の糞が頭に落ちなくて良かった』程度で歩き去っていくし、オバサンは『おっ、今日の収穫、収穫』みたいな 感じで、両手で重い椰子の実を“ヨッコラショ”と抱え、一言も発せず家へ入ってしまった。未だにこのときの両者の対応は府に落ちないが、日本で言えば、お正月に雑煮を食べていたお年寄りが、餅を咽喉に詰らせそうになり、結果的に運よく飲み込めて、何事も無く“ヨカッタ、ヨカッタ”といったノリなのだ、と自分を納得させている。とにかく、KLの散歩は“ドブに落ちぬように足元に注意を払い”、“椰子の実爆弾の落下を察知すべく頭上に神経を集中させる”大変サバイバルな行為でもあるのだ。


さて、注意事項を頭に叩き込んだら、Ampangを歩いてみよう!


[Jalan Ampang]
Jalanとはストリート(通り)を示すマレー語だ。(因みにJalanを2つ続けて“Jalan Jalan”とすると“旅”という意味になる、ちょっと哲学的だね) 従ってJalan Ampangは“アンパン通り”だ。 日本語にすると、木村屋あんぱんの発祥の地、銀座煉瓦街を連想する人は少ないにしても、 渋谷のチーマー(死語?)が、リポビタンDの容器で薬物を売買している夜の繁華街みたいでイメージが悪い。 KLでも“アンパン通り”は渋滞が激しく道幅が狭いのでタクシー運ちゃん達にはすこぶる評判が悪い。 特に平日の夜は酷い。『Jalan Ampang ? メータープラスRM10で行ってやるよ!』などと、雲助野郎に半乗車拒否されること請け合いだ。 しかし、このコラムを読んだ後、どうしてもアナタがこのJalan Ampangに来てツインタワーの夜景を見物したくなったのであれば、 タクシーより遥かに安い金額で、しかも新型バスの大きなガラス窓越しに鑑賞出来るのでご安心あれ! そのルートとは・・・以前東京三菱銀行のあったチャイナタウンのはずれのLebuh AmpangからJalan Ampangに合流し、 ツインタワーで有名なKLCCを右手に見ながら、ホテル日航の前を通過し、 地元人御用達のデパートAmpamg Pointとコリアンタウンの間を突き抜け、 電車駅のあるリトルチャイナタウン風のAmpang Jayaまで。 渋滞がなければ(そんなことあり得ないのだが)バスで約30分のドライブだ。 まあ、夜はライトアップしたツインタワー(KLCC)をジックリと堪能出来るので、このときばかりは交通渋滞も悪くない。 このルート、『地球の歩き方/マレーシア・ブルネイ編』にはホテル日航の近くのAmpang Park駅くらいまでは掲載されているので地図で左から右に辿れる筈だ。 もちろん私は何度も徒歩で制覇済みだが、残念ながら今回のコラムで指す“Ampang周辺地域”とはAmpang Parkより東の、“歩き方”に地図に出ていない地域なのだ。 だって、ガイドブックに出ている所を歩いて書いたって皆知っててツマンナイもんねぇ。


