№12.労働ビザ


最近(2001年1月)、日本の「あの国でこれがやりたい(海外で好きなコトをして生きていこう!)」という双葉社の雑誌に私が掲載されたようだ。「ようだ」というのも変だが私自身は未だ実物は見てなく東京の複数の顧客からの「出てたぞ!メール」で知った次第だ。当ホームページを見たと出版社の関係の人から取材の問い合わせが来たのが昨年の11月末くらいだったか?ちょっと記憶が薄いがそろそろ発売になってもいい頃だと思っていたところだ。以前よく本屋さんで立ち読みさせてもらっていた雑誌なので取り上げてもらって正直嬉しい。その記事にURLが出ているとこのページへのアクセスが増えてもっと嬉しいのだが現時点では分からない。今回の「アジア暮らし秘話」はその雑誌の読者(つまり、海外へ出て何かやってみたいと夢見ている人達)が読んでくれている想定で、おそらく深い関心があるであろう“労働ビザ”に纏わる私の拙い経験を書いてみたいと思う。


日本人が日本以外の国で一定期間滞在するにはビザ(査証)が必要なのは言うまでも無い。しかし、一般的な日本人旅行客が観光目的で滞在する場合はかなりの国々が入国時に二週間とか三ヶ月間の滞在許可(観光ビザ)をくれるのであまりビザを意識しないのではないかと思う。このような点では日本人は非常に恵まれているのである。ここマレーシアに日本から入国する場合は残存期間6ヶ月以上のパスポートさえ持参すればほぼフリーパスである。つい最近までは4枚もの入国用書類を書かされて閉口したが最近は1枚に集約されて便利になったらしいので益々簡単に入国が出来るのである。しかし、マレーシア人が日本に旅行に行きたい場合は話が違ってくる。事前にマレーシア国内の日本大使館へ行ってビザを発給してもらわなければならないし、日本入国の際もかなり厳しい目で審査をされるようだ。事実、我社のローカル社員が出張で私と一緒に訪日したときも成田空港のイミグレーション外国人用窓口の長い列に並んだ後書類不備とかでなかなか入国させてもらえなかったことを覚えている。


さて、本題の「労働ビザ」だが、他の東南アジア諸国と同様マレーシアでも取得は簡単ではない。イミグレーションに行って「この国で働きたいので労働ビザをください。」と言っても「どうぞ」と発給してくれる類のものではない。通常、大企業の駐在員は会社の投資額や業種によって労働ビザの枠のようなものがあり、その中から現地駐在員個別に申請して一回で2年から3年の期間の労働ビザ(Work Permit)が発給される。なかにはビザを取得して即退社してしまえば労働ビザは自分のものだと思っている甘い考えの人もいるみたいだがそれは不可能なことだから覚えておいたほうがよい。それにどんな人間でも良いという訳ではなく、犯罪暦が無く、ある業種のプロフェッショナルであり且つマレーシアに貢献し、その技術を現地人へ移転出来るような人か、もしくは多額のお金を投資してくれるインベスターが理想の人とされる。業種別では昔のように製造業ではなくIT関連、旅行業、翻訳者などが有利とされているようだ。また、労働ビザ取得者の家族用に(Dependent Pass)という妻や子供の為のビザも申請すると自動的に発給される仕組みである。しかし、このビザでは小遣い稼ぎに得意なピアノを教える教室を開いたり、気晴らしにパートタイマーとして働くなんてことは厳禁な為、現地人のアマさん(家政婦)を雇っている駐在員の奥さん達は暇を持て余すことになるのである。(平日に朝からゴルフ、昼はホテルで昼食会なんて主婦達も少なくない)このように正しい方法でビザを取得する人が現地に住む駐在員の大多数であると思われるが、中には労働ビザを持たず現地に会社を持っている大胆な人もいるし、会社の命令で帰国した夫について行かず息子を学生ビザで現地の学校に通わせながら二人で好きなマレーシアに残って暮らしている母と子も私は知っている。彼等は観光ビザの期限である3ヶ月を過ぎる前に隣国のタイやシンガポールに出国して再度マレーシアに“観光客”として入国することを繰り返しているのである。しかし、イミグレの担当官の気分しだいでは1週間の滞在しか許可されない場合もあるので観光ビザで生活拠点をマレーシアに置いていることはかなり“危ない橋”を渡っていると言わざるを得ないであろう。


