№14.引越し


3月(2001年)の初旬に自宅の引越しをした。これまで住んでいた高級住宅街のBangsarからAmpangという各国の大使館が多い地域に移った。別にこれまでのコンドミニアムが嫌だった訳でもなく経済的理由で安い場所に移動せざる得なかった訳でもない。むしろBangsarは気に入っていたし家賃も今回移ったところの方が高い、オフィスからも相当遠くなるし何より通勤時間帯などは最悪の交通渋滞(こちらではJAMと言う)になる地域なのだ。引っ越した理由はいろいろあるがキッカケはオフィスを移転するかもしれないということだった。先にも(№12 労働ビザ)書いたが万一MSCステータスという会社の資格が取得出来てしまうと一年以内に事務所を政府指定の三地域内のどこかに移転しなくてはならないのだ。その三つの地域とはKLに近い順にKLCC(Kuala Lumpur City Center), TPM (Technology Park Malaysia)そしてCyber Jayaである。KLCCとは文字通りクアラルンプールの中心でペトロナス・ツインタワーで有名な地域である。ここは都心なので非常に便利なのだが日本で言えば銀座に事務所を持つようなものなので家賃が高くてとても弱小企業には手が出ない場所だ。TPMはBukit Jalilという場所にあり道が混んでなければKLから車で30分位の郊外にある。「パーク!」と言うだけあって熱帯植物園の中に事務所や研究施設が点在しているような雰囲気の所である。パーク内にはテニスコート、ジム、フードコートなども一通り揃っていて家賃もp.s.f(per square foot 30.48cm四方)あたりRm2.45-Rm3.90(RM1=30円)とそれほど高くない。近くに巨大な国立競技場などもあり環境的には広々としていて気持ち良いところなのだが我々のような少人数用のオフィスは全て予約済で大きな部屋しか残っていないのが困ったものだ。Cyber Jayaは政府が最も移転先として勧める国家戦略的IT都市である。ここは非常に都心から遠く且つ広大な敷地なので私は一度だけNTT-MSC殿との打ち合わせで一部のみ行ったことがある程度で詳しくは書けないが政府の設計図通りに完成すると非常に規模の大きく且つ人口的(自然すら設計されている)な都市となると思う。そんな中現在の事務所の契約が4月末日に切れるのでいっそのことMSCステータス事前対応と経費節減も兼ねて前出の三つのうちのTPMに移転しようと考えるようになったのが2月の前半のことであった。TPMに通勤するルートで車が込まないこと、子供達が通うインターナショナルスクールへ歩いてい行けること、近くに友達も沢山居ること、現在の自宅賃貸契約も3月で切れること等々を総合するとなるべく早めにAmpang地域への引越しが良いのではということになった。しかし、そうとなったら早く新しい場所に住んでみたいという「家族的ヤドカリ気質」の虫が騒ぎ始め出し、ファミレス風中華料理屋で小龍包をつつきながらの家族会議にて“事務所の移転”という本来のキッカケを無視するカタチで3月6日Hari Raya Hajiの休日に[Bangsar→Ampang]の引越しと正式決定してしまったのだ。


