№84. 子育て卒業イギリス旅行記(5)


[5日目(2013.6.30)]
今日は一日掛けて、ダラム(Durham)から湖水地方(Lake District)への移動だ。 例によって早朝AM5:00に起きてしまったので、ベッドでMacBookに簡単な旅の記録を打ち込み、朝食はマフィン程度で済ませた。 妻は、昨日で懲りたか、今朝はデジカメ、携帯電話と充電しまくりだ。 テレビをつけると、BBCニュースで昨夜のGlastonburyでトリをつとめたストーンズの話題で持ちきりであった。 このGlastonbury Festivalは、1970年代から行われているイギリスが世界に誇る大規模野外ロック・フェスティバルだが、 なんとストーンズ初見参ということで、数日前からマスコミでは異様に盛上がっていた。 画面に映るMick Jaggerは、とても70歳直前とは思えぬ身のこなしで大観衆を煽っている。 観客席では老若男女が声援を送っているのが微笑ましい。 普段肩身が狭い思いをしている引退世代も、このときばかりは、隣り合わせた孫のようなRock Kids達に「俺は40年前からストーンズ聴いてるんだぞ!」と自慢話でもしているのだろうか。 ストーンズは東京で初来日から続けて3度観ているし、DVDなどでもその”お決まり”の演出には食傷気味だが、ここは本場のイギリスだ。 もし昨夜ロンドンに居たら、ちょっと遠いが観に行ってたかもしれないな、まあ、今回は無理か。


AM10:00に、末娘が予約しておいたタクシーでダラム駅へ移動する。 我々夫婦にとっては、おそらく、もうこの街に戻って来ることはないであろう。 末娘を無事に育ててくれたことを感謝しつつ、車の窓越しに世界遺産の街ともお別れだ。 ダラム駅では予約済みのチケットを機械で発券したあと、電車が来る迄の間プラットフォームで写真を撮ったりコーヒーを飲んだりしていた。


本日の湖水地方までの鉄道の旅の予定はこうだ。 まずはダラムからニューカッスル(Newcastle)へ北上する、電車を乗り換えで今度は西のカーライル(Carlisle)へ向かう。 そして、また乗り換え、今度はオクセンホルム・レイク・ディストリクト鉄道駅(Oxenholme Lake District railway station)へ向かう。 そして、そこから湖水地方南部にあるウィンダミア(Windermere)に伸びる支線の終点までの約3時間。 ちょうど、イングランドの北部を反時計回りで、逆Uの字を描くカタチでの移動だ。 今回の旅全てに共通だが、私は湖水地方に関する予備知識もほぼ無く、現地に着いたら、ただただ牧歌的な景色を眺めながら、仕事のことも忘れてノンビリするつもりである。


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ロンドンからダラムへ来るときに乗ってきたイースト・コースト本線 (East Coast Main Line) の10:45のダラム発エディンバラ(Edinburgh)行きが少し遅れて発車すると、15分程度でもうニューカッスルに着いてしまった。 車窓からチラリと眺めただけなのでエラそうなことは言えないが、流石にイングランドプレミアリーグのチームがある都市だけありダラムよりは都会であった。 まあ、都会と言ってもメタリックなビルが林立するようなイメージではない。 炭坑や造船などの重工業が中心だったらしく、30年前の日本の工業都市といった程度だが、世界遺産と石畳のダラムと比較すると、やはりどこか街の猥雑さが滲み出て来てしまうような印象だった。 そういえば、末娘の友達の韓国人と少し話しをしたときに「ニューカッスルまで行けばキムチが食べられるよ」と言っていたので、それなりの"都市"なのだろう。