ここで、私はどうやって労働ビザを取得したかをお話しよう。マレーシアで働き生活したいと考えるようになった我家族(この辺の詳しい話は別の機会に譲るとして)だが、現地に法人を持っている大企業に勤めている訳でもないので全て自前で判断しなければならない。いろいろ調べると労働ビザを取得する方法は裏ワザも含め3通りくらいあるらしことは分かった。しかし、妻子をつれてあまり“危ない橋”も渡りたくないのでここは正規の方法、つまり現地に投資して会社を設立しその社長になるのが最も確実な手だと判断したのである。深く考えても選択肢が出てこないので「現地に会社を設立する!」と簡単に結論は出たが当時は何のコネもツテもなく、ましてマレーシアに一度も訪れたことの無いところからのスタートだったので正に暗中模索の連続であった。はじめは主に書籍による調査から開始していった。紀伊国屋書店など大きな本屋さんでないとマレーシア関連本を見つけることが難しいので休日はよく新宿に通って本を買い込んで来た。その頃苦労して見つけた「マレーシア、長期滞在者のための最新情報」「マレーシアかれいどすこぉぷ」「アジアで暮らすときに困らない本」「マレーシア辞典」「マレーシア人」「マレーシア経済入門」などといった本が実際にマレーシアに来た今では伊勢丹やジャスコに行けば難なく手に入るのは何とも皮肉なものだ。しかし、調べたかった会社設立方法、労働ビザ取得方法、現地の学校事情、生活事情、税金の問題などは資料的には立派なものが存在するのにどうもピンと来ない。やはり、ひとつひとつ自分で動いて確かめる必要があると思い今度はマレーシアへの投資窓口であるMIDA(Malaysian Industrial Development Authority)というところへ行ってみることにした。書籍にあった住所では東京の日銀本店のそばの筈だったが訪ねてみると何も無く、大使館だったか問い合わせてみたところ渋谷へ引っ越したと教えられた。日をあらためて訪ねてみると想像していたより小じんまりとしたビルの1フロアーにそれはあった。マレーシア航空の広告などを横目に恐る恐る事務所の中へ入ってみるとやさしそうな50歳前後の男性とインテリっぽい若い女性の日本人二人と奥の個室にマレー人の所長が一人いるようだった。要件を伝え終わると日本人の男性職員が「ここMIDAは製造業の投資窓口でね~。ソフト開発のようなサービス業はFICの管轄なんですよ。でも...」その後の彼の話と言葉のニュアンスから「とても難しいですね」と門前払いのように聞こえたのでちょっと頭がパニックになってしまい、そのFICという組織がどこか別のところにあるのか、日本のマレーシア大使館の中にあるのか全く問い返しもしなかった。(後にマレーシアでこのFIC(Foreign Investment Committee)本部に直接出向き偉いお役人と彼の個室でそれも英語で話をするなどと夢にも思わなかったが...)そして茫然としながら「サラワク州への投資」とかいうパンフレットを意味もなく眺めていたら、私と前後してその事務所に来ていた立派な紳士が「私はジョホール州に○△×の製造工程を作りたいと考えていて、投資額が□△○万リンギットで...」と男性職員に話すのが背中越し聞こえた。「そうですか!では所長とお話されますか?英語で大丈夫ですよね?」と男性職員。私はこの会話を聞き正直“腰が引け”てしまった。


