研修で朝から絞られ、食事時は最低のマナーを叱られ、時間が余れば、考え方や生き方を諭される。 Y君にとっては、マレーシアに来てからの日々は、さぞかし窮屈であっただろう。 休日は、そんな憂さを晴らす為か、はたまた、学生時代のバックパッカー魂が疼くのか、小銭をポケットに忍ばせ、独りで遠出をしていたようだった。 「KLは、もう押さえたので、マラッカに行ってきました。あとは、東海岸を周れば、半島マレーシアは制覇です」 私とインターン研修生3名で昼食をとっているとき、こんなことを言うので、 「たった数週間の滞在で、“KLは押さえた”だって?いったいナニを押さえたのか言ってみろ!(怒)」 「オマエ、国の税金使って、観光に来てると思ってるのか、自分の立場をわきまえて行動しろ!(怒)」 「まだバックパッカー気分なのか、オマエみたいなヒヨッ子は、一旦実家に帰って親に人生相談しろ!(怒)」 と、食事が終わるまで集中砲火を浴びる始末。 研修2週目から、最終週までは、ほぼ、こんな調子で過ぎて行くのである。
Y君は、日々、社会人として基礎的な研修を、強制的な指導で受けざるを得ない立場にも拘わらず、基本姿勢は、“上から目線”なのだ。 そして、立ち位置が主体的でなく、自分に関わる大切なことも、他人事のように簡単に考えてしまう傾向がある。 良い意味で言えば、客観的ともいえるが、他者には、単なる“他力本願”で“薄い言動の奴”としか、映らないのだ。 例えば・・・「自分は、外資系企業でバリバリやることを望んでいるのに、なかなか理解者が現れず、こんなカタチで燻らざるを得ないのは、社会的損失ではないか」 と、いった具合だ。 そして、自称だが、高校生の頃までは、成績優秀な生徒だったらしい。 それがある日、寝ていて突然頭に閃光がピカッと走り、何かの啓示を受けたようになり、その後、考え方も変化して、現在の姿になったとのことなのだ。
そんなY君だが、研修期間が終わりに近づく頃には、我社の事務所のあるPhileo Damansaraというビル群では、かなり存在の知られた人間になっていた。 自慢ではないが、この私も、日本人の少ないこのオフィス群では、かなり顔は知られている。 外を歩けば、ガードマンやバイク便のおっちゃん達は、マレー語で何やら声をかけてくるし、文房具屋の親父やワイン屋のオバサンにはツケもきく。 そして、インドや中華の食堂に入れば、何も言わなくたって、いつものテ・アイス(アイス・ミルク・ティー)がテーブルに置かれるほどだ。 そんな、10年間に私が築いてきた存在感を、Y君は、たった数週間で凌駕してしまいそうな勢いなのだ。 独特の表情(ニカッと笑うと、ちょっと怖い)と、醸し出すオーラ、そして、歩き方、食べ方、喋り方。 ネクタイにスーツ姿が基本の日本人ビジネスマンとは対極の、マレーシア人の日本人感を一変させるような、変わった奴が居る。 一緒に歩いていると、そんな視線を感じ、恥ずかしさとともに、若干の嫉妬を覚えてしまう程、何もしなくても目立つ人間なのだ。
“話題をさらう”という言葉があるが、Y君ネタは、正にその表現がピッタリだ。 Eさん、Mさんとは、週末に良く飲みに出掛けたが、話題の95%以上は、Y君の話をしていた気がする。 社内のローカル達とのミーティングでも、自宅に帰った後でも、皆、Y君のことを聞きたがるし、 話を聞き付けて、顧客や友達が、「Y君を、ちょっと見せて」と来社することさえあった。 内容の是非はともかく、話題的には、とにかく“大人気”なのである。
そんな或る日、あれは確か、研修のネタとして開発していたシステムのテストが、一段落した9月の終わり頃だったと思う。 Mさん経由で、ホテルから毎日入手していた数日遅れの朝日新聞を、自宅で横になりながら眺めていると、 幻冬舎新書『アスベルガー症候群/岡田尊司著』の広告が、ふと目がとまった。
『 学校や職場にいる“アス君”。「問題児」や「KY」扱いしていませんか? こだわりが強く、対人関係が不器用なアスベルガー症候群。 他人の気持ちや常識を理解しにくいため、突然失礼なことを言って、相手を面食らわせることも多い。 子どもだけではなく、働き盛りの大人にも見られるが、自覚がないまま、生きづらさを抱えているケースがほとんど。 日本でも激増し問題となっているが・・・(以下、省略)・・・。 』
私は、“コレだ!!”とばかりに、ベットから飛び起きた。 「そうかぁ、今までY君のことを、単に“変わった奴”だとしか見ていなかったが、ひょっとしたら、もっと深い事情があるのかも知れないな」と、 少し反省をすると同時に、俄然、このことに興味が湧いて来てしまったのだ。 何せ、現在直面している“今そこにある危機”なのだから深刻だ。 さて、アスペルガー症候群とは、どんな症状なのだろうか。上記の本や、ネットで調べてみたら、次のようなことがわかった。
※※※※※ アスペルガー症候群とは 「超要約」 ※※※※※
