働き方/How we work


【社長のエッセイから】

我々CSSのオフィスは一般常識的な視点でみるとかなりフリーだ。表向きの勤務時間はフレックスタイムだが、実体はほぼ自由裁量労働制だ。早朝から来ている者、事情があり夜間のみ出社して来る者、顧客に張り付いて作業をしている者、作業ピーク時などは通勤時間や着替えの時間さえ惜しいと自宅で頑張る者などなど。もちろん勤務中の服装などはソフト開発者にとってはリラックスしたものが良いので、顧客に出向く者以外は規制なしの完全私服制だ。混雑した昼休みの時間帯に昼食をとる者も少ないし、15:00に打合せが終わって直帰する者も珍しくない。(もちろん自宅に着くなりノートPCを開くのだが。)要は自分にとって最高のパフォーマンスが出るかたちで働くのである。東京とクアラ・ルンプールの間でさえ無料のチャットでリアルタイムに打合せが出来るご時世である。モバイル機器とネットワークがここまで発達した今、我々のような業界は一箇所に集まって一定の時間で働くといった昔ながらのスタイルはあまり意味がなくなってしまっているといっても良いだろう。もちろん、フェイス・トゥ・フェイスのミーティングや、ひざを突き合わせての飲み会などの重要性を充分承知したうえでのことなので誤解しないでほしい。

『それは分かったが、そんなことで組織を管理出来るのか。また、個々の評価はどうするんだ。』といった疑問が当然出てくるだろう。 理想的にいえば管理の為の管理などしなくても良い組織であってほしいのだが、その点は残念ながら私を筆頭に皆"欲"も"怠け心"もある人間なので、何らかの箍(タガ)が必要なことは確かである。そういう意味では半年に1度集計される『個人別売上表』はかなり厳しい。自分の関わった仕事の売上が個人別に1円単位で社内公開され、その数字がかなりの確率で賞与や昇給へ反映されていくのである。サボろうと思えばいくらでもサボれる環境だが自覚の無い者がせっせと仕事しているフリをしても即数値となって現れてしまうのである。努力していても数字が悪い人は可哀想だが、逆にいえば数字が上がった分(努力した分)取り分も多くなるといったシンプルな能力主義ツールなのだ。ただし、金額には換算出来ない前向きな努力や将来の為の投資的ロスは勘案しないわけにはいかないので、必ずしも"評価は数字のみ"といったわけではない。ついでだが、この仕組みは、売上高が大きいときは各自収入があがり利益を有効に還元出来るとともに、儲かってないときは会社としての人件費を抑制できるといった一種の調整弁の働きも担っているのである。ある人に言わせれば「従業員は各自の仕事に専念させておいて、会社の数字など知らせぬほうが良い、責任は経営者がとればいいんだ。」といった意見もある。確かに社員を会社のパーツとして位置付るのであればそれで良いだろう。そして、最終責任は経営者がとるということも納得だ。しかし、私は社員全員が経営者意識を持って行動出来るような会社にした方が、そうでない会社より格段に強いと思っている。では、経営者意識とは何か、それはズバリ"責任を持って決め実行する"ことだ。

仕事は"やらされる"より自分の意思でやるほうが面白いし効率も良い。自分のやり方を決めて責任をもつことで認められるのはたまらなく愉快だ。認められて報酬も増えれば尚嬉しい。そして自分には活動の場があるという安心感はなにものにも替え難い。自分達はまだまだ理想の働き方をしているとは到底思えないが、少なくともその模索をすることの自由はある。仕事だけではない、海外に留学する為に休職するも良し。夜学に通って自分の人生に足りないと思うものを補うのも良し。私は本人が"責任を持って決めた"のであれば極力反対しないつもりにしている。「会社の仕事が忙しかったので私の人生何も出来ませんでした。」なんて言われるのはちょっと怖いし不本意だ。ただし何でもハイハイと追認することばかりではない。相手の判断が間違っていると思った場合や、独断で暴走していると判断したときには言いたくないことも言わないと無責任になってしまう。が、基本としては"責任を持って決め実行する"ことの出来る人をいかに多くするかが会社の将来、ひいては各自の人生をも充実したものに出来ると信じているのである。少しでも納得出来る働き方、生き方をしたいものだ。