今年(2005年)の元旦に『何でも良いので本を100冊読む!』と誓いを立てた。100冊の数え方は極めて単純。マンガ以外なら小説でも技術書でも薄い文庫本でも分厚い長編でも、とにかく一冊は一冊としてカウントするルールだ。当初は『月間10冊弱なんて読み易い推理モノを入れれば楽勝だな。』などと強気でかまえていたが、イザ仕事が立て込んでくると一冊も読めない月が続いたりして、9月初旬で実績30冊と目標達成が今年のジャイアンツのリーグ制覇の可能性と同様絶望的なことになってしまっている。残り4ヶ月で70冊は児童書でも読まない限りは難しいところだ。『じゃあ今までどんな本を読んでいたの?』と興味を持つ方はかなりの好奇心をお持ちだ。どんな本を読んでいるかを公表することは自分の裸を世間に晒しているようで恥ずかしいが、今年の夏の終わりまでに読んだ本は下段のリストの通りだ。どちらかというとノンフィクション系が好みの私にしては前半極端に小説が多いのが今年の読書の特徴だ。今思えば正月早々から仕事上の問題が多く、どこかで現実から逃避したい気分が小説ばかりを手に取らせていたのかも知れない。小説にせよノンフィクションにせよ、私にとって本を読むということは娯楽であり勉強でもあり、またあるときは現実逃避の簡易ツールであったり精神安定剤であったりする。かなり以前より日本人の“読書離れ”がメディアで嘆かれているが、私の場合はマレーシアに来てからはあまりテレビを観なくなった為か自然と何かを読む習慣がついたように思う。マレーシア人の読書事情はどんなもかは知らぬが、ローカルスタッフを観察しているとあまり本を読んでいるようには見えない。『俺は月に数冊は本読むよ。』と言うと、信じられないといった顔をされるぐらいだからほとんど本にはカネを使ってないのではないだろうか?まあ、私の場合も毎月大金を読書につぎ込んでいるワケではなく“そこに本があるから読む”程度なので偉そうなことは言えないが。
“そこに本があるから読む”という言い方は気障に聞こえたら本意ではない。我家には実際かなりの数の本が買ってもいないのにあるのだ。今年読んだものも自分で購入したものは3分の1くらいで、その他はマレーシアより日本に帰国する本好きの人達からもらったり、日本人会のライブラリで不要になったものを図書整理ボランティアをしている妻が譲り受けてきたりしたものだ。 意外に思われる方も多いかも知れないがクアラルンプールにも日本の有名書店があり、当然日本の最新のベストセラーや話題本も購入できる。しかし、日本の書籍はかなり割高で私からみるととても簡単に買う気になる価格ではない(文庫本でRM30~RM50といった価格は現地人感覚だと日本での3千円~5千円くらいになる)。昼飯が10回も食べられる金額を文庫本一冊に費やすのはさすがに惜しい。以前は“ニコニコ堂”なる日本書を扱う古本屋さんに買出しに行って低価格本を大量に仕入れていた時期もあったが、最近は日本人会のライブラリから妻が借りてくる新刊や帰国者の処分本を中心に、東京出張時に買ったり貰ったりする僅かな数の文庫本を足したものが私の読書対象の全とあえて限定している。東京在住であった頃の“どんな本でもいつでも手に入る”状態と比較すると極端に選択肢を狭めたカタチだ。
以前、マレーシアから東京へ帰国したばかりの友人が『携帯電話を買いに行ったら機種が多すぎて困った。選択肢の多いことは良いことなんだろうか?』と言っていた。確かに選択肢が多いことはある意味素晴らしいことだが、私の“KL超私的読書事情”の場合は“選択肢の狭さ故に世界が広がる”という節約型新発見パラドックスなのだ。自分で購入したわけでもない知らない作家の本に囲まれて、『この中から次はどれを読もうか?』と思案することを最初は苦痛であったが、気の進まぬ作家の小説も読んでみると意外と面白かったりして、“食わず嫌い”ならぬ“読まず嫌い”であった自分を実感する のだ。以前だったら本屋では絶対買わなかっただだろう作家を“これだけしか読むものがないから・・・”と読んでみるのは新しい発見があって良いことだ。限定された環境の方が目移りしないしその分集中できる。通勤電車や飛行機の中で“ほかに出来ることが無いから本を読む”状態に似ている。経験は無いがきっと刑務所の中で差し入れされた本を読むなんてとても集中出来て頭に染みるのではないかと思う。 考えてみると私は選択肢が少ないのは嫌いじゃない。KLのチャイナタウンにジャージャー麺だけの店があるがメニューに“大”と“小”しかないなんて潔くてステキだ。昔の牛丼屋の“並“と“大盛”のみ、ってのも捨てがたい。音楽も多作なミュージシャンより寡作なアーティストが好みだし、異性の選択肢が多いプレイボーイが婚期を逃がすのもザマぁ見ろだ。選挙にしたって新党乱立では二大政党化は進まなく勝ち組政治は続きそうで困るが、それより東京の地下鉄はYahoo!路線情報無しでは私にはもうお手上げ状態。リンクの多過ぎるWebページは大嫌いだし多機能携帯よりボタンの少ないツーカーが良い(これは単なるオジサン化かも知れないが・・・)。