ニューカッスル駅で奥多摩の登山鉄道のような電車に乗り換えると、バックパッカーのような旅装の人達が多くなってきた。 カーライル経由で湖水地方に行く人達なのだろうか。 最初はあまり気にしていなかったが、電車が動き出して暫くすると、静かに車窓を眺めていたい私にとっては癇に障る場面が多くなって来た。 ジャンクフードを散らかして食べまくりながら、不躾に相席になった人に話しかけている奴、トランプをやりながら奇声を発する親子など、けっこう行儀の悪い輩が目立つのだ。 そして、喋っている言葉は「これが、ご本家イギリス人が話す英語か?」と疑う程品格が感じられなかった。 初ヨーロッパで萎縮気味のマインドから一転「イギリス人だって紳士淑女ばかりではなく、品のない人達も居るもんだ」と、かなり冷たい上から目線で彼らを眺めていた。

約一時間半の登山鉄道風”田舎者満載列車”がカーライル駅に到着すると、次の電車に乗り換えるまでの時間があまりない。 あとでデジカメで撮った写真のタイムスタンプから計算すると6,7分しか無かったが、トイレに行ったり、プラットフォームを間違えてしまたりしたらアウトな時間間隔だ。 荷物を引きづりながら、小走りに隣のプラットフォームまでの橋を渡ると、間もなくVirgin TrainsのSuper Voyager号が滑り込んできた。 Virgin Trainsの車両はWifiサービスなどもあり近代的であった。 「Virginって飛行機だけかと思ったら、鉄道もやってるんだ!」と、AirAsiaのような機内販売のメニューを眺め、スッチー姿のリチャード・ブランソンを思い出して苦笑していたら、40分程度でオクセンホルム・レイク・ディストリクト鉄道駅に到着していた。

ここで下りる人達は、ほぼ全員がウィンダミア支線に乗り換えて、湖水地方の玄関口であるウィンダミアに行く観光客だろう。 「そろそろ、憧れの湖水地方だ!」との期待感が、古く趣のある駅舎に不釣り合いな真っ赤に塗られた柱や電柱への批判を遠ざけているのだろうか。 約15分でウィンダミア駅に着いてみると、驚いたことに、日本の団体旅行客がゾロゾロ下りてくるではないか。 おそらく我々とは逆でロンドン(南)から来て、オクセンホルム・レイク・ディストリクト鉄道駅でこの支線へ乗り換えたのだろう。 久々に、日本語があちこちから聞こえてくる環境に身を置き、戸惑い気味で駅舎を出ると、ここから乗る筈であったバスが”運休中”とのことで、 ここまで比較的順調に来た本日の移動が、目的地を目前にして躓いてしまった。


本日の鉄道の旅のゴールであるウィンダミア駅からは、駅前から出ているバスでウインダミア湖のフェリーの発着所があるボウネス・ピア(Bowness Pier)に移動し、フェリーで対岸に渡ったあと、 周回しいているマイクロバスで、ニア・ソーリー村(Near Sawrey)に行きTower Bank Armsという湖水地方らしい宿屋に泊まる予定だ。 だが、末娘がバスの運転手に聞いて来た話だと、ちょっと前に発生した交通事故の影響で、道路が緊急封鎖されていてバスが出せないらしい。 徒歩だと約40分、午後2:00とは言え、雨が降りそうな肌寒い天気(まったく、イギリスの天候ってやつは!)のなか、旅の荷物をガラガラ引いて歩くのは、体力的にも気分的にもかなりシンドイ。 英語で質問は出来たとしても、答えを聴き取ることがほぼ困難な我々夫婦は、末娘の語学力に頼るしかない状況で「どうしたものか?」と困惑気味でだったが、 団体旅行の日本人達は「トラブル対応は添乗員の仕事」とばかりに、そそくさと駅前のスーパーマーケットの中にあるカフェで”ティータイム”と余裕であった(自分も充分ヒト任せだけど)。

