№36. 短篇音楽小説1『I Go Wild』


40年近く前から、シーンの頂点にいるロックバンドの名前を冠したその店の前に立った俺は、ドアーを開けるか一瞬躊躇した。 中からは若かった頃のミック・ジャガーが、「ケネディを殺したヤツがどうのこうの...」と叫ぶ声が漏れ出してくる。 意を決して重い扉を押すと、音圧と一緒にカウンターの中からの冷たい視線が飛んできた。 長髪の、若くもない店員の目は、「おっさん、入る店間違ったんじゃねえのか?」とでも言いたげだった。 この手の老舗の客の品定めに、いちいち目くじらを立ててもしょうがないので、長髪男を無視して暗がりの中、空いているボックス席に腰を落ち着けた。 オーダーしたバーボンが運ばれて来た頃には、地下の暗さに目がなれていた。 見回すと24年振りに覗いてみたその店は、何と当時とまったく同じ印象だった。 出入口横のDJブース、巨大なスピーカー、時代から置き去りにされたような、一癖ありそうな客層。 違いと言えば、40歳前後の男がグラス片手に一人憑かれたように踊っていることと、壁に貼られた主人公達のポスターの顔に、皺が増えたことくらいだろうか。 テーブルにあったリクエスト用紙に、何か書いてみようと思った。 オーディオスレイブ、などと書くほど若くもないし、ロックバーでエルモア・ジェイムスなどと、無粋なこともしたくなかったので、「エクスタシー/ラズベリーズ」と書いてみた。 別にこのバンドが特別聴きたかったワケではないが、妙にレイドバックして煙草をふかしているDJブースのお姉さんを困らせてやろうと思っただけだ。 企みはあっさりと退けられ、エリック・カルメンの歌が聴こえてきた。DJブースのお姉さんは、何事もなかったように煙をくゆらせている、“俺の負けだな...”。 隣の広いボックスで戯れていた外人と女が、時間を惜しむように出て行く。 替わりに入って来た若いカップルは、最近の曲をリクエストしたかと思うと、突然弾けたように踊り狂いだした。 その隣で、クライアントとの接待を終えて一息ついた、40代半ばの俺が飲み直していても不自然でないこの店も、実に妙なところだ。


〔ケイ〕を待つ間の時間潰しに、突然思い立って新宿に来た。 奴は仕事の関係で深夜にならないと体が空かないらしい。 〔ケイ〕との出会いは新高円寺の居酒屋だった。 友人2人と飲んでいた俺は、ちょっとしたことで喧嘩になってしまった友人同士を仲裁していた。 結局、気の荒い一人はグラスを床に叩きつけて出て行き、気の弱いもう一人は、一万円札を俺に投げつけて帰って行ってしまった。 一見の客だった俺は、怒る店の主人と常連客達に頭を下げながら、砕けたガラスを拾い集めざるを得なかった。 「まったく非常識な奴等だ!」と常連客の中で一番若そうな奴の、無神経な言葉にキレかけた時に、「手伝うよ!」と、声をかけて来たのが、痩身でボーイッシュな女の子のような顔をした彼〔ケイ〕だった。 当時彼は、近所で何かの店をやっていたが、子供が生まれるのを境にして店は廃業したらしい。 35歳前後だと思うが、年齢や生い立ちについて詳しく聞いたことはない。 今どんな仕事をしているのかも知らないが、昔両親の都合でバンコクのスクンビットという所に住んでいたことだけは楽しそうに話してくれたことがある。 俺も一度だけ、パタヤ行きのバスが出るターミナルから、その地区を日射病を恐れながら歩いたことがあるが、奴の話に相槌を打つ程度しかそこは知らない。 年齢も、境遇も、音楽の趣味(俺はエルビス・コステロなんか聴かない)も、自由になる金もかけ離れている筈なのに、奴とは妙にウマが合う。 最近になって俺が東京に出てくる時は、〔ケイ〕の携帯にメッセージを入れておき落ち合うことが多くなった。 別に会うことに大した理由はない。仕事仲間とばかりでは話題も広がらないし、かといって一人で居るのも面白くない。 奴と会っている時間は、気を遣うことも無いし、嘘をつく必要もない、要は自然体で居れば良いのだ。 自分ではそんな程度だと思ってはいるが、そう思うことにしているだけなのかも知れない。 しかし、今回3晩しかない東京滞在のうちの、大切な最後の1晩を〔ケイ〕と会うことにしたのは「聞いてほしい話がある」と言ってきたからだ。


