№71. 日本丸の行方


とうとう、長年恐れていたことが、現実となってしまった。 もちろん、“東日本大震災”のことだ。 「恐れていた」と言っても、この地域に巨大地震が来ること予知していたわけではなく、 東海であれ、東北沖であれ、いつかは地下に溜まってしまった歪みを解消するために、大きな地震が発生すると 言われ続けていたので、「とうとう現実となってしまったか・・・」なのだ。


以前にも、このコラム(No.1, No.34, No.41)で書いているが、私は、1993年7月12日に発生した奥尻の地震(北海道南西沖地震)で強いショックを受け、 その後、1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災では、ある意味、日本で生活することに対しての絶望感を感じた者のひとりだ。 この地震列島日本、奥尻では津波、そして、阪神・淡路では火災の恐ろしさを充分認識した筈であったが、今回の津波は、私の想像を軽く超えてしまっていた。


2011年3月11日の金曜日。 いつものように遅い昼食を済ませ、オフィスに戻り、ネットをチェックする目に飛び込んで来た 「東北地方で巨大地震発生」の文字は、週末の気だるい午後を一変させるには充分なインパクトであった。 その後は、次々に配信されてくるニュースや映像を追うことと、東京のオフィスとの連絡だけで、とても通常の仕事どころではない。 夜の約束はキャンセルさせてもらい、自宅でもPCにはりついて、遅くまで情報収集するのみ。 遠く離れたマレーシアに居るせいか、はたまた、あまりにも想像を絶する出来事だからか、 これが現実であることが納得できないまま、最後は疲れて眠ってしまった。


あれから50日経った今日までに起こった様々なことは、ここで繰り返す必要はないであろう。 地震発生の二週間前に引っ越した現在のコンドミニアムで、テレビを観ることを放棄してしまった私ですら インターネットからの溢れる震災関連報道で、不謹慎だが、ちょっと正直なところ食傷気味だ。 まして、相互監視的な自粛強制の“空気”や、結果論からの一方的な責任追及論調、そして、善意なのだろうけど、 ちょっと押し付けがましいチャリティー活動自慢等々。 本当の意味での被災者支援につながらない部分で、被災しなかった人達が右往左往しているようで、 ささやかな寄付金を送ることぐらいしか出来ない自分に対しても含め、ちょっと苦々しい気分の日々が続いている。


そんななか日本では、ゴールデンウイークに入り、東北新幹線は早くも全線復旧したし、途絶えていた中国からの観光客も激増しているらしい。 百貨店では“節電モノ”を商戦の目玉として失地回復を図り、ネットニュースでは、外国の王子様の結婚を祝っている。 自分は自分で、毎日、広い部屋で、温かいご飯を食べ、シャワーも好きなだけ浴び、トイレを我慢することもない、快適な生活を送っている。 以前と少し違うとすると、「こういう暮らしが出来るということは、とても、とても幸せなことなんだな」との自覚が出てきたことぐらいだろうか。


瀬戸内寂聴さんの文章で、“無常”という言葉が出ていた。 仏教の解釈とは違い、“常ならず”の意。 良いことも、そして悪いことだって、ずっと続くワケではない。 どん底の状態に落ちても、人は“無常”を思い、全てを受け入れ、前を向いて生きていくしかないのだ、と。 もちろん、今、被災者や犠牲者の遺族は、そんな風には考えられないであろう。 私がその立場なら、悲しみや憤りを、何かにぶつけなければ、きっと心がもたないだろうと思う。 ただ、長い年月が経てば、そんな私にも、寂聴さんの説法も理解できる日が来るかも知れない。 自然災害という、人間には制御不可能なチカラに対する畏怖の気持ち、 そして、年齢を重ね人生を諦観出来るような境地になれば、「あれも運命だったのか」と、思えるのかも知れない。 が、しかしだ、最近、週刊誌やネットで暴露されている“人災”の裏話を読むと、「なんでも受け入れて生きて行こう」とは素直に思えない部分が多過ぎるのだ。 「原発は必要です」、「原発は安全です」と主張することが自分の利益になっていた人達は、今回の事態に対して、どう責任をとるのであろうか。 原発推進理由の“経済界や国民の旺盛な電力需要”ってのは、今回の被害者補償や、子供たちの世代に残される負の遺産とバーターするほど 大事なもなだったのだろうか。そもそも、その他の発電方法を封印して、電力需要が賄えないなんて詭弁ではないのか。 今回のコラムは、大地震発生後50日目、まだ、何も終わっていない状態で、気持ちの整理もつかないなかでの、怒りの雑感だ。


