№22.人間関係、ネットで変わるか?


今やメールアドレスを持っていないとお友達も出来ない程広く浸透した感のあるインターネットだがここマレーシアも同様である。在マ日本人社会では日本語PCは簡単に手に入るし海外に生活拠点があるということもあり普及率は日本国内よりも大きいのではないかと思うくらいである。私のように電話やテレビよりインターネットのほうが大切な情報ツールであり、回線が通じない時は孤立感を味わってしまうような者をはじめ、日本本社からの電子メールを渋々読むだけの“デジタルデバイド気味”のお偉方まで、小さな子供を除き90%以上の在マ日本人は何らかの形でインターネットに接続出来る環境にいる筈である。


最近はKLでも日本ほどではないにしても“常時接続”や“ブロードバンド”などの接続形態にシフトしているようだが個人ベースではまだまだ地元プロバイダのJaringやTMnet等の通信速度の遅いダイアルアップ接続が主流だ。“遅い”と言ってもダイアルアップの便利さは旅先でも近くにアクセスポイントさえあれば低料金で気軽に接続出来ることで、日頃ノートPC持参で出張している私などはホテルに居ても事務所とほぼ同じ条件で作業が出来るので非常に重宝している。携帯メールが日本ほど発達していないアジア地域の若い人達は旅先でインターネットカフェを利用してインターネットメールでメッセージをやり取りすることも多いと思うが、私は初めて行った場所でインターネットカフェなどを探すのも億劫だし日本語の扱いにも問題が多いと聞いているので利用したことが無い。私の場合は普段画像や音声などあまり重たいファイルは扱わない為高速性にも拘らないのでノートPCと普通の電話線でダイアルアップ接続すれば事が足りてしまうのである。現在では作成したソフトウェアの納品や各種サポート等の仕事関連はもちろんのこと、バンド練習の相談、飲み会の打合せ、参加している団体の意見交換まで全てメールや掲示板でやっているといっても言い過ぎではない。仕事柄日中は殆どの時間をPCに向かって過ごしているのでそれらをオフィスに居ながらにして同時進行で進められるのは非常にメリットが大きいのである。もしインターネットがこの世に現われなかったら私はマレーシアに来る決心をつけることが出来なかっただろうし、それ以前に「外国で暮らし日本の仕事をする」などという発想は出来なかった筈だ。せいぜい「引退してから老後に外国に住んでみたい」程度の発想だったであろう。なぜなら、それは住みたい国と顧客のいる日本を繋ぐ双方向でリアルタイム且つ格安なデータ通信手段が無いからだ。ところが幸運なことに最高の道具をそれも格安の値段で手に入れることが出来てしまったのだ。似たようなことを考えてカナダやオーストラリアに移っていった知り合いも居るが、それが本当に良かったかは私を含めてまだ結果待ち状態である。さて、このように私の生活とは切っても切れない存在になってしまった道具としてのインターネットだが、単なる“道具”という位置付けではなく人と人の結びつきのあり方も変えてしまっている“人間関係のパラダイムシフト促進剤”のような存在になっていることが遠く外国で生活しているせいか強く実感出来るのである。今回は人間関係も含めてインターネットが世間に行き渡って変わって来たものについてちょっと考えてみたいと思う。


不思議な事に日本に住んでいるときはあまり会わなかったがマレーシアに引越してからはちょくちょく日本出張の折に会うようになった人がけっこういる。反対に以前は毎週顔を会わせていたが最近はまったく音沙汰なしの状態の人達も多い。遠く離れた地に居るから訪日の際の少ない時間に是非会っておきたい人にのみ会っている状態なので自ずと会える人数には限界があるが、よく考えてみたら前者はネットワークでコンタクトするのが容易な人達で、後者は残念なことに少年野球やPTA等の地域的活動で関係のあった人達だった。地域活動関連の人達だって今ではメールアカウントを持っている人も多いと思うし、出来ることならば是非会って以前のようにバカ話をしたいと思うのだが、哀しいかな充分な時間も無いし地域を離れてしまえばその性格上疎遠になるのも致し方ないものなのだろう。


インターネットの世界では一瞬の内に地球の裏側迄メッセージが発信できる為時間も地域も関係無い、どちらかといえば趣味趣向が同じで共通の思想を持った者達で一種の仮想地域社会を構成してしまうようだ。その仮想地域社会は一人が一つに属するのでは無く複数参加可能で且つ幾重にも重なりあった空間である。現在の私は、会社という空間、顧客企業それぞれとの空間、地元野球チームの空間、バンド活動の空間、海外飛び出し系の人達との空間、日本の友人達との空間、その他メールをくれる会った事の無い人達との空間等々様々な人達との繋がりをちっぽけなノートPCで保っている。しかし、このネットという世界は物理的な要素より内面的つながりで集結が可能な為、地球規模で友人が出来たり遠く離れた同朋達と精神的(宗教的)なソサエティが構築出来る反面、テロリスト達のコミュニティにもなり得る考えようによっては捕そく困難な厄介ものでもある。「ホームページを見ました」と日本の雑誌社からの取材依頼やインドからのビジネス問い合わせが来るのは飛び上がる程嬉しいが、CodeRedやNimdaなどの招かざる客もたまに来る。IPアドレス不足、関連ソフトの脆弱性の問題、ウイルス対策、プライバシー問題等々不安材料山積みなのもインターネットの現状である。特に人の家に土足で上がり込むようなウイルスやワームはコンピュータで仕事をしている者にとっては脅威であり、今までになかった新しいストレスを感じる場合がある。