アスベルガー症候群とは、自閉症の一つのタイプで、脳の情報処理機能の不全による発達障害。 症状は、「社会性の障害」「コミュニケーション能力の問題」「反復性の行動/極限性の興味」の3つに大別できるらしい。 日常生活で我々が受ける印象としては、 「変わり者」 「わがままな奴」 「常識がない奴」 「相手の気持ちを考えられない奴」 「友人関係を作ることが困難な奴」 「節度を知らない奴」 「社会の暗黙のルールを解さない奴」 「話題がKYな奴」 「感情の表現が苦手な奴」 「感覚に特異性がある奴」 「同じ行動を繰り返しイライラさせる奴」 「憑かれたように集中する奴」 「纏める能力に劣る奴」 「優先順位がつけられない奴」 「曖昧が苦手で融通がきかない奴」 「細かいところにこだわる奴」 「計画性に乏しい奴」 と、いったところだ。 このアスベルガー症候群的な症状を放置すると、二次障害として、うつ病や脅迫性障害に進んでしまう恐れもあり、適切な対応が大切とのことなのだ。
ただ、この障害は、俗に言う「頭が悪い」や「知恵遅れ」ということでは決してなく、世の中には、こういった症状を示しながらも、大成している人も多いといわれている。 特に、IT産業などのブレイク・スルーが必須な業界では、常識に囚われない発想や、常軌を逸した集中力が成功の要因ともなっていて、 別名「シリコンバレー症候群」とも呼ばれているらしい。 よく考えると、私の少ない経験のなかでも、こういった症状の人は、数人は思い当たるので、世の中では、決して特別な存在ではないと思う。
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「実はね、“アスペルガー症候群”という言葉を、昨日初めて知ったのだけど、ちょっと君の言動が、当てはまるみたいなんだよね」 翌日、昼食のとき、私はY君に対して、率直に言ってみた。 暗に、“オマエって、脳に障害あるんじゃないか?”と、言われても、「へえ、そうなんですか?」と、淡々としている。 こういうことを、食事時に突然切り出されても、怒り出さず、受けとめる(受け流す?)ことが出来るのは、Y君の長所(特技)かも知れない。 このときは、Y君は、あまり気にも留めてないように思われたのだが、後で聞くと、昼食後、事務所に戻ってから、早速インターネットで調べて、 そこに出ていた診断テストもやってみたようだ。そして、診断結果は、本人曰く、“閾値”(症状的に思い当たる節がある)、とのことだった。 その日は、PCを眺めて、何か考え事をしているような、ションボリしたような、微妙な態度であったので、 「どうした、アレ、ちょっとショックだったのか?」と、気を遣って訊いてみた。 Y君は、一拍置いてタメをつくった後、「ん~、この“アスペルガー症候群”という特性を、どう生かして行こうかと考えてました」と、前向きというか、あくまで、上から目線の回答であったので、吹き出してしまった。 しかし、このときばかりは、“上から目線”も、ちょっと心強く、妙な指摘をした私としては、なんとなく安心するのであった。
私の中で、単なる「変わり者」で「常識のない奴」であったY君であるが、いざ、そういった障害の持ち主ではないかと疑い出すと、 彼に対する接し方も、ちょっとは、変わってくるものだ。 折角、ここKLに研修に来て、知りあった仲でもあるので、日本に帰ってからの、生活の足がかりだけでも、つけてから帰国させてやりたい。 そんな、気持の変化が、私の中でも起こり始めていた。 まだ、Y君はアスペルガー症候群だと決まったワケではないのだが、私自身は、数週間のつきあいから、既に“限りなく黒に近い灰色”と、結論を出していた。 調べてみると、アスペルガー症候群には、特効薬は無いらしいが、『導く術(すべ)』はあるようだ。 私がここで出来ることには限界があるが、Y君には、以下の対応が適しているように感じた。 「予定、手順(やり方)を明確に伝える」 「抽象的な指示ではなく、具体的な指示を出す」 「複数のことは、一度に指示しない」 「理解者になってやり、人間関係の調整をする」 「プレッシャーを取り去り、穏やかな環境を提供する」 「否定的な態度はとらず、ポジティブに接する」等々。 そして、なによりも、Y君に実態を自覚してもらわなければ、この先、進展は期待出来ないので、とにかく、帰国後、即、医師の診断を受けることを、強く勧めるのだった (Mさんも、しきりに、帰国後は一旦実家へ帰ることを勧めていた)。
