今年、2007年は2月18日からが「春節(チャイニーズ・ニューイヤー)」だ。 これは中国本土の中国人だけではなくマレーシア国民の3割弱を占める中国系の人達にとってももっとも重要な祝祭日である。 我社のスタッフもほぼ全員長期の休暇を取得し、それぞれの家族のもとに帰り一緒に休暇をすごすことになる。 「春節」とは旧暦の1月1日なのだが、旧暦と西暦のカレンダーはリンクしない為、西暦でいうと毎年違った月日になる。(今年は2月後半でかなり遅めだ) 日常、西暦を使用している現代日本人にとっては、複数の暦(こよみ)が存在し正月が毎年違う日というのも面倒な話だ。 まして、マレーシアではイスラム暦や中国暦(農暦・陰暦・旧暦)等で祝祭日が決められる場合と、8月31日の独立記念日のように西暦で設定されている場合もあるので複雑だ。 更にややっこしいのは市販されているカレンダーにある祝祭日が“変更されるかも知れません(Subject to changes)"と書いてあることだ。 断食明け(ハリラヤ)などは月の満ち欠けの観測により予定日の直前に「今年のハリラヤはmm月dd日からですよ~」と国からの発表で正式決定されるので、 それまでは「暫定」ということなのだ。その他、州によって休日が異なったり、要人が亡くなった場合翌日が突然公休日になったり、と予定を組む立場の者にはかなりシンドイ国なのだ。 話を「春節」に戻そう。 私のマレーシア以外での春節体験はたった3つだけ。 横浜中華街のレストランで食事をしていたら突然派手な鳴り物と獅子舞が始まりビックリさせられたこと。 仕事で行った香港尖沙咀(チムサーチョイ)で見た7折、6折、5折と書かれたバーゲンセールの値札と事務所にあった福橘(福建省のみかん?)。 そして、観光で行ったニューヨークのカナルストリート(チャイナタウン)で屋根から爆竹を投げつけられて爆竹の破片で赤く染まった道を逃げたこと。 実をいうと春節を特に意識したこともなければ、ことさらメデタイと感じたこともなく、「なんかケバケバしく派手で、ひたすらウルサイ祭り」くらいにしか考えていなかった。 正直言うとKLに7年も暮らしている今でさえ“中国系には特別な日”ということは理解しつつも、自分にとっては・・・“日本はお休みではないので出社しないといけない”、“店が閉まってて不便”、 “年度末の繁忙期に迷惑な長期休暇”、“でも、交通渋滞が無くて助かる”等々。。。くらいの感覚しかなかった。 しかし、現在日本から我社に派遣されて来ている日本人2人に、派遣期間中に体験できる唯一の機会ということもあるのか、 『この春節の間にここに滞在できるのは貴重ですよ!』と言われて、ちょっと意識が変わってきた。 自分のことなので客観視出来ていなかったが、KL生活が長くなるにつれ標準的日本人の視点から焦点がズレてしまい、現地のことに対して無感動になってしまっているようだ。 これではマズイ。元々このコラムを書き始めた頃は“日本では体験出来ないこと”を日本の友人達に向けて書いて知ってもらおうといった気持ちが強かった筈だ。 まして『アジア暮らし秘話』などというタイトルは大いに看板に偽りアリ状態だし、以前はポツポツと来ていた“現地レポート投稿依頼”のようなメールもまったく来なくなってしまったワケだ。 コラムも50回を超えた今、若干の反省を込め、世阿弥さんの「初心忘るべからず」の名言を噛みしめつつ、日本人という部外者から見たKLの春節期間のネタを書いてみようかと思う。
例年クリスマスが終わり西暦の新年を迎えたあたりから春節気分が少しずつ盛り上がってくる。 私の休日散歩コースのAmpang Jayaの朝市にも“ニエンカオ”(羊羹みたいな、餅みたいな、見た目ピーナツバターみたいな・・・)が売られ、街の店には恒例の赤と金のお飾りが並びだす。 四季が無く季節感に乏しいKLでも「そろそろチャイニーズ・ニューイヤーか」と認識しだすのがこの頃だ。 春節10日前くらいになると新年用に食品や衣料品を大量に購入する風習が中国系にはあるらしく、 沢山の買い物客でショッピングモールの混雑が激しくなる。 景気が良いことに文句は無いが、買い物客の多さに比例して交通渋滞地域も多くなるは困ったものだ。 運の悪いことに今年はその時期に車が故障してしまい一週間も車無し通勤を余儀なくされてとても苦労した。 朝方、タクシーの空車を見つけるのは一苦労で、たとえ見つかったとしても私の自宅近辺(Ampang)からオフィスがあるPetaling Jaya(通称PJ)まではは殆ど乗車拒否される。 マレーシアでタクシーは客と運転手の合意で取引が成立するので“乗車拒否”自体は特段珍しいことではないが、「PJ ? Heavy Jam ! No lah ! (PJなんて混んでて行けないね!)」 