暫くスピーカーから流れる分厚い音の洪水に身を委ねいてた。 “ロック”という名の語源が、岩のような音圧だと嫌という程再認識させられたが、悪い気はしなかった。 そろそろ、すっかり水っぽくなってしまった3杯目のロックグラスを飲み干して、席を立とう思っていると、踊っていた40歳前後の男が、俺に笑顔で近づいて来た。 若干の酔いと視力が衰えているせいで、彼がフロアにいるときは気がつかなかったが、近くで見るとどこかで見たことのある顔立ちだった。 が、きっと錯覚だろうととりあえず自分で否定しておいた。

『お客さん、間違って入って来たわけではなかったんだね、見てて分かったよ音楽好きだってこと』
『ああ、昔来たことはあるよ、ここは変わらないね』
『実はオレはここに酒を卸している業者なんだ。今ここにいるのは仕事か趣味か分からないけどね』

と、自分のことを“オレ”と呼んだその男は、ある大手酒メーカーの名刺を出した。 “藤倉剛”名刺に書かれた名前をみて、俺は今し方否定した錯覚を再度否定しなければならなかった。

『藤倉って、お前、あの藤倉か?俺だよ前川、一緒に福生でいつも遊んでいた!』
『やっぱりそうか、入って来たときから気にはなっていたんだ、でも凄い偶然の巡り合わせだな、今何やってんだよ?』

偶然、四半世紀ぶりに目の前に現れたこの高校時代の親友を、俺は素直に喜べないところがあった。 学生時代は一緒にバンドも組んでいたし、お互いの家を遊びに行き来したものだった。 が、卒業と同時に疎遠になり、まったく交流がなくなってしまった。 当時人伝に聞いた噂では、音楽絡みの口論で傷害事件を起こし、危ない薬にも手を出して、警察沙汰になっているらしいとのことだった。 俺の長女が生まれる前日に一度だけ、誰に聞いたか俺の引越し先に電話をして来て“ギクリ”とさせられたこともあった。 この再会をどうしたものかと逡巡している俺の気持ちを無視して、彼は昔の友人のことを喋り出した。

『同級生の入間覚えているか?奴は柄にもなく小説書いて、群像だかなんかの賞とっちゃって、一時期カネまわり良かったみたいだぜ、死んだ中上健二が当時絶賛しててさ、雑誌とかにも出てて、そのまま行けば大作家とまでは行かないまでも、流行作家くらいになれるかと思ったよ。だってあいつ俳優にしたってイイくらい美男子だったもんな、でも、オレは村上龍の処女作の方が強烈だったけどな、そういえば最近はあんまり本屋であいつの本見ないな...。そうそう、在日二世の松中先輩、昔よく親父さんに焼肉シコタマ食わしてもらったじゃん、もうずっと会ってないけど、俺達一番世話になってたんじゃないか?親父さんの仕事が上手く行ってないって聞いてたので心配だよ。お前は松中先輩から誘われて、ライブハウスとか高校生のクセに出てたろう、その時ベースやってた大町さんは、今は妹尾のローラーコースターにいるよ、大町さんが“オーティス・レディングとサム・クックの名前は前川から教わった”って言ってたけど本当かよ?プロに影響与えた人物ってか?、そういえば、お前まだギター弾いてんの?お前はいつもリードで、オレはサイドしかやらして貰えなかったな~、まぁ、しょうがないけどよ。音楽室でコンサートやる直前に、お前体育の授業の棒高跳びで左手首折っただろ、やっとオレもリード弾けると思ったけど、結果は散々だったよ。あまりウケないんで、レスポール床に叩きつけてぶっ壊したら、やっとウケたよ(笑)。あの頃はメチャクチャやってたけど、今はけっこう真面目に仕事してるよ、歳もとったしな、最近は白髪も増えて来たんで家で、“Paint it Black”なんか歌いながら髪も染めてんだ。ちょっと意味違うか?』

