№13.アニュアル・ディナー


ある会社のアニュアル・ディナーに招かれてバンド演奏をして来た。アニュアル・ディナーとは年に一度の従業員慰安パーティーで工場勤務などワーカーの数が多い製造業でよく開催されるようだ。こちらの工場のワーカーといえば若いマレー人やインド人が多く賃金もRM1,000(日本円で3万円程度)に満たない者が多いと聞く。その彼等を食事や数々のアトラクションで慰労し今後の労働意欲につなげようという会社主催の企画である。普段地味な服で出社している女性がド派手な衣装で現れたり、何処で仕入れたかタキシードでキメて来る者もいるほど彼等にとって“気合”の入るイベントらしい。今回の招待は、私を含め全て日本人駐在員でやっている趣味のバンドが、そのメンバーであるベーシストの勤務する会社に“是非やってほしい!”と頼まれての出演である。持ち時間は30分強、飲み食い無料、機材代は主催者負担と条件はマズマズである。(勿論、ビザの関係で報酬としてお金は受取れないが...)


ここでちょっとバンドの紹介をしておこう。別のページでも度々小出しに書いているので“シツコイ”と怒られそうだがメゲずに行こう。正式名称は「Deep South Blues Band」 だが通称はDSBBと呼んでもらっている。やっている音楽はバンド名からも分かる通りブルーズを基本とした黒人音楽(R&B,R&R,FUNK)が中心だ。リーダー(g)で創始者は在マ暦10年近いマレーシア邦人ブルース界の第一人者だ皆は親しみを込めて「リーダー」と呼んでいる。ドラマーは日本人音楽愛好家で組織する無認可団体JAMAMの代表者で且つ会社のオーナーでもある。ベースは地元では「べえすまん1号」と呼ばれる寡黙だがけっこう目立ちたがり屋のチョッパー弾きである。ボーカルは当地の邦人誌でも「カッコイイ男」と特集された経歴を持つ愛称「ころっけ」。サックスはJAZZ畑からノリを求めて当バンドに落ちてきたジョージ兄ィ。キーボードは当バンドで最も音楽的趣味が広く幾種類もの楽器を操る(デスメタルボーカルまで..)自称「オルガン屋」。ブルースハープ(ハーモニカ)は最年少で今回がデビューの巨大企業従業員。それと現在育児休暇中の正真正銘天才ピアニスト&私(g)の総勢9名がメンバーだ。このメンバーで地元ライブハウスやパーティーに少しづつ出演しだしたのが昨年(2000年)6月頃で、その後ちらほらと各方面から出演依頼が来るようになりメンバーのスケジュール調整に嬉しい悲鳴をあげているころだ。


さて、話をアニュアル・ディナーに戻そう。当日のリハーサルが午後5時からだったのでちょっと早めに会場に入った。場所はKLから車で40分くらい南のクランという場所だ。前の週に極寒の東京でもらって来たインフルエンザで体がダルイ。重たいギターを二本抱えてキョロキョロしながらボールルームの辺りを歩いていたら、ブレザーを着た愛想の良いインド人が「Are you lead guitarist ?」と声をかけて来た。「Bassman is waiting for you.」と言いながら重い方のギターケースを私からもぎ取りスタスタと歩いて行くので後を追った。人ごみの中をかき分けビショビショで汚い厨房を爪先立ちで通り抜け出た所はステージのソデだった。レストランとイベント会場を合わせたような施設で収容人員500名くらいだろうか、幕の下りた舞台の向こう側では17:00迄の予定の別団体がパーティーの真っ盛りで終わりそうにない。舞台の内側ではまだ次のパーティー用の飾り付け準備中で我々と関係のある音響関係の人間は横で昼寝中のようだ。他のメンバーもほぼ定刻には集まりリハーサルの準備に取り掛かりたかったが、全てが定刻通り進まないこの国なので主催者に「ビールでも」と促されて別のレストランに飲みに行くことになってしまった。それにしてもミュージシャンのイメージは万国共通で「酒飲み」なのだと改めて思った。