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それにしても、人間の“慣れ”というやつは、つくづく恐ろしいと思う。 2009年6月の新型インフルで、警戒水準が“フェーズ6”、つまり世界的大流行(パンデミック)状態に指定されたときも、 今回(2011年4月12日)の原発事故評価が最悪の“レベル7”に引き上げられたときも、 発表直後は「これゃエライことになった!」と心配するが、とりたてて自分に直接的な被害が無いとなると、なんとなく大丈夫のような“空気”を感じてしまう。 この“慣れ”というのは、人間に備わった一種の自己防衛本能なのかも知れないが、この“空気”を利用して大衆を欺いたり、 事実を隠蔽しようとしている人達が居るとすると、「なんとなく大丈夫だ」などとマヌケなことを言ってられない。 なぜなら、津波は、堤防などで対策はとれたとしても、発生は抑えられない自然災害だが、 原発に関しては、完全なる人災であり、「想定外でした」などと一方的に記者会見の席を立たれても、 「じゃ、しゃ~ないですね」と言える類のものではないからだ。


大昔、科学雑誌“ニュートン”で読んだ知識程度しか持ち合わせていない私にとっては、原子力は“神の領域”にしか思えない。 人間が、“安全性100%”などというものを創ることは不可能という前提に立てば、飛行機なども危険ではあるが、その危険の及ぼす範囲は限定的だ。 しかし、原子力に関しては、一旦暴走しはじめると、人間の手には負えないばかりではなく、鎮静化に恐ろしい時間と莫大なカネを要するバケモノである。 そもそも原発なんて、私が生まれたときは日本になかった筈だと思い、Wikipediaで調べてみた。 確かに、私の生まれた年より後だったが、原発の歴史は意外と古い。 日本で最初に原子力発電が行われたのは、映画「ALWAYS 三丁目の夕日'64」、というより、 東京オリンピックの前年、1963年10月26日東海村に建設された実験炉だそうだ。 この際、もっと深く調べようと、色々検索してみたら、出てくること、出てくること、それも嬉しくないことばかり・・・。 中曽根康弘(元首相)、正力松太郎(某新聞社主)、そして米国政府機関との、原子力政策におけるセンシティブな関係。 大手マスコミグループあげての原子力平和利用キャンペーン。 大震災以前のことなのに、CNNが「日本政府と東京電力による悪質な隠蔽工作」を批判していたり、 「温暖化防止→原子力発電推進」の欺瞞や、原発内労働の杜撰な管理実態と犠牲者のこと。 そもそも、電力は足りているという実証値は知っていたが、キワメツケは、有望な技術(量子ドット太陽電池等)への政治的な圧力。 そして、最後はやっぱりカネの流れ・・・。 これじゃ、まるで原発利権のために、もっともらしい理屈をつけて、巨大な時限爆弾のようなものを、日本列島にばら撒いたと言われてもおかしくないではないか。 利権グループの一員なのだろうか、公的なメディアであるテレビ、ラジオ、そして新聞も、核心を避けた報道をしているとしたならば、 それを鵜呑みにするしか術のない大多数の人達は、言葉は悪いが、ある種の洗脳状態で、(原発誘致の是非等)重大なことの判断を迫られていたことになる。 今回、事故発生直後に、先を争うように帰国した外国人達と、それを、“戦線離脱者”を見るような視線で見送った日本人の違いは、もちろん、当事者意識の違いは大きいが、 ひょっとしたら、それぞれが持っている情報の内容に“温度差”があったのではないかと、ふと、考えてしまった。


