「Strike while the iron is hot. 」ではないが、一年弱前にザックリ書いて放置していた紀行文を、さも先週のことのようにリアルに再生して行くのはホントに骨が折れる作業だ。 以前、PCの事故で失ってしまった書きかけの”ホームレス・インターンシップ生”は「続きがとても気になる、なんとかしろ!」との友人達の声を糧に、萎えた心に鞭を打って完成させたが、 記録を完全に紛失してしまったLAOS旅行の話は、結局尻切れとんぼで終わってしまった。 おそらく、頻繁にこのコラムにアクセスしてくれている人達には「またあのイギリス旅行話も自然フェイドアウトかな?」と、うっすらとした疑惑をもたれている筈だ。 自分的には「元ネタがあるので、いつでも再開可能さ。今は仕事や、趣味の音楽に忙しくて、その気にならないだけ」と高を括っていた。 だが、最近、新聞購読をやめた代わりにと、本棚の片っ端から再読する作業を始めてみて「オイオイ、この本、以前読んだのは確かだが、内容は全く記憶に無いじゃないか?」と愕然とすることが あまりにも多いのだ。 同じ本が2回楽しめて「1粒で2度美味しい」のは良いが、大脳皮質の記憶が、老化による忘却と、日々アルコールに洗い流されてしまっている事実を受け止めざるを得ない状況なのだ。 刻々と薄れて行く記憶。 なにせ、この旅行記は、子供達がなけなしのお金を出し合いプレゼントしてくれたイギリス旅行のことを、後々まで記録しておきたいと書き始めたものだ。 自身の怠慢で「記憶が薄くなったから」と、簡単に放棄するワケにはいかない。いや、記憶が薄くなるからこそ書き残して置かないといけないのだ。 そんな状況のなか、自分に「喝」を入れる意味でも、ここで「再開宣言」をし、退路を断って(大袈裟!)再び書き出そう。 (出来れば第一話から読み直してくだされ!)
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[6日目(2013.7.1)]
朝起きるもノドが痛い、熱もあるようで、旅行中や仕事のトラブル中でなければ、速攻「風邪をこじらせる前に、今日はお休み」と判断するだろう。 窓の外も大英帝国が世界に誇る曇天模様で、羊達も寒さのためか柵際に身を寄せ合っている。 どんよりしたイングランドの空の下、見渡す限りの牧草地に「やはり俺は都市の観光のほうが性に合っているな」などと憎まれ口をたたきながら、 部屋のサービスで置いてあった、カンロ飴風キャンディと紅茶で、ノドをいたわりながらMacに簡単な日記を打ち込む。
朝食は昨夜と同じ階下のパブだ。 妻と末娘は軽くスモークサーモンをメインにオーダーし、私は体調を無視して、ダラムで気に入ったフル・イングリッシュ・ブレックファーストを頼んだ。 「イギリスで美味しい食事がしたければ、1日に3回朝食を取ればいい」というサマセット・モームの言葉に従うつもりはないが、場所(地方)によって素材やスタイルが違うなら確かめてみようと思ったからだ。 結果的には量と塩分の多さも含め、ダラムで食べたものとあまり変わらなかったが、パブの雰囲気も相まって充分満足出来た。 ただ「イギリス人って、毎朝こんな大量に、且つ、塩っぱい朝食をとっているのだろうか?」と疑問に思わないわけにはいかない。 私は毎日必ず朝食をとることを大切にしているが、量はせいぜいこの1/5くらいだ。 イチローのカレーではないが、毎朝、毎朝、パン一切れに、目玉焼きとサラダ少々が定番だ。 なので、朝からこんなに食べたら満腹感で仕事にならぬし、塩分の摂取量も”感覚的”にかなり多く、健康的にとても危険な気がする。 塩分といえば、姉がドイツ旅行をしたときの話で「食事に塩入れ過ぎ!」と文句を言っていたので、この現象はイギリスだけではないのかもしれない。 塩分過多は高血圧の原因でもあるので、なんらかの対策が必要ではないかと思い、ネットで調べてみたらビックリ。 NHKのサイトによると、日本人の食塩摂取目標量、一般成人男性9g/日未満に対し、イギリスの目標量は3g/日未満、なんと日本の1/3であった。 