そんななか、なんとかボウネス・ピアまで行ける手段を探して情報収集中の末娘に「あれ、○○さんじゃないですか!」と、日本語で末娘の名を呼び近づいて来た若い女の子がいた。 最初はダラム大学の友人かと思ったが、よくよく訊いてみると、彼女は日本のTK大学生のMZさんで、以前にダラムに短期留学したときに、末娘がお世話役的に支援をしていたとのこと。 今は母親と二人でイギリス旅行中で、ボウネスまで行きたいが、バスが出ないので少し前から待っているとのことだった。 意外な場所での”偶然の再会”に驚きつつも、お母様にも挨拶をし”旅は道連れ”ではないが、暫く一緒に、余裕の団体客に混じってカフェで自己紹介やら世間話をしながら様子を見ることにした。

20分ぐらい経っただろうか「終点のボウネス・ピアまで行けるかは不明だがバスが出る」との情報があり「とりあえず、行ける所まで行こう」と、MZさん母娘と一緒にバスに乗り込む。 MZさんと末娘は話に夢中だ。 バスの車窓から見るウィンダミア(Windermere)の街は、想像していたより開けていて、土産物屋が連なる所謂観光地であった。 鉄道駅からは、牧草地を羊を見ながら移動するのかと勝手に思い込んでいたので、個人的にはちょっと興ざめだが、この街に泊まるワケではないので、がっかりすることもない。 結局バスは、心配した事故の影響もなく、10分程度で無事ボウネス・ピアに到着した。 ボウネス・ピアの印象は、箱根芦ノ湖遊覧船乗り場と言った感じで、観光地にありがちな妙に落ち着かない所だった。 MZさん母娘のホテルは、フェリーに乗り対岸へ行く我々とは違う方角らしい。 偶然とは言え、外国で日本人の知り合いに遭うのは何かの縁なので、一緒に記念撮影をしてから別れた。 移動していく母娘を見送りながら「偶然か必然か分からぬが、こういうことは数年に一度有るか無いかだろうな」などと漠然と思っていたら、30分後には次の偶然が待っていた。

肌寒いウインダミア湖の畔、スナック菓子で昼食抜きの空腹感を紛らわしながら、フェリーの出発時刻を待っていると、大きなスーツケースを転がしながら、一人の日本人と思しき女性が並んだ。 ”並んだ”と言っても、我々家族3人しか居なかったので、正確には”加わった”といった感じだ。 その女性、おそらく、年齢は我々夫婦と同じぐらいであろう。 話は飛ぶが、私には、通勤電車でたまたま前に座った見ず知らずの人などを材料にして、勝手にストーリー想像してしまう妙な癖がある。 この人は、昭和31年生まれで博多出身、小さな会社で事務員やって、韓流が好き、等々。。。 なので、最初は熟年女性の”一人旅”にちょっと戸惑いを覚えたが、お互い日本人だと認識すると、どちらからともなく会話が始まった。

話によると、そのH.Mさんは、東海地方で公共放送関連文化センターの英語教育に携わっているとのこと。 以前は、一人で海外旅行をする自信などまったくなかったが、ご主人が一時期単身で海外勤務になったことがあり、その国を一人で訪ねる経験を何度か重ねていくうちに、 ”一人旅”に自信がつき、こうして旅行が出来るようになったとのことだった。

フェリーに乗りこんでからも会話は続き、こちらが日本からではなく、マレーシアのクアラルンプールから来てると言うと、驚いたように 「私の主人が駐在していたのはマレーシアで、私も一人で何度か行きましたよ!」と、ご主人の勤務先であった日本最大手の自動車メーカーのマレーシア現地法人の名前をあげた。 これには、こちらもビックリ。 思わずビジネスモードがオンになってしまい、マレーシアの日本人社会で、何か話がつながる可能性もあると、気が付くと携帯電話番号の入った名刺を渡していた。 しかし、まったくの偶然ではあるが、実に世の中狭い、イギリス湖水地方、それもウインダミア湖のフェリーの上で「モントキアラの○○コンドミニアム」や「日本人会の元会長○○さんの奥さんは友達ですよ」 といった半径5Kmのローカル話題で盛り上がってしまうとは。。。 H.Mさんとは、フェリーからマイクロバスに乗り換え、我々が泊まる宿の前でマイクロバスを降りるまで一緒だった。 ウィンダミア駅に着いてから"日本人モード"全開であったので、トラディショナルなイギリス古民家風の宿にチェックインした後もなかなか頭の切り替えが出来なかった。