私も、極小ながら株式会社の社長をやっているので、色々な企業の不祥事で社長がやり玉にあげられているときには、 ある意味、シンパシーを持ちつつ見てしまう。 ただ、YouTubeで観た、東電社長の記者会見は「心からお詫びをしたい」と口で言いつつ、目が頻繁に横に動いていて、 同情的に見ても“心から”詫びているようには、残念ながら映らなかった。 おそらく、東電の経営者陣の正直な気持ちは、「なんで俺のときに、こんなことが起こってしまったのだ・・・」といったところだろう。 そして、既に引退されている元経営者達は、「会社が大変なのは心苦しいが、自分の在任中でなくて良かった」が実感ではないか。 まあ、そのぐらいの“他人事”感がないと、巨大組織を束ねることは出来ないのかも知れないが、その辺がサラリーマン社長の限界だ。 現場で、命の危険に晒されながら作業をしている社員、メーカー技術者、そして一番危ない場所で体を張っている“協力会社”の 作業員達との距離感は想像以上に遠い。 一方、原発関連の官僚さん達は、高額な年収(週10分勤務で1,650万などと週刊誌に書かれていた)を貪っている割には、あまり実質的な貢献はされていないようだ。 カネ(それも税金)をとって仕事をするプロとして、「知識を持ち合わせていない」などと逃げずに、有益な情報を提供するか、 ゴメンナサイと、今迄もらっていた報酬を潔く返納するか、腹を括らないと、ちょっと立場がないのではないかと思ってしまう。 オイシイ天下り先としての東電が無くなりつつある中、後々の保身の為にも、早い段階での意思決定をお薦めしたいところだ。


政治家の中には、「福島に首都移転する」という思い切った案を出している人もいるが、その前にやることがある。 それは、責任の所在を明確にし、必要あらば処罰の対象とすることだ。 これだけの被害を出してしまい、且つ、各方面で「これは人災だ!」と指摘されているのだから、しっかりとケジメをつけねば、 被害に遇っている人達が浮かばれない。 現場での過失や、判断ミスより、利権のために安全性の評価を歪めた事実があれば、それは重罪だ。 少なくとも、原発関連族議員、産学官の原発利権の関係者、その他、マスコミ等、危険性を恣意的に隠蔽し安全を強調した者は、調査の対象にして “人災”の本質を詳らかにしないと、バカを見るのは被災した地域住民達で、将来的にも同じことが繰り返されるだけだ。


恥ずかしながら、私は今まで、原発に関する利権が、ここまでドロドロしているものだとは知らなかった。 そして、権威のある専門家達が「原発は、幾重ものフェール・セーフが施されているから安全です」と言えば、 それに反論する知識も、持ち合わせていない。 ただ内心では、「隕石が直撃したらどうなるの?」、「爆撃をうけても壊れないのかしら?」、「内部にテロリストが侵入したら?」 なんて、小説まがいの想像はしていたけれど、現実的な想像の範囲内である地震で、それも信頼に足る日本人の仕事で、 こんな事態となってしまうほど、人間のやることなんてアテにならないものだということが、今回実感出来た。


もう既に、原発は、「何か起きたら取り返しのつかない厄介者」ということが明確になったのだから、 これ以上“神の領域”には手を出さず、既存の設備を数十年かけて廃棄することに決定して、子供や孫の世代にまで禍根を残すようなことはやめにしたい。 そのために、停電や規制で生活が不便になる、というなら、それはそれでいい。 電力供給が不足すると産業が停滞するというのなら、それもいい。 あえて、不要不急な贅沢品を、貴重なエネルギーを使ってまで造らなくたって良いではないか。 当初は経済界は混乱するだろうが、環境問題、ゴミ問題、原料不足、ひいては心の問題まで良い方向に向かうかも知れないし、上手く行けば、 そういうノウハウこそ、次世代の知価産業に貢献する可能性も高い。


技術への過信、無責任な利権の追求、そして、経済成長のみを金科玉条のごとく掲げる政策。 こんなのって、傲慢などこかの国のようで、もう、かなりカッコワルイではないか。 はやく、そんな持続的でない、オールド・ファッションな使い捨て系方法論は破棄して、 単純に、今、原発近くの避難所で無邪気に遊んでいる子供達や、これから被災地で生まれてくる赤ん坊のことを考えようではないか。 この期に及んで、子供達の未来と引き換えに、一部のエリート層の天下り先や、引退後の組織への影響力などを優先して考えている人達が、 まだ日本丸の舵をとっているのであれば、私は、ちょっと怖くて、日本には戻れない。


最後に・・・私は、特別に皇室に思い入れがあるわけでも、右翼でもなく、どちらかというと天皇機関説的な感覚を持っている人間だが、 震災後の、天皇、皇后両陛下の、被災地お見舞い行脚の報道には、何故だか熱いものがこみあげて来てしまうのだ。 “モノの時代”から“心の時代”へシフトする象徴のようでもあり、私の両親のようでもあり。。。 戦後の焼け野原から、極限まで繁栄して来た日本。 今こそ、次の正しいステージへシフトする、千載一遇のチャンスのときなのかも知れない。


(№71. 日本丸の行方 おわり)


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