まして「2005年からの3年間で塩分摂取量の10%削減に成功して。脳卒中などの患者が減り、医療費も2,100億円浮いた」とのこと。 まさか、三枚舌外交のイギリスでは、外国人には伝統的な塩分たっぷりな食事をさせて、他国の医療費増大を煽りつつ、自国民のみ「健康のため塩分を控えましょう」といった、 清国へのアヘンのように塩を扱っているのだろうか。 冗談はさておき、日本人が塩分をなかなか減らせない原因のひとつに、塩分を調節しにくい加工食品の存在があるとのこと。 「塩っけ」は味覚の問題だから”感覚的”に対応すれば大丈夫だと思っていたが、自分も年齢が年齢なので、認識を変えなければイケナイ。 元来、人類にとって塩は貴重品で「摂取過多」なんていう贅沢は不可能だったワケだが、今では注意を怠ると、加工食品などから食塩摂取目標量以上の塩分を口にしてしまい、健康を損なってしまうのだ。 たかがイギリスの朝食メニューだが、普段と違うものを食べるということは、日頃の生活習慣を振り返る(体調が悪いと特に)良いキッカケではある。 そうそう、「塩」でひとつ思い出したが、ダラムの街の道ばたに[Salt]と書かれた昔のゴミ箱(石かコンクリート製のやつ)のようなものがあった。 道路の凍結防止用だと勝手に解釈したが、現地に3年暮らした末娘に訊いても分からないと言っていた。これが何か知っている人がいたら教えてほしい。
AM10:00前、ピーターラビットの作者ビアトリクス・ポター(Helen Beatrix Potter)が晩年暮らした家"ヒル・トップ(Hill Top)"を見学するため、妻と末娘とともに、宿近くのチケット売り場へ行く。 1回に家に入れる人数を制限しているので、人数に達したらその日はもうチケットが買えないらしい、10時からオープンだが早めに並ばないとイケナイ。 ビアトリクス・ポターに関しては、予備知識ゼロであったのだが色々と後で知った。 財産持ちの家に生まれて優雅な幼少期を送ったが、世間の女性蔑視や、婚約者との身分の違いによる苦悩も味わう。 女性だという理由だけで学会での論文発表を拒まれたり、婚約者の身分が低いと親族から結婚を反対されたり、約100年前のこととは言え、才媛なる故に当時の社会の壁は歯がゆいものであっただろう。 戦後、GHQおよび共産主義に感化された知識人達に、完全否定されタブー視されてきた日本の伝統的な価値観、その存在すら知らず長く生きて来た自分だが、色々な本を読むうちに、 ビアトリクスが感じていただろう社会の壁とは異質かも知れないが、酷く窮屈な見えない社会の壁の中でコントロールされている自分を感じる時がある。 こういう壁は、人間が生きている限りなくならないのだろうか。 環境破壊も人間が生きている限りなくならない。 ビアトリクスは、100年以上も前に湖水地方の環境汚染を案じ、景観を愛し、その保存のために、77歳でここで亡くなるまで財産をつぎ込んだ。 その遺産の一部がナショナル・トラスト(第5話参照)の保護下で一般公開されていて、湖水地方観光の目玉のひとつとなっているのだ。
ヒル・トップは、普通の日本人庶民感覚からすると大きな家だが、観光名所としては、見学する人数を制限せざるを得ないだけあって、かなり小さく質素な印象だ (こんな感じ)。 狭い入り口では、ボランティアと思しきイケメン白人君が、撃速スピードで屋内での注意事項を、来る人毎にまくしたてるので、入り口近くでぼやぼやしていると、何度も何度も同じ説明が聞こえてくる。 意地悪なオバさんが、ジョークとも皮肉ともとれる口調で「アナタ、一日に何度それを繰り返して言っているの?」などとからかっていた。 だが、我々夫婦には速過ぎて、内容は1/3も伝わらないので「写真は撮ってもいいのですか?」などと、たった今聞いたばかりの注意事項をまた質問してしまい、イケメン君をがっかりさせるのだった。 