とか誠意の無い態度で言われると、いまだにムカついてしまい、日本語で『真面目に仕事しろや!』と、言い捨てドアをバシャンとやってしまう。 仕方なしに路線バス~電車(LRT)~フィーダーバスと乗り継いで行くのだが、バスはスシ詰めの場合扉も閉めないで走るので低速とは云え危ないことこのうえない。 (ダッシュボートに座っている人も居たりする。。。) 電車は電車で切符を買うのが一苦労、券売機の紙幣読取率が悪いのでほとんどの人が駅員一人が手作業で販売しているカウンターに列を作るのだ。 切符(磁気カード)を買ってプラットホームに並んでも、何かの故障で予定の時間になっても来ない。 やっと来た二両編成(!)の満員電車で目的地に着くと、今度は電車とリンクしている筈のフィーダーバスも乗車してからなかなか出発しない。 結果、2日連続で遅刻してしまった(3日目からは早朝出勤でタクシーをつかまえる知恵がついたが・・・)。 さて「春節」だが、3日前ともなると各店の安売り度が増すのか、出遅れ組が繰り出すのか、ショッピングモールと道路の混雑はピークになり、 ジャスコ、伊勢丹などの日系デパートも営業時間を夜遅くまで延長して稼ぎまくる。 売り場は赤色主体の包装でオメデタイ雰囲気を盛り上げ、ティッシュペーパーやビールのカートンにも紅包(アンパオ:お年玉袋)や“福”の字の判子などのオマケが付き 【得】(“徳”ではない)することが大好きな中国系の心理を擽る。何といっても“オメデタイ”の極めつけはド派手なバックミュージック。 “♪ドンドンチャ♪ドンドンチャ♪”、“財神到(チョイサントウ)♪財神到♪”と完全にお祭り騒ぎ状態で購買意欲を煽り立てる。 安売りの値札とこのハデハデ音楽で半トランス状態になり、手押しカートいっぱいの買い物で散財している中国系のオバサン達がKLの春節前の見所と言ったら失礼だろうか。 春節前の買い物狂想曲は大晦日の夕刻まで続くのである。
大晦日の前日に、CSLを去年退職して中国の深センに“出稼ぎ”に行った元スタッフが“帰国中”とのことで事務所に遊びに来てくれた。こういうことがあるのなら春節も悪くない。 常日頃、“辞めても古巣に顔を出せる会社”でありたいと思い、スタッフにもそういう転職の仕方をしてほしいと願ってる私としては嬉しい出来事であった。 夜になってチャイナタウンに行ってみた。前出の日本からの派遣者2名と共にこの時季のチャイナタウンを味わっておくためだ。 チャイナタウンではビールを飲みながら食事をしたいので自家用車は使わず、かといってタクシーも乗車拒否だろうから、会社の傍のバス停から出ているコタラヤ(チャイナタウンにある百貨店前)行きのバスを使うことにした。 相当の混雑覚悟でバスを待っていたら意外や意外、普段の金曜退勤時の混雑はまったく無く、席は離れているが3人とも座れてしまった。 何故か地元マレー語放送のラジオでかかっていたオフ・コースの『さよなら』を聴きながら到着したチャイナタウンも思ったほどの混雑はなかった。 正月らしさと云えば、夜店で売っている赤と金のお飾りと、Tシャツを値切っているときに『3リンギット、アンパオ、アンパオ(この3リンギは値切らないでお年玉として私に頂戴!)』と言われたくらいで、他はいつもの夜と同じであった。 まあ、よく考えるとチャイナタウンというのは毎日中国正月のような雰囲気を出して観光客を相手にしている中国系のエリアで、その他の中国系はあまり足を運ばないのかも知れない。 以前、「俺はたまにチャイナタウンのライブハウスへ行くよ」と言ったら、ローカルスタッフ(中国系)からは「よくチャイナタウンへ夜行って怖くないですね!」と言われてしまったこともあった。 「春節」=チャイナタウンという安直な発想でコテコテの旧正月気分を想像して来てみたが、ちょっと期待外れのフライディナイトだった。 (この後、移動した別の繁華街も人出はイマイチだったが、混雑が無いことと適度に珍しいものを見ることが出来るので、観光には良い時期なのかも知れない。)
春節前といえば企業経営者にとってはハッピーなことばかりではない。この時季は転職のシーズンでもあるのだ。 春節休暇の前にボーナスを支給する習慣も転職を後押ししているのかも知れない。“カネをもらったら即トンズラ作戦”だ。 我社でも他の会社と同様[退職願]は1カ月前に出すことが条件なのだが、有給休暇の残が20日間以上もある場合、夕方に[退職願]を持参して 「明日から有給消化でもう来ません」などという“賢い辞め方”も可能なのだ。 まして、有給休暇買取制度なる有給休暇の趣旨を無視した労働法があるため、実質存在しない従業員に対して1ヶ月分以上もの給料を支給し続けないとイケナイこともあるのだ。 ドイツなどは年間50日の有給休暇を消化しないと会社が役所から睨まれるらしいが、有給休暇をカネに替えるという発想が労働者の休む権利を侵している (つまり、カネを支払えば休ませなくて良い、カネに替えたいから休暇を取らない)という意見はここでは理解してもらえないのだ。 国や地域そして民族によって仕事に対する価値観が違うのは理解できる。 自らのステップアップの為に今の会社に見切りをつけることも悪いことだとは言わない。 が、引継ぎ無しで転職出来るような職歴とその実力を、新しい履歴書に綺麗に粉飾して得た高賃金を維持するためには、 新たな粉飾で転職を繰り返すしかないのかと、行き着く先を案じてしまう。