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暖かいマレーシア暮らしが長くなったせいか、ロンドン初日からずっと寒いと感じていたが、ここ湖水地方は更に寒く感じる。 夏だしTシャツに何か羽織るものがあれば充分ではないかと思っていたが、周りはトレッキングに出かけるようなヤッケ姿の人が多い。 旅前のイメージでは「ポカポカ陽気のなか、牧草地帯でのんびり草を食む羊を眺めながら、地元のエールを飲みうつらうつらするのも良いな」などと思っていたが、 現地に着いて、それがかなり的外れな期待だったことに気付かされた。 更に、ダラムでの卒業式を終えたあたりから風邪気味でノドの調子もイマイチだ。 本日の移動が終わった”気抜け”も手伝ってか、体がゾクゾクしだしたので、チェックイン後、温かい紅茶を飲み暫くベッドで毛布に包まっていた。


体調は風邪の初期症状といった感じであったが、せっかくなので妻と周囲を散歩することにした。 末娘は、昨夜遅く迄友達とのお別れ飲み会だったため「ちょっと寝る」というので、そのまま寝かせておいた。 今回の宿は、湖水地方での妻の目的地であるピーターラビットの作者ビアトリクス・ポター(Helen Beatrix Potter)が晩年暮らした家"ヒル・トップ(Hill Top)"のすぐそばだ。 今からだと見学できる時間が少ないので、明日行くことにしているが、少し離れた場所にあるチケット売り場を下見してみた。 石造りの元納屋を改築したらしいオフィスには、ヒラリークリントン女史似の上品な係員が居て、見学は時間交代制で朝イチがオススメだと教えてくれた。 妻は例によって、旅行前の下調べで予備知識は万全なのだが、実を言うと私はビアトリクス・ポターが女性だということをこのとき初めて知ったほどで、"ヒル・トップ"がなんなのかもよく分かっていなかったのだ。。。 チケット売り場を出たあと暫く牧草地をブラブラ歩いたが、相変わらずイギリスの天気は無愛想だ。 空はどんより薄曇りでけっこう肌寒かった。 移動の疲れもあり、風景や放牧されている羊達の写真を少し撮ってから宿に戻ることにした。 このとき、体調は既に感覚的には初期症状を通り越して「完全に風邪をひいた」に変わってしまっていた。


「風邪はひいても腹はへる」昼食抜きの移動だったので、弱気になってしまった体を勇気づけるため、夕食は宿の一階のパブでボリューム感のある地元料理にする。 今回泊まった宿”Tower Bank Arms”の入り口はなんとナショナル・トラスト(National Trust)に保存されているパブの入り口でもあるのだ。 因みに、ナショナル・トラストとは、歴史的建築物の保護を目的としてイギリスで設立されたボランティア団体のことで、明日見学予定の"ヒル・トップ"もナショナル・トラストの保護下だ。 パブは小さいが暖炉もあり、落ち着いた雰囲気で、夜になると観光客や、仕事を終えた地元の人達が集まって来る。 我々がオーダーしたのは、ここカンブリア州特産の”カンバーランド・ソーセージ”、魚クリームソース、ラム、そしてエール二種。 酔っぱらっても階段をちょっと上がればすぐベッドで寝られる環境で、家族三人料理をシェアしながら移動日の疲れを癒した。 夕食後は部屋へ戻り、ウイスキーをストレートでやりながら、撮りためた写真をMacに移し、バンドで演奏するために憶えないとイケナイ昔のヒット曲を聴いているうちに寝てしまった。 やはり微熱があったのか、羊の群れが「♪1/3しか伝わらない♪」のメロディと一緒に頭に渦巻いて少々眠りが浅かった。


次回へとつづく。


(№84. 子育て卒業イギリス旅行記(5) おわり)


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