最近では電子メールやチャットでは伝えたい事が言えるが、相手(特に異性)と面と向かって話すことが出来ない人も多いと聞く。生きた言葉のやり取りで相手を傷付けたり、傷付けられたりすることを恐れるからだ。私はこういった人達を“ひ弱だ”とか“暗い”と批判するつもりはまったく無い。誰だってそういう部分があると思うし世の中ネアカ人間ばかりではない。いわば彼等はネット社会の犠牲者、ちがった意味での環境汚染被害者のようで同情するくらいだ。ネット社会が発達して意思伝達手段としての対面による生の会話が必須条件で無くなってしまえば、その機能は退化していくのは生き物として当然のことだ。退化といえば恥ずかしい話だが私も漢字は打ち込めるが書けない字が非常に多くなってしまった(正直言うと元々書けないのも多いが...)。かなり前に「一番大切な事は全て幼稚園で教わった」といった意味のタイトルの本を読んだ。有名な本だったのでご記憶の方も多いと思う。内容はさっぱり忘れたが私は“人間として生きていくためのルールやコミュニケーション手段等々は全て小さい頃に養われるようなシンプルなもので、そうあるべきである。”といった解釈をした記憶がある。 子供にとって幼稚園という初めての“社会”で「他人をぶってはいけない」、「他人のものを盗ってはいけない」とルールを覚え、「水を飲みたい!」、「おしっこがしたい!」と意思伝達を学ぶ。そのような意味では学生から社会に出る時以上に強烈なショックの筈である。先の“他人と面と向かって会話が出来ない人達”だってこういったことを通過して来ている筈なのだが、その後の家庭環境や様々な経験で違って来るのであろう。様々な要素の中に“ネット依存過多”があるのではないかと思う。世間に適合するのが難しいと思う人達にとっては、インターネットの世界を自分の弱さを隠蔽する隠れ蓑として利用したり、同じような“傷つき易い”仲間同士で傷の舐め合いをする事も出来てしまう居心地の良いところなのである。一方、ウェッブページやメールマガジン等のインターネット無しでは不可能なメディア利用方法で情報を発信し活動の場や人脈を創造し積極的に現実の世界を広げている人達もネット上には多数存在する。この手の人達はインターネットを“ちょっと脆弱だが新しい便利な道具”として位置付けて利用しているのだろう。どちらが正しいとか悪いとかは言えないが後者の方が健康的且つ人間関係としてはポジティブなのは明白だ。


さて、はたして私の周りの人間関係はネットを利用していて何か変わったかだろうか?今小さなノートPCを前に考えこんでしまった。答えは「イエス」であり「ノー」でもある。一昔前だったら懐かしい友人達と連絡をとるには面倒な手紙を書くか、相手の都合を気にしながら高い国際電話をするしか手段がなかった。だから住む場所が外国になり働く環境が変わったりすれば人間関係も変わるのは当然だった。しかし、今の時代は必要とあれば殆どの人が電子メールで近況を知らせたり写真を送ってもらったりすることが可能である。そういった意味ではネットが無ければ確実に疎遠になって行く人が多かったに違いない。新しい友人と同じようにネットを使って古い友人達とも親交を深められるという意味では「イエス」である。一方、答え「ノー」だが、先に書いた“ネットではコンタクト不可の元地元仲間”との関係は頻繁に連絡など入れなくてもそう簡単に無くなるものではないと信じている。毎週のように顔を突き合わせて朝早くから野球をやりビールを飲み時には喧嘩もした。東京という大都会であんなにも地域の住人達が一体となって暮らしいてるということが不思議なくらいの良い仲間達である。インターネットがあろうと無かろうと家族が家族であるようにこういった関係はずっと続くものだ。マスコミでは「時代は変化を求めている!」とか「チェンジ&チャレンジ」などと変わることばかりが正しいように言うが、世の中変わらないのが美しい場合だって多いのである。


しかし、そうは言ってみたが、やはり人間は遠くに居れば情も薄くなっていくのが常である。ちょうど明日から日本滞在だし東京高円寺の地元仲間も恋しくなってきたので久しぶりに電話でもしてみようかと思う。「早く、パソコン買ってメールアドレスくらい持ってくれよ!」ってね。


(№22.人間関係、ネットで変わるか? おわり)

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