[大使館密集地域]
Ampang周辺地域は、その交通渋滞や旨いヨン・タオ・フー(よんと~ふ:醸豆腐)と同じぐらい世界各国の大使館が密集していることでも有名だ。 場所的にはホテル日航からAmpamg PointまでのJalan Ampang周辺。都心に近いロケーション(ホテル日航寄り)は、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国、韓国、日本 等のメジャー級の大使館で、敷地は広くセキュリティも堅牢だ。特に911以来アメリカ大使館の警備はより厳重になり、警備の者は自動小銃(M16?)で武装している。 一方、アフリカや東南アジアなどのマイナークラスの大使館はほぼAmpamg Point寄に集結していて、一見普通の民家のような造りの建物が多い。名前を出して申し訳ないが、 ジンバブエの大使館などはコリアンタウンの外れで、その看板が無ければ誰も大使館とは思わないだろう(これはこれで究極のセキュリティだが)。 シングルAクラスのインド大使館などの一部例外を除き、 警備も“セコムしてますか?”程度で、常に身の安全を大金で買っているアメリカなどとは対極のおおらかさだ。 この地域の散歩のイチバンの利点は“安全”である。常駐警備員や巡回するポリスの数も多いため散歩中に犯罪に遭遇する確率は非常に低い。 大使館に対するテロでもない限り、ノンビリと大使館巡り散歩ツアーが楽しめる。 大使といえば、余談だが2004年に息子が学校の長期休暇を利用して、クラスメートのメキシコ人の家を一人で尋ね、数週間遊びに行くことになった。 その際に、先方の親から『未成年の独り旅の場合は、旅先で諸々の誤解を招かないように、事前に日本大使館で“独り旅です”との証明書を作って持って来ると安心だ』 と教えてもらった。後日、妻が日本大使館に行きその旨依頼すると、対応は“けんもほろろ”であったらしい。後にそのクラスメートの親がメキシコ大使だと 分かると、日本大使館職員の態度が一変したとのことで、妻は憤慨気味であったが、話がベタ過ぎて私は苦笑するしかなかった。 身の安全代や相手の態度、何をとっても国籍や人種、そして身分で扱いは違ってくる。『“平等”や“公平”なんて言葉は幻想なのよねぇ』などと独り言を呟きながら 歩くこのエリアは安全だが、私には妙によそよそしい。


[コリアンタウン]
Ampangには何故か韓国人が多い。私の住むコンドミニアムの駐車場にも“KIA”,“HYUNDAI”といった韓国車がズラリと並んでいる。 “韓国人が多い”ということは“旨い焼肉屋が多い”と同義語で、マレーシアに居ながらにして本場のプルコギやケジャン(最近は出している店が少ないが)が食べられるのは嬉しい。 肉と飲み物をオーダーすれば、テーブルいっぱいにキムチ等の小鉢が並ぶ本場の方式は、日本からの出張者にはとても評判が良い。 コリアンタウン内のスーパーマーケットも韓国製品が豊富で、新鮮なキムチは当たり前としても、食肉(カルビ)、野菜、ジンロ、農酒(ドブロク)、韓国海苔、本場ロッテ製品、 ハングルの新聞等々、彼らの生活必需品はほぼ手に入るようだ。中でも私にとってのコリアンタウンの最大の利点は、イスラムの関係で夜になると強い酒を購入し辛くなるマレーシアでは例外的に 夜遅くまで韓国焼酎を売っていることだ。もちろん、飲み屋さんに行けば深夜だって酒は出すのだが、夜遅く仕事を終えて家で一杯やりたいけど買い置きが無い、なんてときは近所の コリアンタウン様様なのだ。ここは地域的には狭いエリアなので、ちょっと歩き廻れば簡単に全容を把握できるところなのだが、新装開店の店や立派な共同の集会所等々、歩く度に新しく 何かが出現してくる様は、東南アジアにおける大韓民国の存在感の大きさを思い知らされる。ただ、(これはバラしていいのか・・・)以前我が家の隣に韓国大使館員(ポジションは不明)が 住んでいたのだが、2006年7月5日朝のことだったと思う。出勤時にエレベータで、『北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射しましたね』と、軽く話題として振ったら、『えっ?、知らなぃ・・・』と、バツの悪そうな顔をしていたので意外だった。 日朝交渉が開かれるKLという、ある意味特殊な都市の大使館員ですら、ネットワークはそんな程度なのか(杉並区の野球の連絡網の方が速い・・・)理解に苦しむ場面だったが、 大使館員だからこそ、軽はずみに個人的意見を控えたのかも知れない、と、まあ波風立てずに、善意に解釈しておこう。