大晦日の夜遅くに野暮用で外出したが、ここ数日の交通渋滞が嘘のように道路はスカスカであった。 数多のサイトで書かれている通り春節の前夜を「除夕」といい、家族が集まり一家団欒で「年夜飯(団円飯)」という大晦日の晩餐を囲むのが習わしだ。 昔は手料理と相場は決まっていたらしいのだが、最近はレストランなどですませる家族もあるらしい。 しかし、手料理だろうがレストランだろうが一家にとって家族が顔を合わせ一緒に食べる晩餐は大切な時間である。 家族と遠く離れて働く者達の大多数はこの夕食に間に合わせてチケットを予約し土産を買い帰省するのだ。 実は、こんな大切な日なのに、私は2人のローカルスタッフを1週間前から東京に出張させ、この日の夜遅くに帰国する予定を組んでしまった。 気がついて帰国便を夕方到着に変更依頼したが間に合わず、スタッフには渋々了解してもらった。 帰路、空港から各自宅までの道路は大晦日のためにガラガラだったとは思うが、2人とも「年夜飯」に間に合ってくれていたら良いのだが・・・。 まあ、中国人は大晦日には一晩中寝ない(寝ないと両親の寿命が延びる?)らしいので家族と新年を迎えられるだろう。
時計の針が零時を指すと四方八方から打ち上げ花火の爆音と当地では違法な爆竹の炸裂音が聞こえてくる。 そういう地域では、明朝はライオンダンス(獅子舞)の鳴り物で叩き起こされること必至だ。 例年、この夜と翌朝をピークに15日間(地域によっては21日間)で春節を祝い、街はじょじょにお祭りモードのテンションを下げフェイドアウトして行くのである。
小学校の頃の遠足は当日より前日の方がウキウキした。コンサートも始まる前のあの期待感がたまらない。映画なんかは予告編の方が興奮出来たりする。 何か楽しいことが始まる前は、その“何か”以上に気分が高揚するものだ。マレーシアの春節商戦を眺めていると、そういった心理を露骨に購買意欲に向かわせ てくれるので楽しい。伝統的な春節本来の意義も廃れてはいないと思うが、部外者のひねくれ日本人がKLで見る「春節」とは、ズバリ言うと“消費生活を享受する祭り”だ。 今ビジネス誌などで騒がれている“BRICs (ブラジル、ロシア、インド、中国)”の成長パワーの源も“豊かな消費生活をしたい”という願望だろう。 私にはインドや中国のそれは、資源が枯渇しようが、環境を破壊しようが、伝統を捨てようが、とにかく自分や自分の一族が貧困から抜け出したい、豊かになりたい、贅沢をしたい、 といった欲求を剥き出しにした願望に思えてならない。 一方では物質文明を嫌い何かスピリチュアルなものを求めて東南アジアを放浪する先進国の若者達が居る。 そういうバックパッカー達にマレーシアはすこぶる人気がない。既にある程度豊かになっている国を旅してまわっても、 彼らの求めている精神文明や後進性そして貧困や悲惨さを体感することが容易でないからだろう。 自らは先進国のぬるま湯に身を置き他国には貧困を求める彼らの“知的好奇心”も残酷だが、地球環境がボロボロになろうがとにかく豊かな生活を手にしたいという性も恐ろしい。 バックパッカー達に人気がないことは幸いだが、まだまだマレーシアンのメンタリティは“他人はともかく、自分だけはもっと豊かになりたい”といったところだろう。 ライオンダンス(獅子舞)の終わった後に残された爆竹のゴミを眺めながら、ふと民度の違いを思ったりした。
春節休暇期間の最後にローカル社員(元社員含む)が主催してスチームボートパーティ(鍋を囲んでの新年会)を開いてくれた。 場所は派遣日本人のコンドミニアムだが、鍋や食材はローカル持参で全部手作りだったようだ。 集まったのは仕事上辛いことも共に経験してきたお馴染みのメンバーだ。 もうすぐ子供が生まれる者、転職先での不安を話して来る者、そろそろ結婚を考えないといけない時期のカップル。 皆、思いはそれぞれだが、健康と豊かな生活を祈る気持ちは日本人もマレーシア人も共通だ。 週明けからはいつもの交通渋滞が戻り街も動き出す。皆に“豊かな消費生活”をさせるためにも、今年も頑張らねば。まあ、とにかく恭喜發財(GONG XI FA CAI)だ!。
(№51. 雑感CNY2007 おわり)