しかし、なんでイギリス人やアメリカ人は、他の誰もが英語を理解すると思っているのだろうか、自分たちが世界の標準だと勝手に決めつけている感覚はなんとかしてほしいもんだ。。。 建物の中は暗く、説明書きのようなものも無いので、かなりぶっきらぼうだ。 ただ、それには理由があり、暗いのは歴史的建造物保護のため、無駄な説明がないのは、ビアトリクスの暮らしぶりをそのままに伝えるのが、生前のビアトリクスとの公開条件であったらしい。 暖炉、キッチン、客間、寝室、アンティークな小物や絵画、かなり自然体で公開しているので、ピーターラビットの熱心なファンでもない限り、30分もしたら後から来る見物客に押し出されて、外の小さな土産物屋に居る筈だ。 かく言う我々3人も、湖水地方観光のメインイベントを早々と終えてしまい、10:30頃には土産物屋でナショナルトラストへの間接募金に興じていた。 普段、土産物など買わない私も、この地方の景観保全のために、ささやかながら協力出来るならと、珍しく会社のスタッフ用にピーターラビットのコースターを人数分買った。 その後、あれこれ物色中の母娘を残し、外に出てガーデンを眺めていたら、本物のウサギが飛び跳ねていた。
ヒル・トップを出て、遠くに見える湖の方に歩き出すも、霧雨が降ってきたので(まったくイギリスの天候てやつは。。。)、近くに見えるホテルに一時退避することにした。 ホテルに駆け込む途中、ロンドン2日目の朝に引き続き、またもや、鳴る筈のない携帯電話の呼び出し音が響く。 なにか緊急事態かと出てみると、取引先、と言うより友人であるS社のUさんからだった。 なにやら、接待後に手配する代行タクシーを紹介してくれとのこと。 「いまイギリスにいて取込んでるから、あとでコンタクト先をSMSしときますよ!」と切ったが、湖水地方の景観に見事にマッチしない話題に(Uさんには罪はないが)興醒めであった。 雨宿りに入ったホテルのカフェは、眺めは良く近代的だが、さほど趣きもなく、いま泊まっているTower Bank Armsのパブの方が断然イイ感じだ。 色々調べて予約してくれた妻と末娘に内心感謝しつつ、寒さもあり昼間から赤ワインを飲んでしまった。
雨があがったので再び湖を目指す。 のんびりとした風景と羊と馬以外とりたてて目立ったものはない。 「旅行で来るのは良いが、こんな田舎で生活したら、さぞかし退屈だろうな」などと、日本人に大人気な観光地をクサしつつも、湖水地方に来たという証拠写真をスマホで撮りながら歩いていたら、 バチがあたったのか、大きな馬の糞を踏んづけてしまった。 糞に浮き出るYonexの文字。 結局、湖についてやったことは、糞でよごれたYonexのシューズを、湖の畔で洗っただけであった。。。 宿に戻ると午後1:30であったが、風邪が悪化してきたので、お昼も食べずに、暖かい紅茶だけ飲み寝てしまった。
イギリス6日目にして実質ダウン、かなりの時間寝てしまったが、その間、妻と末娘は二人でどこかへ散策に行って来たようだ。 途中、昨日フェリーで一緒になったH.Mさんと遭ったらしく、「○○時に夕食をこの宿のパブで!」と誘ったとのこと。 私は未だ熱があるようで、しばらくグダグダしていたが、長女からの「報告セヨ」E-Mailに「喧嘩してないよ」と返信した後、約束の時間になったので階下のパブに降りていった。 H.Mさんとは、暖炉の前で食事をし、エールやワイン、そしてウイスキーまで飲みながら、家庭の話や末娘の人生相談まで、夜遅くまで話し込んだ。 そして、お土産にと、日本の納豆菓子と、風邪悪化中の私のためにと、のど飴も頂いてしまった。 最後は、H.Mさんの泊まっているホテルまで、近いが道が暗いので3人で送っていった。
宿に戻り、そのままベッドに倒れ込んだのは言うまでもない。 明日は湖水地方に別れを告げ、再びロンドンへ移動だ。 特別な予定は無いが、ブラブラ街を歩き回れる程度の体調には戻っていたい。 体調回復と、馬糞に浮き出たYonexの文字が夢に出て来ないことを祈りつつ、目を閉じた。
次回へとつづく。
(№87. 子育て卒業イギリス旅行記(6) おわり)