[インターナショナルスクール(ISKL)周辺]
2001年に我が家がAmpangに引っ越してきた理由は、子供達3人がこの地域にあるインターナショナルスクールに通い易くするためであった。 それ以前に住んでいたBangsarという地域から通う為には、早朝のスクールバスでないと間に合わないので、スポーツで疲れた体で山のような宿題をこなす生活には 適さないと、私以外の家族全員が判断し、職場が遠くなる私のささやかな不満を押し切って引越すことに決定された。既に上2人は卒業し、現在は末娘のみが自宅から学校(ISKL)までの 徒歩10分の距離を、“安全”(確かに、あの近所の黒い野犬は不気味だ・・・)を理由に自家用車による送り迎えで通学している。 一家で移住した直後は、日本で中学を卒業したばかりの長女のみが高校生としてこのインターに通っていたが、長男も次女(末娘)も、中学校までは通える日本人学校を辞めて、 ロクに英語も出来ないままここに移って来てしまった。いきなり外国語で授業をする学校に転校するのは子供なりに冒険であっただろうが、長女の背中をみて決めたのか、 何か日本の学校には無い魅力を感じていたのか、“大切なことを簡単に決める”というメンタリティーは、親から遺伝してしまったのだろう。 実は私も移住する前にこの学校に見学に来たのだが、そのフレンドリーな対応と、自由な雰囲気と、色々な人種が普通にクラスメートとしている環境を見て、『こういう学校で学んでみたかったな~』と心から思ったのだった。アメリカ系の学校ということで、たまに“学校爆破予告電話”などで気を揉むことと、授業料が高いのが玉に瑕だが、ロックミュージシャン(実際に先生方のバンドもある)や絵描きみたいな先生が子供達に普通に指導している姿を見ていると、単純な憧れからかもしれないが『自由っていいな~』、『日本の厳しい校則ってなんなのだろう?』と 考えさせられてしまうことがある。 しかし、散歩がてら突然尋ねて行き、学校の中に入れるほどセキュリティは甘くないので、アポの無い人は学校の周りから眺める程度で我慢して他を歩こう。 ただ、学校近くにある大きな中国人墓地とインド人墓地は興味深いが、広いわりには人影が殆ど無く、一人では薄気味悪いし、“防虐動物協会”という捨てられた動物を世話している施設も ちょっと不潔で臭く、ペットとして犬や猫を譲り受けたい意思のある人以外はお奨め出来ない。そんじゃ、近くの“ナンコーナー”と呼ばれているショップロットでロティチャナイでも 遅い朝飯に食べようかと思っても、「売り切れ」とか言われるし、近くの朝市もイマイチでまったく面白くない。結局、道を戻って大通り沿いのインド寺院に行ってみても信者以外入れない 雰囲気プンプンで、ガネーシャ像にも睨まれているようでスゴスゴと帰るしかない。まあ、ここは自宅のすぐ傍ということもあり、今では単なる通過点でしかなくなっている。 (周辺の皆様ゴメンナサイ)