脱線したので話を本に戻そう。勘違いしてほしくないのは“選択肢を狭めたから相対的に本の価値が上がった”と言っているのではなく“選択肢が多過ぎて良いものを見逃してしまっていることがある”と言いたいのだ。突飛な例だが、お祭りの縁日で売っているものはその場では魅力的だが家に帰ると“何でこんなもの500円も出して買ってしまったのか?”と思うことがある。これは縁日という特殊な空間でこそ魅力的であって実生活に持ち込むと殆ど価値が無くなってしまうものなのだろう。逆に名作と言われている本はどんなに装丁がボロボロになっても、“廃棄本”とスタンプを押されていても内容は不変だ。美しい装丁と大々的な宣伝の平置本の山の外ではまったく魅力的には映らないだろうが絶対的価値は変わらないのである。変わっているのは何か?それは我々の目が豪華さや新しさばかりに向いてしまい本当の価値を見逃しているのだ。現に大昔に死んでしまった古い作家でも新装丁で全集などにすると“ちょっと系統立てて読んでみるか?”などと思ったりするものだ。しかし、日本を離れて日本の書物がムショウに読みたくなり、少ない選択肢の書物を読み進むうちに日本に居た時には知らなかった日本のことを少しずつ知るようになったのは皮肉なことだ。
美しくも新しいが空虚なベストセラー。一方、見てくれは無様だが不滅の光沢を放つ名作。どちらの良さも併せ持つ人間になりたいとは思うが、その前に後者の価値を見分けられる目だけは持ちたいものだ。
【2005年夏の終わりまでの読書記録】
1.[無限連鎖/楡 周平]
2.[量刑(上)/夏樹静子]
3.[量刑(下)/夏樹静子]
4.[瑠璃を見たひと/伊集院静]
5.[変身/カフカ]
6.[永遠の仔(上)/天童荒太]
7.[永遠の仔(下)/天童荒太]
8.[やがて中国の崩壊がはじまる/ゴードン・チャン]
9.[同窓生/新津きよみ]
10.[招待客/新津きよみ]
11.[郵便屋/芹沢準]
12.[13番目の人格(ISOLA)/貴志祐介]
13.[マンゴーレイン/馳星周]
14.[最悪/奥田英朗]
15.[ハサミ男/殊能将之]
16.[白夜行/東野圭吾]
17.[懲戒解雇/高杉良]
18.[死者の木霊/内田康夫]
19.[人質カノン/宮部みゆき]
20.[漂泊の楽人/内田康夫]
21.[シーラカンス殺人事件/内田康夫]
22.[『信濃の国』殺人事件/内田康夫]
23.[追分殺人事件/内田康夫]
24.[夜離れ/乃南アサ]
25.[東条英機―大日本帝国に殉じた男/松田十刻]
26.[アジアの悲劇/長谷川慶太郎]
27.[海と毒薬/遠藤周作]
28.[新版 年収300万円時代を生き抜く経済学/森永卓郎]
29.[たかられる大国・日本/浜田和幸]
30.[中国農民の反乱/清水美和]
【その後年内に読んだ本(2006年1月1日追記)】・・・目標達成ならず(涙)、2006年ガンバロー!
31.[戦後政財界戦国史/淺川博志]
32.[マリアプロジェクト/楡周平]
33.[幕末維新列伝/綱淵謙錠]
34.[小説海舟独言/童門冬二]
35.[人を育て、人を活かす 江戸に学ぶ/童門冬二]
36.[うたかた・サンクチャリ/吉本ばなな]
37.[とかげ/吉本ばなな]
38.[魔術はささやく/宮部みゆき]
39.[40歳から伸びる人、40歳で止まる人/川北義則]
40.[黒龍の柩(上)/北方謙三]
41.[黒龍の柩(下)/北方謙三]
42.[新歴史の真実混迷する世界の救世主ニッポン/前野徹]
43.[林真理子の名作読本/林真理子]
44.[やさしいJava 第2版/高橋 麻奈]
45.[発火点/真保裕一]
46.[沈まぬ太陽(アフリカ篇上)/山崎豊子]
47.[沈まぬ太陽(アフリカ篇下)/山崎豊子]
48.[沈まぬ太陽(御巣高山篇)/山崎豊子]
49.[沈まぬ太陽(会長室篇上)/山崎豊子]
50.[沈まぬ太陽(会長室篇下)/山崎豊子]
51.[熊野古道殺人事件/内田康夫]
52.[国境の南、太陽の西/村上春樹]
53.[秘境・近境/村上春樹]
54.[ステップ・ファーザー・ステップ/宮部みゆき]
55.[とり残されて/宮部みゆき]
56.[カヌー犬・ガク/野田知佑]
57.[奇跡の山/坂井ひろ子]
58.[スクランブル/森瑤子]
59.[情事/森瑤子]
60.[改訂版Java言語プログラミングレッスン(下)/結城浩]
61.[長い長い殺人/宮部みゆき]
(№44.KL超私的読書事情 おわり)