№43.短篇音楽小説3『The Kids Are Alright』


その店のマスターが自殺したと知ったのは店のBBSでだった。 いや、正確には自殺なのか病死なのか、馴染みの客でもなく、まして遠く離れた場所に暮らしている俺には未だ分かっていない。 死を知らせる友人の書き込みから逆に辿ると、 「店が閉まっているけど何かあったの?」と、いったメッセージがいくつか続いた後に、 「只今のBGMはドアーズの“The End”」と、彼の意味深な最後の書き込みがあった。 その店とは、以前新宿で〔ケイ〕と落ち合ったカウンターだけのロックバーだ。 マスターは、最近では珍しいくらいの気配りができ、且つハッタリの無い、所謂“出来た人”というのが、2度ほど客として対面したときの印象だった。 しかし、友人でもなく、ただ客として2、3度すれちがっただけの同世代の男性の死が、妙に心に引っかかるのが自分で不思議でならなかった。


最後にその店に行ったのは、昨年11月中旬の寒い夜だった。 大久保のコリアンタウンで、久々に満足行くケジャンを食って気分が良いまま、新宿三丁目のその店に流れたのだが、その時のマスターの態度が、以前の優しい気配りのあるそれとは一変していたのだ。 別に客に毒づくわけではないが、何かに追われているようで、客をかまう余裕も無く、何を言っても“上の空”で、以前と極端に違って居心地が悪い店になってしまっていたのだ。 そのときは、その雰囲気に耐え切れず早々に店を出てしまい、それ以来当然のように一度も足を向けることはなかった。 彼の死を知ってから約1ヶ月半後の11月中旬の今日(ちょうど最後に店に行ってから1年だ)、仕事の都合で来た新宿から、三丁目まで歩いて、その店のあった雑居ビルの下まで来てみた。 もちろん看板は出ていなかったが、新しい店子が入っている様子もなく、僅かばかりの名残りに店の名前が書かれた窓ガラスが寂しげにくすんでいた。 花でも買って置いていこうかとも思ったが、友人でもなかった人のためにする行為としては、あまりに気障で芝居臭いと思い、周囲に気付かれないように小さく合掌してその場を離れた。


『おじさん、あの店行ったことあるの?』
夜の賑わいとはちがい、寂れた感じの飲食店街を、地下鉄の駅に向かう途中で後ろから声を掛けられた。 振り向くと17,18歳の少年が立っていた。 破れたジーンズにスニーカー、左利きのカート・コベインが生ギターを弾いているTシャツ、その上に安物のジャンバーの重ね着、髪は短髪、手には膨らんだドラムスティックのケースを抱えている。
『キミは学校で目上の人に対する口のききかたを教わらなかったのか?そういうときは“スミマセン突然失礼ですが・・・”とか言って話を切り出すもんだ』
ちょっと年寄り臭いとも思ったが、この手の若者と話すときは最初に上下関係をクリアーにしておかないとナメられる。
『ああ、ごめんなさい。でも僕の周りの大人でそんなこと言う人居なかったので・・・』
『まあいい。で、何が訊きたいんだい?』
『何でもいいからあの店、いや、店に居たマスターについて知りたいんです』
『でも俺はマレーシアに住んでるんだよ。あの店には3度しか行ったことがない。だから何も知らないと同じだな』
『でも、外国からわざわざ3度も来てるってことは、相当音楽好きで色々な話をカウンター越しにされたんじゃないですか?』
『なんだ、ちゃんと敬語を使えるじゃないか。最初からそう話せよ』
『失礼しました』
『悪いが本当に大したことは知らないんだ。どういう興味で彼のことを知りたいかは分からないけど時間の無駄だと思うよ』
『とにかく、どんな些細なことでも知りたいんです。逢ったことの無い親父のこと・・・』


駅の近くにある「ルノワール」という喫茶店に入り話をすることにした。 火曜日の午後2時半だというのに、贅肉をシコタマ蓄えた背広の紳士達がスポーツ誌を読んだり、うたた寝をしたりして時間を潰している。 こういう店で“5億だ,10億だ”と不動産転売の話をしている脂ぎった中年達を20歳代の頃の俺は嫌悪していた。 目の前にいる俺の息子と同年代のこの子から見ると、今の俺はそいつ等と同じに映るのだろうか・・・。 〔コージ〕と自ら名のったこの少年に、俺は、自分の知っているあの店とマスターのことを全部話した。 最初に店で会ったマスターの印象。 メニューに大量に書かれたミュージシャンの名前を見て、マスターの年齢を当てたこと。 お互いに若い頃、いくつも同じ外タレコンサートに行ってたこが分かり意気投合したこと。 古いロックを知らない〔ケイ〕にも気配りしてくれたこと。 ジミー・ペイジを真似ているという髪形を、ルー・グラムだと言いシラケさせたこと。 とっておきのキース・リチャーズのダメ演奏のブートを聴かせてくれたこと。 かなり酔っていて、音楽の話でからむ俺にも、まともに対応してくれたこと。 店のBBSで交わされていた話題のこと。 新宿三丁目は海賊版の聖地だと胸を張っていたこと。 近くにある老舗ロックバーの変わり具合を嘆いていたこと。 最初にリクエストしてみたグレッグ・オールマンの“レイド・バック”が店になくて悔しそうだったこと。 カウンターに埋め込まれたライトのこと。 そして、最後に行ったときに、何かに追われているような心配事があったみたいだったこと。 〔コージ〕は笑顔で俺の話を聞いていたが最後の“心配事”の部分で小さく反応した。 そして、“それはいつ頃ですか?”と問い“ちょうど1年前だ”と答えると、暗い表情で黙り込んでしまった。 何か心当たりでもあるのかも知れないが俺が興味本位で詮索すべきことじゃない。