[Ampamg Jaya]
LRT(Light Rail Transit System:要は電車)のアンパン線の終点“アンパン駅”周辺のAmpamg Jaya地区は私のメイン散歩コースだ。 自宅から排気ガスを胸いっぱいに吸い込んで20分くらいJalan Ampangを東に歩けば、典型的なローカル商業タウンに辿り着く。 観光地的見所はゼロ以下だが、その分、観光地では絶対味わえない“庶民のKL”が味わえる。 駅を超え数百メートル先の青いポリスステーションを右折すると、まったく飾り気の無い灰色の煤けた商店街が500mくらい続く。 食料品店、ミシン屋、宗教グッズ店、籐製品だけの家具店、照明器具屋、理髪店、学校専属の靴屋、鍵屋、 ローカル・コーヒーショップ(寄り合い屋台)、中国寺院、消防署、文具屋、珍しいところでは神棚屋や雑貨屋で車椅子なんかも売っている。 最近この通りの激安インド系床屋を発見して入ってみたが、KLでもおそらく最低レベルの価格ではないかと思う1回8リンギット(280円)という過激な値段であった。 この通りを終点まで行くとアンパンのローカルフードでイチバン有名な“ヨン・タオ・フー”の店が3店軒を連ねているが、 見る度にいつも満席で、とても散歩のついでにちょっと一人で入る気にはなれない。金曜夜のゴールデンタイムには店を閉めてしまう程の強気経営を可能としているのも、 やはりその味の良さがなせる業だろう。この通りと並行して走る横幅3mくらいの中国系小学校の通学路では、毎週末に朝市が立ち、生鮮食料品、衣料品、日常雑貨、海賊版DVDなどが売られ、 地元のオバサン達の値段交渉バトルを見学することが出来る。この市の端(駅沿い)には小規模な養鶏場のような一角があり、生きたニワトリをさばいてくれるのだが、 民家や商店の近くでもあり、鳥インフルエンザなどが発生した日にゃ、街中消毒してまわる破目になり、さぞかし大変だろうな、と考えしまうのはここでは私一人であろう。 3軒のヨン・タオ・フー屋に戻り、道なりにカラフルな南天宮まで行くのも良いが、私はいつも“スペクトラム”という緑と黄色に煤けた中規模ショッピングモールの方角に歩き、 “新泉合美食中心”という緑の看板のローカルコーヒーショップで、黒ビールの小瓶をグビっとやりながら、クレイポットイーミー(土鍋のスープ揚硬麺)か、胡椒の効いたポークミーを 汗だくになりながら食べるのである。食後の至福のひとときをボンヤリと喧騒の店内で過ごしてから、外の小型トラックで売りに来ているRojak(ネットで調べてください)や 油条(ヤウティウ)を買って帰途につくのである。帰り道はJalan Ampangを東南アジア流に無理矢理横断し、一本奥の道に入る。首都とはいえ点在するマレーカンポン的な地域の道を、 高床式の家などを眺めながら歩くのである。ここは海外では珍しく鍵をかけないで玄関開けっ放しの家並みがつづき、自分が子供だった頃を思い出させてくれる。 「Always 3丁目の夕日」の世界に入ったような錯覚に、自転車で遊ぶ子供達にも声を掛けたくなってしまうのが不思議だ。 本来、黒ビール(アルコール)の余韻状態では不謹慎なのだが、もう少し道を進んだところにある、この地域のモスク(Masjid Jami'll Fuda)でアザーン(詩吟のようなコーランの熱唱、 個人的にはファドに近いものを感じる)を聴くのも楽しい。 小さな川を眺めながら「クアラ・ルンプールって“泥の川”って意味だったな~」などとボケッとしていると、日本人の私に「道を教えてくれ!」と問う者が多いのは不思議だ。 それはタクシーのオジサンだったり、宅急便のアンちゃんだったり、友達の家を訪ねる予定の若い子だったり、色々だが殆どマレー系の人だ。 自分で答えられる場合は教えてあげるが、細かいストリートの名前までは分からないので「Saya orang Jupun (私は日本人ですよ~)!!」と、数少ないマレー語のボキャブラリで答えると、 「アイヤー、○□△※・・・」と皆笑顔で何か言って去って行く。おそらくKLでは、移動は車やバイクが常識なので、 “歩いている人”=“超近所の人”と勘違いして訊いてきたのであろう。「アイヤー、随分見当違いな人に道尋ねちゃったわね~」といったところだろうか。まあ、道を訊かれるくらい、ここに馴染んで来たってことで悪い気はしない。 しかし、10リンギ札2枚と小銭(計800円弱)だけポケット入れて家を出てきたけど、散髪して、ビール付き昼飯食って、オヤツも土産に買えてしまった。 これで“シアワセな休日”と、満足してるのだから、ブキッ・ビンタンあたりのラウンジでチャイナ・ガールに熱を上げている駐在さん達と比べると、随分安上がりな日本人だ。