そうと決まれば運送業者の手配だ。マレーシアには日系の業者が結構進出していて国際運輸だけでなく国内の引越しも請け負っている。今回は初めてだったので日系2社と不動産エージェントの紹介で純粋ローカル1社の見積をとってみた。日系2社ともに不思議なことに「休日なので別の日に変更出来ないか?」と渋っていた。日本では引越しは休日にすることが当たり前のようなものだがマレーシアでの休日の引越しはコンドミニアムのマネージメントオフィス(マンションの管理人事務所みたいなもの)が休みになってしまうので非常に手配が難しいらしい。何かあった場合(例えばエレベータ内を傷つけたとか、力仕事専門で働いている外国人労働者が何か盗ったとか)チェックや対応が出来ないのでガードマンが常駐しているとはいえ休日の業者の出入りは認めていない所が多いそうだ。また、当日(2001年3月6日)はイスラム教徒の休日で人員確保が難しく且つ休日手当てを2~3倍支払わなくてはならないので条件としてはあまり良くなく値段も高くなるという訳だ。一方ローカルの業者は社名から推測するとマレー系(つまりイスラム系)にも関わらず何も条件なしで且つ日系1社の半額以下のRM950で見積書のFAXが届いた。日系2社のうちT社は積載量と移動距離からするとRM2,000と論外の金額であったが、地元紙も発行しているC社は約RM1,500とまあまあの値段だった。しかし、RM950の値段を見てしまえば殆どの荷物の梱包は自分達でやるつもりだったし車で僅か40分程度の距離を移動するだけにRM1,000も払いたくないと考えるようになり無条件でローカル業者に発注し日系2社は丁重にお断りしたのだった。何日か後になってそのローカル業者より「当日は休日なのでRM1,350になってしまいます。あの値段でしたら平日に変更してください。」と電話がかかって来た。「今更何を言ってるんだ、見積書にも3月6日と書いてあるじゃないか!」と私、「カレンダーをチェックするのを忘れてしまいました。私のミステイクです、ソーリー。」素直に謝るのには関心したが予定変更と契約済の金額を増やされるのには納得できないので「ミスだろうが契約書にサインしたらその金額でやるのが当たり前でしょ」とちょっとジャブを入れてみた。「スミマセン、ボスが許してくれません。」と業者。これはハッキリ嘘と分かる、自分のミスをボスに報告している訳が無いボスに報告しなきゃならない状態にしない為にこうして御し易い日本人を言い包めようとしているのだ。やり取りしてるうちに段々腹が立ってきたので「あんたねぇ、日本人相手に商売したかったら少しくらい金額が高くたって良いが約束はちゃんと守らなきゃダメだよ。もう君は信用出来ないのでキャンセルさせてもらうよ!キャンセル、キャンセル。」と電話を切ってしまった。後になって不動産エージェント経由で私のカミさんに値段をまけて来たそうだ。エージェントも「安くてイイじゃない。」などと言っていたらしいがそういう問題じゃない。約束は約束、それを反故にしたければ最初からそれなりの条件をつけて謝罪に来るべきだ。彼等は当日の仕事を失ったばかりでなく大袈裟に言えば日本人からの信用と今後の不動産エージェントからの紹介も怪しくなってしまったということだ。結局日系のC社に再度依頼し直して引越し日の直前にダンボール箱が我家に届いたのである。


我家の家具は殆どがコンドミニアムの部屋に備え付けのものなので大した荷物は無いと高をくくっていたが引越し前日の夜に梱包してみると思った以上にダンボールの数が多かった。マレーシアに移住して来た時の引越しは貨物の輸送費がバカ高いので不要となる冬物や食器類を全て処分しピアノや家具は知り合いに押し付けてダンボールたった6箱に纏めて割安な船便で送った。その他の小物は旅行用トランクに詰めて全てを移動用の飛行機に預けて運んでしまった。マレーシアでの生活はこれら三畳間の空間にも納まる程度の持ち物から始まったのに暮らし始めて2年もすると結構荷物は増えるものだと改めて思った。しかし荷物が増えたといってもそれは家族の持ち物が大半だ、私の所持品といえば2時間くらいで全て梱包出来てしまったので如何にシンプルな生活をしているか分かって頂けるであろう。極端に言えば服と靴と若干のCDと本それにギター2本とアンプだけなのだ。