目の前で懐かしそうに昔話をする藤倉も、噂ほど堕ちてはいなかったようだ。 大手酒メーカーの名刺が本物なら、役職は年齢と比べ低いが、立派な社会人として生きて来たのだろう。 シド・ビシャスのように死んでしまうのではと勝手に想像していたのだが、それはそれで良いことだ。 それにしても、そろそろ〔ケイ〕から携帯へメッセージが入る頃だ。 しかし地下のこの店では受けられない。 まして、その昔、藤倉の話の腰を折って殴られた下級生を知っている俺は、気軽に「今日はこれで!」などと言うべきでないことも知っている。 追加のバーボンをオーダーしつつも、少々苛立ち始めた俺を気にせず藤倉の話はつづく。

『米軍の横田基地に、お忍びで有名バンドが慰問に来るって聞いて、NCOクラブとかGIの友達つくって入れてもらったよな。実際かなりの大物が、アメリカから直接基地に来て演奏してたらしいぜ。一度なんか、デビッド・ボウイが来てるとか噂になって、思いっきり期待して行ったら、福生のUZUで演ってる日本のバンドだったりしてがっかりしたよな。でも基地に入るとでっかいピザとか食えたり、アメリカ製品のマーケットとかあったり、楽しかったよ。年に一度の基地解放カーニバルには、雨のなか自転車で行った記憶があるよ。C-130輸送機に入れてもらったけど、あんなのに乗って戦争行くのはゴメンだな。でもさ、米兵の車のトランクに入って、兵舎まで行ったのはお前くらいのもんじゃないか?兵隊が沢山ベッドで寝ている所で、アコギ弾いて来たって言ってたけど、基地から出る時にM16とか持った警備兵に何て説明したんだよ?オレも相当無茶やってたけど、お前はサラリと無謀なことやるところがあったよな。そうそう、野音にルージュ見に行ったときなんか、オレが酔っ払ってホワイトの瓶割って警備室みたいなとろに連れて行かれた時、お前友達の代わりに謝罪するふりして“スミマセン”なんて付いてきて、ちゃっかりルージュの楽屋行って話してたよな。野外のコンサートなんか行くと、いつもお前は客席に居ないでステージ横からモニターの音聴く癖があったよ。どこか冷めててさ、熱狂している客を見るのは好きだけど、自分では熱狂出来ない奴なんだよお前は。高3の時の文化祭で、お前が監督で映画撮っただろ、その1シーンに赤ちゃんをビルから落とす場面があったじゃん。実物大の人形持って駅前の西友に撮影に行ったとき、お前ったら平気な顔して“屋上から投げ落として!”なんて言うから、本当にやったら買い物客に通報されちゃって、警備員に囲まれてエライ叱られたよな。まあ、今となっては笑い話だけどよ』

自分でも忘れてしまったようなことを藤倉はよく覚えていた。 それだけこの目の前の男と、よく一緒に遊んでいた証拠なのかも知れない。 夜も更けて来てさすがの藤倉も時間が気になるらしく、時計代わりの携帯電話を確認している。 コイツの明日の朝は、早いのか遅いのか不明だが、そろそろ切り上げてほしい気持ちがピークに近くなって来た。 しかし、まだ終わりではなかった。