[Ukeyハイツ]
ここは、ビバリーヒルズほどではないにしろ、世の中には沢山の金持ちが居るものだと実感できる地域である。 Jalan AmpangをAmpamg Point手前で左折しJalan Hule Kelangに入ると右手に見えてくるこの小山こそが、高級住宅から下々を見下ろし、ベンツとBMWの行き交う白人リッチマンズエリア、 Ukeyハイツである。インターナショナルスクールに通う私の末娘はこの地域に友達が居るが、おそらく私には友達の友達すら居ないだろう。 高い塀、城のような住宅に珍しい植物、ゲートにはセキュリティ会社のシールと番犬、規模の大きいお屋敷にはガードハウスさえある。 日本の都営住宅大の車庫には高級車が3台も4台も置かれ、専属運転手らしき人が車を洗っている。 天気の良い日に、この小高い山の高級住宅街を散歩するのは排気ガスもなく気持ち良いのだが、“いったいナニをどうすれば、こんなに金持ちに成れるのだろうか?”と、 いつも不可解に思ってしまう場所でもある。 ここには金持ちだけではなく、点在する住宅を囲む自然の森にサルの群れが暮らしている。散歩中に人馴れしたサル達が『お前、見慣れないヤツだな!』といった感じで見下ろしてきたり、 こっちが口笛を吹こうが、声を掛けようが、無視を決め込む老猿が居たりで、場所柄か、サル相手にも卑屈になってしまうエリアなのだ。 ノンビリ寛ぐサルの群に“こっち向け、コラッ!ちょっとは警戒しろ!”などと立ち止まって声をかけていたら、犬を散歩させに来ていたハイソなインド系男性が“ピースフル・ライフだね” と言って通り過ぎて行った。そのときは“そうだよな、ここのサル達はノンビリしてるよな~、なんと平和な”と思ったが、家へ帰って娘にこのことを話したら、 『それって、父さんのことだったんじゃない?』と言われてしまった。サルの他にもイグアナみたいなトカゲや珍しい野鳥に遭遇したかと思うと、麓ではベーカリーで白人が誰かの散髪代より高い カフェオレを飲んでいたりする癪なエリアでもあるのだ。


[Taman Rimba Ampang]
ここは最近発見したのだが、『近場でこんなところもあったのか!』とビックリした自然公園だ。(地元でも知らない人が多いのではないか?) 場所はJalan Ampangをひたすら東へ直進し、Ampamg Jayaの商業エリアを右手に見ながら遠く前方に見える山にぶち当たる直前まで歩き続け、道なりに左折し 『これ以上奥へ入ったら、野生の虎か日系人顔のハリマオでも出るかも知れない』と思い始めるあたりだ。朽ち果てた門のアーチにTaman(公園の意味) Rimba Ampangと表示が無ければ 引き返してしまうほど寂れたところだが、ちょっと歩くと野晒し駐車場があり、お菓子(駄菓子)の出店がポツンとあるので、ここが小さい子供を遊ばせることの出来る公園だと分かる。 中は一本のなだらかな山道が延々と続き、並行して流れる小川で子供達が水しぶきとハシャギ声をあげている。全体像を把握していないので、山道の終点までは歩いたことは無いが、 木々にはカラフルな珍しい鳥が鳴き、昭和の時代を彷彿とさせる出店の周りではサルの群れがエサを狙っている。 ここで子供を遊ばせている人達は(バードウォッチングの為に高価な望遠レンズ付カメラ持参の中国系も居るが) ほぼインド系、マレー系で、あまりお金持ちではない家族だと一目で分かる。 入場料も無いし、出店で子供に買い与えるアイスクリームも数十円で済むので、ちょっと小川の水は濁っているが、休日を安上がりに済ますにはかっこうの場所なのだろう。 ちょっと(いや、かなり)私の自宅からは遠いが、奥多摩の山道のようなこの公園と、そこに遊ぶ子供達の濁りの無い目を、私はかなり気に入っている。



このコラムをダラダラと書き終えてからもアンパン周辺の“未踏破”の道に分け入って歩いてみたら、面白そうなストリートや、入ってみたいレストラン (例えば、フランス大使館の脇道からルーマニア大使館へ出るJalan Damaiの中近東風ケバブ屋)等々、けっこう発見してしまった。 まだまだワケ知り顔で『ボクの住んでいるのはこんなところでねぇ』などとエラそうに言えないな。。。 今思えば以前住んでた東京杉並区や日本社の事務所のある靖国神社周辺ももっと歩きまわっておけばよかった。 今更後悔してもはじまらないが、そんな気持ちが夜な夜な『半日で歩ける江戸・東京散歩35選』なんて年寄りくさい本を手にとらせているのかも知れない。 まあ、終わった過去より今が大切。遠い来世より“現世利益”(笑)だ。さて、今度の休日はどこを歩こうかなぁ。


※アンパン地域について、もっと詳細な情報が欲しいと言われる暇人殿は、下記のサイトでもチェックしてみてくだされ。
こんなドメスティックなサイトがあったのか。。。
あれれ、ウィキィぺディアにも載ってるわ!


(№52. 歩く異教徒 おわり)

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