翌朝、定刻前の9時20分頃にインド系の運送業者作業長らしき人が来て我家の荷物をチェックし始めた。ちょっと後に日本人の女性引越しコーディネータが到着した。話から大手企業の事務員風女性かと想像していたが日本在住の頃から現場で梱包や輸送もしていたという叩上げのバリバリの美形女性であった。その他インド系作業員2名を加えて計4名の布陣で引越しは始まった。マレーシア在住日本人の常識的な引越しスタイルがどういうものかは知らないが知り合いの話によると業者が当日朝来る迄何も準備しないケースも多いらしい。我家程度の引越しに現地見積したうえで4名も来るということはおそらく梱包~積み込み~移動~開封~セッティング迄全てをやるつもりで来ているのだろう。しかし、実際は梱包85%済み状態&家具なし&近場&開封不要だ、想像以上によく働く作業員達で手際もよく荷物を搬出し始めて小一時間もすると今日までの我家は“もぬけのから”となってしまった。我一家は名残を惜しむ間も無くエレベータホールに山積みされたダンボールを横目に車で一足先に引越し先のコンドミニアムに移動することにした。約40分間のドライブの後に新居に到着した。ちょっと休憩した後作業員達に配るジュースでも買ってこようと息子と一緒に歩いて近くのマーケットに行く途中に我々の荷物を積んだトラックが走って来るのが見えた。トラックに向かって手を振ると運転席の作業員が手を振り返して来た。買い物を終えて新居に戻ると既に荷物の搬入が始まっておりダラダラとギターに損傷はないかとチェックなどしながら運び先の部屋を指示しているうちに全ての荷物が運び込まれてしまった。最後に“お疲れさんジュース”を振る舞い少しの間コーディネータの女性と話をする時間もあったが全工程約3時間強が終了した。業者にとっては想像以上に簡単だったのか「金額は再見積して後日お知らせ致します」と言い残し準備していた小切手を受取らず去っていった。


夕方までには各自の部屋の整理も一段落してそろそろ外に食事に行こうかという時間に同じコンドミニアムの隣の棟に住む娘の友達の母親(日本人)が「引越しで炊事も出来ないでしょう」と自家製巻き寿司を差し入れてくれた。異国に暮らす同胞のありがたさかな正にグッドタイミング且つとても美味しかったので一家5人15分でたいらげてしまった。その後暫し休憩してあたりが暗くなり始めた頃に土地勘を養う為に近くのショッピングセンターなどを散策してみたがやはり疲労で早々に引き上げて来てしまった。帰りがけにテイクアウトで買ってきたこの近辺で有名なローカルフードの“ヨンタオフー”をビールのツマミとしながら繁々と部屋や外の夜景を見回してみた。各部屋はマレーシアとしてはあまり広くはないが子供3人全員個室が持てることになったのは好評だ、アマさん(お手伝いさん)を雇っていないのでアマ部屋がとりあえず不要なモノの物置となるのもありがたい。リビングは贅沢なつくりで2年前に一家5人で住んでいた東京高円寺のアパートの全部屋の合計面積より広い。13階の窓からは正面の「フラミンゴホテル」と共有の野球場くらいの大きさの池にフラミンゴが数匹泳いでいるのが見える。暗くなったら小さなテーブルを置いたバルコニーで遠くの山やハイウェイを眺めながらバーボンでも飲むと気分が良さそうだ。どう考えても今までの人生で最も贅沢なところに引越して来たことは確かだ。しかし何年かするとそれも当たり前のようになってしまい“ありがたみ”が薄れてくるのは困ったものだ、2年前マレーシアに移住して来たときも転居先の部屋をみて一家で感激したことを覚えているが現在は「前のコンドミニアムのプールは良かったけどリビングが狭かったね~」などと贅沢なことを言っている自分達が怖くなる時がある。そんなとき誰とはなく「高円寺のアパートの写真見ようよ」と言い出し東京のアパートでモルモットのように寄り添って暮らしてた数年前の自分達を思い出すのだ。面積は仮設住宅程度で5人分の布団を敷いてしまえば畳が見えなくなってしまうような家だった、早く広いマレーシアに引越したいと冷蔵庫にはカウントダウンのペーパーが貼ってある。でも何故かあれはあれで楽しかった、写真に写った子供達にも悲壮感は無い、子供が成長して行く過程で毎日小さな部屋で顔を突き合わせて話をしていたことが非行や“ひきこもり”などの原因を自然と排除していたのかも知れないと今思う。長女が17歳になった今ですら一家5人仲良く引越しなどの“我家のイベント”を楽しむことが出来るのも高円寺アパート時代の下地があってこそだ。今後我家の暮らし振りがどんな境遇になるか先のことは分からないが、たとえレベルダウンしたとしても家族としての基礎をつくった狭い東京のアパートのことを忘れなければ“なんとかなるさ”と何故か贅沢な間取りを眺めながら考えてしまった。


(№14.引越し おわり)

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