№8.妙なプライド


№2「ストレスの巻」に続いてのマレーシア愚痴ネタである。マレーシアも含めて東南アジアの人々は礼節を重んじる人々だと聞いていた。確かにそういう人が多いことも認める。しかし、現代の若者層ではどこの国にでも似たり寄ったりではないかと思う。つまり、目上の人への礼儀や周りの人々への気配りなど考えてもいないのではないかと疑いたくなる人間が結構いるという事だ。もちろん若者といっても個人差はあるのだが...。それにもまして自意識過剰というかプライドが妙に高い人が特に女性に多いような気がするのは私の偏見だろうか。誤解の無いように言っておくが、ここでは人間としての尊厳や民族のプライドなどという根本的なことを言っているのではない、あくまで日常生活や仕事上のことだ。本来このプライドというものは優れた能力がありその実力に誇りを持っている者だけが誇示できるものだと考えていた。「この仕事には絶対的な自信があり、自分の成果物に対しては誇りをもち、全責任をとる覚悟である」という具合に。しかしここマレーシアの現実では随分違うことに驚かされることが多々ある。


在マ駐在員の皆さんの中にもこの“妙なプライド”を拠り所としている人に悩まされている方がかなりいるのではないかと思う。人前で叱られることを“恥をかかされた”と思うメンタリティは理解出来ない訳ではない。人にはそれぞれ立場があるだろうし、私だって出来れば人前では叱られたくない。それが東南アジア式だと言われれば叱る側も当然それに従うまでだ。部下を注意するときは気を使いながら個人的に注意をするし、そのこと自体を他人に気付かせないように細心の注意を払う。しかし、我々のようなコンピュータ業界での仕事上のエラーを指摘することも“恥をかかされた”と誤解するのは勘弁してほしい。仕様の勘違いやBug(コンピュータプログラムのミス)はシステム開発中には出るのが当たり前で、摘出したBugの数が少なすぎると顧客(特に大手同業者)は「Bugの少ない良品」とは判断せず「検査不充分の未完成品」とみなすのだ。しかし、一部の指摘される側の者の受け止め方は「プライドが傷つく」のである。そんな“妙なプライド”に困った悪い例がある。発注元でもある日本の社員(CSSのメンバー)がローカル従業員の作ったソフトをチェックしに来たときのことである。いろいろ指摘されるなか最初のうちは指摘事項に何のかんのと言い訳めいたことを言っていたが、次々にBugを洗い出されたローカルは段々気分を害したような態度になっていく、その態度に戸惑っていた日本人も発見されるエラーが開発者の怠慢にしか思えない初歩的なエラーだったりすると自然と感情的に返してしまう。最後は双方険悪な状態になり「社長、もう修正頼むより自分で直しちゃたほうが早いっすよ!」ってなことに発展していく。Bugは発生させない方が両者とも気持ちが良いが、問題は出てしまった不具合にどう誠実に対応するかなのだ。その他の日常的なトラブルなども全て対処する態度(姿勢)が大切なのだ。スキルの低いローカルなどが仕事上で上手く行ってないときなどは、基本的な事の理解不足が原因であることが殆どなのだが、こちらも良かれと思い懇切丁寧に説明するが、聴いている(教えてもらっている)態度が悪い場合など「これは基本的なことなので説明するようなことではないのだよ。」などと付け加えようものなら、もう素直に受け入れる事はしない。挙句の果ては「あなたの教え方が悪い!」などと反抗してくる。これには実際参った。本来教えるような事ではなくこの業界に生きるものにとっては常識のような事柄ですらこれである。日本でも似たような輩はたくさん居るだろうが、自分の知らない必要知識を丁寧に説明してもらった上司に虫の居所が良くないからといって「教え方が悪い!」などと言える者はあまり居ないのではないか。私の力不足は認めるがこの手の“妙なプライド”は本当に厄介である。


では、「どうすれば私は満足なのであろうか?」、「どうすれば“妙にプライドの高い人”を上手く導いてあげられるのか?」これは、私がマレーシアで人の採用を始めたときからの課題である。私は日本でもここ東南アジアでもこの仕事(システムエンジニア、プログラマ)に関わる人を4種類に分類して対応するようにしている。良い順に並べると、第一分類は【素材が良くて、向上心がある人】、第二分類は【素材が良くないが、向上心がある人】、第三分類は【素材が良いが、向上心が無い人】、第四分類は【素材が悪く、向上心が無い人】てな具合である。特に我々は端くれながら新しい技術が毎日のように現われるIT産業に属している為“向上心”というファクターは非常に重要だ、もちろん素材(頭のキレ)はあるにこしたことは無い。それらを補助する潤滑油のようなものに“素直さ”や“責任感”がある。どんなに素材が良くて向上心があったとしても素直でなければいろいろなものを人様から貪欲に吸収することも困難だろうし周囲の人達と上手くやっていく障害にもなる。また、仕事である以上“責任感”のない人は論外だ。私などはある意味では“素直さ”だけで今までやってきたようなものなのだ(反論も多々聞こえて来るが)。となると私が満足する理想の人材像は自分の未熟さを棚にあげて言うが“頭がキレ、向上心があり、素直で、責任感のある人”ということになる。一方“妙にプライドの高い人”は素材、向上心に関係なく概して“責任感”はあっても“素直さ”が無い場合が多い。素直になれないことにより周りの反感をかい、責任を持った仕事を任されることが無く、自分の存在感を守る為にプライドという隠れ蓑を着ざるをえない悪循環。さてそういう人達をどう導くか?これは難問であるが回答は極めてシンプルだ、“妙なプライド”は捨てて頂くしか無いのである。それをどうしても捨てられない場合は“お引き取り頂く”だけなのだ。ビジネスは間違いを指摘されるて、「プライドを傷つけられた!」などと言っていられるほど甘くないし、ましてオフィスは“インターネットカフェ”のような遊び場でもない。それぞれが仕事の成果と引き換えに金をもらっている大袈裟に言えば真剣勝負の場なのだ。本物の“プライド”を身に付ける為には相当な期間と勉強が必要な筈である。社会的に半人前な評価しか得てないうちは、単なるその場の感情や意固地で気安く「プライド」などという単語を使うべきものじゃないのだ。本当は「おまえら10年早いぜ!」と言ってやりたいところだが、はたして自分は後何年かかるのだろうか?あまり大きなことは言えない。


(№8.妙なプライド おわり)

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