必要以上に出されたビールも飲み飽きた頃には前のパーティーも終わったらしくリハーサルと称して2,3曲練習が出来た。もっとやろうとステージ上に居座っていると既にアニュアル・ディナー開場の時刻らしく沢山の若い人達が入口の扉に集まって我々の練習を聴いていた。そそくさとステージを降りて「これから出番まで何処で待ってりゃいいんだ?」などと思っていたら、「貴方達のテーブルは5番ですよ。」とさっきビールをご馳走してくれたマネージャークラスの人が言った。テーブル5を捜して行ってみると何とVIP席の近くであり今日は単なるバンドマンと言うよりはゲストとして招かれていることをこの時始めて知ったのだ。テーブルについて社長から「あなた達は日本人に見えないね。」などとからかわれながら始まるのを待っている間度々若い男の子達が歓声をあげるのが聞こえてくる。どうやら人気者の女性が着飾って入ってくる度に雄叫びをあげているらしい。宗教上の理由から酒を飲まない彼等だがノリは日本の集団酔っ払いのそれである。暫くするとDJが操る大袈裟な音楽と照明とともに司会者(多分社員)が出て来て宴が始まった。長めの役員挨拶や日本人社長の誕生祝いなどが40分くらい続いただろうか、回りの連中も「早く飯食わせろ~!」という雰囲気が頂点に達しそうな頃一連の堅苦しい儀式が終りディナータイムとなった。我々もかなり待たされたので運ばれてくるオードブルやチキンなどを食い散らかし、「ビールないの?」とか「紹興酒!紹興酒!」などと遠慮なしに口に運んでいた。舞台では従業員の表彰に続きアトラクションが始まり、ディスコ音楽に乗ったダンスやコメディアン風のプロの司会者が観衆を笑わせたり地元歌手や従業員がカラオケをバックに歌ったりとパーティーらしい雰囲気になって来ていた。我々も回りの盛り上がりを見て「今日は渋く演奏しても奴等には分かんないよ、ハードに演ったほうがウケルかもね。」などといつものことながらアルコールの勢いも借りてかなり高飛車になっていくのがお互いに分かった。


出番直前のプログラムラッキードローが佳境に入ったところで我々も舞台裏に向かった。その前に「トイレでも」と席を立った時に自分はかなり酔いが回っていると自覚した者がメンバー中3人はいた筈だ。階段を踏み外さないように注意深く舞台に登りチューニングをしている間にコメディアン風司会者がバンドの紹介を終えたらしい。(正直、全く気付かなかった)ボーカルの「前川さん紹介終わったよ、始まるよ!」の声で我に返った。ステージに出てコードを繋ぎゆっくりとエフェクタをセットした、私のイントロから始まるので焦ることはない。舞台から客席を見ると正面のVIP席しか見えない、爆発寸前のアンちゃん達は遥か後方から声が聴こえるだけだ。ボーカルの「サラマッ、マラーム(こんばんわ)」に続き私のイントロ、その後ぶっ続けで6曲約30分予定通りのハード演奏で汗ダクになった。観衆の反応もまあまあ良かったし後からVTRや録音テープで振り返ると赤面モノなのは承知だが久々に発散出来たライブだったので満足だった。ギターをケースに仕舞い舞台からおりてテーブルに戻る途中、皆が「良かったぜ!」と目で合図してくれたのは本当に嬉しかった。後日談だが例のブレザーを着た愛想の良いインド人(どうやらパーティーのコーディネータのようだ)が我々を気に入ったらしく「○×△□のアニュアル・ディナーで演ってくれ!」と依頼があったらしい。そう言われれば気分は悪くないがそこでホイホイと出て行かないのが重みを保つ秘訣だ。以前、演奏して日本人の友人関連で店を満員にしたライブハウスなどは二匹目のドジョウを狙い「今度はいつ演ってくれるの?」などと毎月リーダーに依頼が来ているらしいが、たまに出演するから日本人の友人も来てくれるのだし第一そんなに本番が続くと練習やミーティングで体がもたなくなってしまうこと必至だ。「KLを本拠地とした全員日本人のブルーズバンド」という奇妙なフレコミと「たまにしか観られない」という条件が付いて辛うじて集客パワーを保っているのが実状だ。


本題のアニュアル・ディナーだが我々の後も延々と民族音楽などの出し物が深夜まで続いたらしい。演奏後は疲れがドッと出てしまいプレゼントを貰いそそくさと引き上げてしまったが、年に一度の全社パーティーに燃える若い男女のパワーは私の目にはかなり新鮮に映ったことは確かだ。ちょっと恥ずかしくなるくらいギラギラとした眼差しや、本当にこの手の催しを喜んでいる純粋さが屈折した日本人から見ると奇異であり羨ましくも思った。ふと、成人式で市長にクラッカーを爆発させた“二十歳の幼稚園児”と比較してしまったが、きっと彼等の小遣いはマレーシアのワーカーの月収より多いのだろう。精神構造的にはどちらも大差は無いと思うが、こちらのワーカーが社長の挨拶中にあんなことをやってしまったら即日食べて行けなくなることは確かだし運が悪ければ袋叩きにされるかも知れない。しかし日本では親同伴で謝罪して一件落着だったそうだ。満ち足りたうえに甘やかされ尻拭いまで親にしてもらう二十歳の男達と、与えられたささやかな楽しみをここぞとばかり満喫する若者達を見比べてみると、どちらが先進国で本当はどっちが幸せなのだろうと考えさせられてしまう。日本を意識的に離れ子供達も全て現地の学校に入れてしまった私にとっては日本の若者がどこまで荒れようが落ちようがハッキリ言って他人事だが、マレーシアで出会う諸々の場面でいつも日本の現象と比較してしまうのはまだまだ日本に未練と期待があるからなのだろう。意外にも、日本を問いただし正常化していく力はこう言った和製外圧なのかも知れないと思うこの頃である。


 (№13.アニュアル・ディナー おわり)

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