『キミはドラム叩くんだね』
長い沈黙に負けて口を開いたのは俺の方だった。いや、内心“余計なことを言ってしまったかも知れない”という思いが話題を変えようとしていた。 幸い話にのってきた。
『はい、今は古いビート系のバンドで叩いてますが、やはりバークリーとか行って勉強したいと最近思ってます』
『俺の息子もキミと同世代だよ、ベース弾いてる』
『そうなんですか?』
『ただ、左中指をスポーツ中に骨折しちゃってね、大切な指だからって母親が家の近くにある外国人御用達の大病院に連れてった。骨はやたら大きいネジぶち込まれてつながったけど、術後のケアを医者がちゃんとしてくれなくてね、皮膚と腱が腐ってしまったんだよ。信じられないだろ?』
『左中指って言ったらベーシストの命じゃないですか!で、どうなったんですか?』
『皮膚が腐って指の骨が見えるまでになっても医者が適切な処置をしないので、通院中に母親も息子も不信感いっぱいで医者に色々言ったけどダメだった』
『酷いな~、日本では考えられませんね』
『いやいや、最近は日本でも医療ミスは沢山報道されているよ。実際表面化するのは生死にかかわるものだけだろうから、実体はもっと多いだろうな』
『それで腐ってしまった皮膚と腱はもうだめなんですか?』
『そのままではダメだったけど腕からの移植手術でなんとかなったよ。もちろん違う病院でね。新しく行った病院のインド人ドクターは高度の技術で有名だそうで、失敗した手術の後処理が多いって噂も聞いた。今思うと最初からこの人に頼んでおけばよかったと後悔しているよ』
『ベースは弾けるようになるんですよね?』
『それは大丈夫。この一件で息子は自分の中でプロを目指す踏ん切りがついたみたいだよ。最初の大病院であれほど“大切な指なんだから・・・”と懇願していたのにもかかわらず、まともなケアもしてもらえなかったのが奴に火を付けたみたいだ』
『最初に行った大病院は当然責任をとって何か補償とかしてくれるんですよね?』
『こちらから文書で抗議して一度話し合いに行ったけど、“ベストは尽くしたけど不幸な結果でしたした。”だとさ。再度抗議文送ったけど時間稼ぎばかりしやがる』
『それで終わりなんですか?自分の身内がそんなことされて“不幸な結果”だけで片付けられたら、僕だったら違法なことをしてでも責任とらせると思うけど、それに手術代とかも相当するんでしょ?』
『そんな簡単に終わらせはしないさ。俺も元ロッカーだからな。けっこう尖がった仲間達もいるし。(笑)』
『なんか大変そうだけど・・・でも、いい話ですね。ちょっと羨ましいです』


死んだ親父の話を聞きたいと言ってきた少年を前に、無神経な話をしてしまった後悔が俺を沈黙させた。

『そろそろバイトの時間なんで失礼しなきゃ、その後スタジオなんですよ。今日は忙しい日だな~』
俺が沈黙してしまった理由を悟ってか、つとめて明るく〔コージ〕は言った。 どういう境遇で育ったかは知らぬが、他人を思う気配りは確実にマスターの血を引いているように思えた。 勘定を払い喫茶店を出たところで、俺は自分の名刺を渡した。
『遠くにいるのであまり力になれないとは思うが、何かあったら連絡しなさい』
こんなセリフを吐く場面を、子供の頃映画で見たような気がした。
(父親を失った子供に父親の親友が言う、Keep in touch ! )
『ありがとうございます。でも、僕大丈夫です。心配しないでください』
そう言いながら名刺を丁寧に返して来た。(頼るものがあるとダメになる・・・か)
『わかった。じゃあな』
『あのぉ、実はマスターは僕の親父ではなくて一年前に死んだ親父の親友だったんです。あの人に惚れてたっていうか・・・だから知りたかった。あの人のことも、あの人を通して親父のことも』
『どっちでもいいさ』
『嘘言ってごめんなさい。色々聞かせて頂いてありがとうございました。じゃ行きます、さようなら』
『うん。(頑張れよ)』


歌舞伎町方面に歩き去った〔コージ〕は途中遠くから一度だけ振り返り、「息子さんによろしく!」と、言うようにベースを弾く真似をして見せた。 俺もジョークでピート・タウンゼントの振り真似で「過激に行くぜ!」答えた。 曇っているが寒くは無い。 ただ、三丁目で新しいバーを探すにはまだ外が明る過ぎた。


(№43.短篇音楽小説3『The Kids Are Alright』 おわり)

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