『基地と言えば、アレも面白かったな~。秋川のサマーランドで3日間ぶっ続けのコンサートがあっただろ。斉藤哲夫が珍しくドゥービーみたいな演奏してる時にさ、近くに座った女の子達が米軍の友達のミスター何某を探したいって言って来て、後日、米軍関係者が多く住むジャパマーハイツに一緒に探しに行ったじゃん。1日かけて探して、夕方頃家が見つかってさ、玄関のベル鳴らして“この娘が貴方に会いたいって言ってますよ”って英語で紹介したときのあの黒人兵の驚き方ったら傑作だったよな。中から鬼のような形相で奥さんっぽい女が睨んでた(笑)。困惑しながらもそいつったら“コーヒーでも飲んでいきなさい”なんて紳士面しやがったよな。お前その時、ヌケヌケと家の中に入って行くから一緒に行ったけど、何にも気付いていなかったのかよ?黒人兵が聴いていたレコードみつけて“私もアベレイジ・ホワイト・バンド大好きです”なんて片言英語で言ってたぜ。ソウルシンガーみたいな兵隊がAWB聴いていたのもジョークっぽかったけど、あんなゴツイ奴がオドオドしているのはちょっと可愛そうだったな。俺達皆が帰った後、家の中から東洋系の奥さんの怒鳴り声と、鍋かなんかを何かを投げつける音が聞こえて来てたのには映画でも見ているみたいだったぜ。実を言うと、オレもそれを聞いて事の成り行きを悟ったんだけどな、はっはは。“ジャパマー”って言ったらよ、あの辺って大麻とか庭で栽培してるとか噂されてたけど、お前は煙草も吸わなかったからな、大した意思の強さだよ。高校の卒業パーティーの二次会で、元担任の金山から“前川も煙草吸ってたんだろ?”ってカマかけられてたけどオレが“オレは右手が黄色くなる程吸ってたけど、前川は本当に吸ってねえよ”って証明してやったもんな。あやうく“酒は飲んでたけど煙草は...”って言いそうだったけどな(笑)。先公と言えば、高2のときの担任で梅田って体育教師が居たよな、お前は“僕より意識の低い人間に自分を評価されるのはゴメンだ!”なんて言ってたな。あと、詳しくは忘れちまったけど、国語の授業で坂口安吾の“白痴”かなんかの感想文でお前は“白痴が白痴のままで居られればそれは幸せなこと、正常に戻る方が不幸だ!”って書いて、国語の担当教師に“バカらしい!”と叱られていたな。それ聞いて芸術家肌だったキーボードの黒石が国語の教師に怒っていたのも憶えているよ。黒石もお前に似て意固地なところあったからな、はっはは。おっと、もうこんな時間だオレはそろそろ帰るぜ、悪いな』


藤倉の独演会から解放されたときは、既に朝4時を回っていた。 こちらの連絡先を教えろと言われなかったのが不思議だったが、“もう仕事は休めない”と、妙に現実的なことを言い残して帰っていった。 外に出て早速携帯でメッセージ要求すると、音声の伝言は無くメールのみ3通来ていた。 “呼び出し音が嫌いなのでメール以外するな!”と言う俺の我侭を〔ケイ〕はこんなときも尊重してくれているようだった。 最初のメッセージは「仕事終了、今どこですか?」、次に「連絡待ってます」、最後は「カエリマス」だけだった。 最後のカタカナで、連絡しなかった俺を非難しているのが分かる。 「聞いてほしい話がある」と言われ会う約束をしたのに、会ってやれなかった。 いや、事実上すっぽかしてしまった。 メールで謝る手もあるが、今は何をしてもどうにもならない気がした。 “〔ケイ〕にはまた次の機会に埋め合わせするさ”と無理やり気持ちを切り替えた。 だが“お前はサラリと無謀なことやるところがあったよな”と、藤倉に言われた言葉の方が頭から離れなかった。 何十年も会ってなかった藤倉は知る由も無いが、実は俺は、そんなことを言われるには程遠い人間になってしまっているのだ。


長話に付き合い飲んでいたため、ちょっと酔い覚ましに歩くことにした。 今年は冷夏なのか、8月だというのに冷たい小雨の中、ウインカーを点滅させて擦り寄って来るタクシーを断り、俺は四谷三丁目方面に歩いた。 歩いていて、何故か、さっきまで俺に話かけていた藤倉の顔を思い出そうとしても、18歳の頃の、幼いが挑んでくるような奴の顔しか思い出せないのが不思議だった。 奴の人生設計では19歳の7月3日に死ぬ筈だった。 それは奴の好きなブライアン・ジョーンズとジム・モリソンの命日だ。 “前川よ、人生なんてゲームだぜルールなんて糞食らえだ!”高3の夏、何かと暴走する藤倉を柄にもなく諭したときに、奴が俺に言った言葉が麻痺した脳みそを駆け巡る。


その夜は、定宿までどの位の時間歩いただろう。酩酊のままフロントで鍵を受取り寝てしまったようだ。 “I Go Wild”(10年前に今の俺より年寄りだったミックが叫んでいた言葉)、殴り書きでそう書かれたメモが、ライティング・デスクの上に載っていた。


(№36. 短篇音楽小説1『I Go Wild』おわり)

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