しかし、ここで諦めてしまったら計画は中止、夢が夢のままで終わってしまう。「何か方法はある筈だ!」と私はその事務所を離れようとはしなかった。帰ろうとしない私を可哀想だと思ったか“投資家紳士”のお相手を終えた男性職員が近づいてきて「実はね、いろいろ方法はあるんだよ」とそっと教えてくれた。彼が教えてくれたのは別に違法なことを伝授された訳ではない。要は少ない資金で会社を設立して労働ビザの手続きも上手くやってくれるコンサルタント社は現地に結構あり、その中のいくつかを知っているから紹介してあげるという内容だった。実際その現地のコンサルタント社にはマレーシアの諸手続きに精通した日本人もいてある程度“お任せ”でOKなのである。そのコンサルタントと私との仲介役に以前マレーシアで大手建設会社現地法人の社長をしていた人を立てた時点で一気に計画が現実的になっていったのである。コンサルタントが要求して来る書類(犯罪暦がないという誓約書、資格証明等々)や写真を要求されるままに提出しておけば、先方はお役所仕事で時間はかかるが現地でどんどん進めてくれるので特に苦労するようなこともなく100%日本資本で2年間の労働ビザの許可が下りてしまった。労働ビザの許可が出れば家族用のビザは自動的に下りるのでまったく問題なくことが運んでしまったのだった。強いて言えば、“とりあえず最初の2年”という条件と“ある程度の”お金がかかったくらいである。


現在、労働ビザを取得してからもうすぐ2年になろうとしている。更新の時期を目前に前出のFICから電話がかかって来た。コンサルタント経由で確認したら会社の資本比率(現在100%日本資本でローカル資本ゼロ状態)などについて話があるのでプトラジャヤ(政府機関が集まっている行政都市、もちろんマハティール首相もその中心地で執務している)まで来てくれということらしい。チャイニーズニューイヤー明けの一月末に中国系マレーシアンのコンサルタントと共にFICに行ってきた。その時に備えてホームページの英訳、在外の顧客リストの作成、事業内容説明用システム設計書サンプルの準備、開発事例説明用デモシステムの準備等々やっていったのだが、結果そんなものには目もくれず終いであった。先方のお役人の要求は「100%日本資本でいたいならもっとマレーシアに投資しなさい!最低ラインはRM300,000です。」「そしてMSCステータス取得の申請をしなさい!」の2点と実にシンプルであった。また、それらの要求が達せられない場合はイミグレーションも労働ビザが出せるか怪しいところだとも付け加えた。要は「もっと国として外国からの投資額の実績を上げたい」&「国家が推進するIT事業のMSCに協力してくれ」ということだ。どちらの要求も当方にとっては不利なことでは無いし、この機会にMSCステータス【注、MSCとはマハティール首相の強力なリーダーシップのもとに進められている国家IT戦略プロジェクトで世界中の有力IT企業を税制面外国人雇用などの緩和により誘致して電子行政などのアプリケーションを開発しマレーシアをアジアのIT拠点にしようという壮大な計画である。国際空港とクアラルンプール中心地の間の広大な敷地に「サイバージャヤ」というIT戦略都市を建築し他の国々より先を行こうと頑張っている最中である。日系ではNTT,富士通など規模の大きな会社が優遇策を受けることの出来る資格のMSCステータスを取得している。】などという大企業のみが対象であった資格を取得できれば非常に将来有利なことである。“現在の3倍の資本金さえ調達できれば”という条件がつくが100%出資の企業が海外で保有でき労働ビザも頂けて好きな国で働きながら暮らせるという夢がまた延長できるという訳だ。


労働ビザの「手っ取り早い取得方法」を期待して読まれていた方々にはお役に立てなくて申し訳無いが、「夢と行動力さえあれば何とかなる!」などと無責任なことは私は言えない。はじめに夢や行動力がなければ何にもならないが最後にものを言うのはやっぱりお金である。大金である必要は無いがある程度は無いと夢も現実にならないという訳だ。結論を言うと“やっぱり最後はカネでっせ!”だ。


(№12.労働ビザ おわり)

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