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「滞在日程の半分を過ぎた後は、アッという間に時間が過ぎて行く」と、今までKLに長期に滞在してもらった人達は口を揃えて言う。 今回も、研修当初は、Y君の問題もあり、大変な長さだと感じていた60日間だったが、気がつけば、月日は飛ぶように過ぎてしまっていた。 そんななか、研修最終週の平日、CSLのマレー系女性スタッフが、得意の料理の腕を奮って、マレー料理のランチを、インターンを含むスタッフ全員に、振舞ってくれた。 マレーシアはホスピタリティの国、と言う人も居るが、確かに、こういった部分は、どの民族も損得抜きで“おもてなし”をしてくれるのが有難い。 レマンやルンダンといった、トラディショナルなマレー料理に加えて、食後のクッキーや、ケーキまである豪華版であった。 おそらく、家族総出で、早朝からつくってくれたのだろう、全14人が満腹になっても、まだ、相当の量が残ったほどだ。
こんな、心尽くしの食事会であったが、私は、Y君のみを参加させず、彼が通常作業をしている、レンタルオフィスに、ちょっと多めの食事1セットを運び、独りで食べさせた。 理由は簡単、彼は、研修初日に、私との“清潔・清楚に気をつかう”という約束を破って、私の信用を失ってしまったからだ。 これには、さすがのEさん、Mさんも、“この時期、ちょっと、それは可哀想なんじゃ?”という顔をしていた。 しかし、私としては、Y君に対しては、しっかりとケジメをつけておきたかったのだ。 『人間、第一印象がとても大切。アナタの場合、今回は失格です。 せっかく楽しみにしていた、ローカルスタッフとの交流が、殆ど出来なかったのも、全て自業自得です。 社会性を無視しておいて、オイシイところ取りは許されませんよ』と、今回は、厳しさを、身をもって経験してほしかったのだ。
この日、食事会が終わった後、Y君のことが気になっていた私は、余った料理をパックしてもらい、別事務所で独り寂しく食事をしている筈のY君のところへ行ってみた。 ドアを開けると、料理を前にして、下を向いて動かないY君を発見した。 さすがのY君も、今日は、仲間外れの“独りメシ”はコタエて、悲しい気分になっているのかと、一瞬、自分の科した、ある意味“仕打ち”を悔いそうになった。 が、しかし、誰かが入室してきたと気付いた彼は、再び顔を上げ、フォークとスプーンを動かし始めたのだった。 何のことはない、常に“食べ物は残さない”が信条のY君、食い過ぎで動けなくなっていただけだったのだ。 多少は、独りで寂しい気持ちもあったかも知れないが、それよりも、食べきれない量のタダ飯を前にして、 「如何にして全部胃袋に納めるか」が、今の彼の最大の関心事であったようだ。 もちろん、今持参した、余った分のパックも、彼の今夜からの保存食となったのは、言うまでもない。
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2009年10月7日(水)、とうとう研修最終日がやってきた。 今回のインターンシップは、「求職者」のための研修であるので、纏めとして、今後の就職活動に対する助言などをした。 今回の3名は、この厳しい雇用情勢のなか、実際に雇用保険や、自らの蓄えを取り崩しながら求職活動をしているので、単に「頑張ってください」などと言っても意味がない。 私からは、Y君は問題外として、Eさん、Mさんに対しては、ソフトウェア開発会社に、SEやプログラマとして職を求めることは推奨せず、 IT要員の居ない(もしくは、不足している)中小企業に的を絞ることを勧めた。 なぜならば、現状SEやプログラマは市場でダブついていて、全社中4割の社員が自宅待機で、雇用調整助成金を受給している、なんて話もザラであり、 新たに40歳代の準未経験者が入り込む余地は、実質的には無いからだ。 その点、中小製造業などは、IT以外の業務経験もあり、且つ、IT専門会社を外注として使える知識があれば、 求職活動は楽ではないにしても、可能性としてはソフトウェア開発会社よりは、希望が持てると思われるのだ。 今回の研修も、当初は技術的(プログラミング主体)なことに主眼を置いて計画したが、実態は、インターンの年齢に則して、フレキシブルに実務的なものを多く取り入れたつもりである。
夕刻、最後に、CSLのオフィスで、Y君も含めたインターンシップ生全員から、CSLスタッフへの挨拶をしてもらうことにした。 Y君にとっては、最終日、それも空港へ向かう約3時間にして、はじめてCSLオフィスに入ることを許されたのだ (初日の印象の悪さで、現地での経験機会としては、大損したことになる)。 CSLスタッフも、噂先行で、実態のつかめていないY君には興味深々であったようだ。 昼食のときに、Y君には、英語での挨拶を考えておくように指示しておいたので、なんとか、体裁は保ったとは思うが、 CSLのスタッフ達からすると、「あれが噂のY君か」「思ったよりマトモじゃん」「やっぱ、少し変よ」「やっと、見れたよ噂のY」といった、 “怖いもの見たさ”的な感覚で、拙い英語を必死で理解しようとしていたようだった。
今夜の帰国便は、マレーシア航空の深夜便なので、私の都合もあり、空港まで28分で行く鉄道(KLIAエクスプレス)の KLセントラル駅(マレーシア航空の場合は、空港ではなく、この駅でもチェックインが出来る)に、20:00迄にタクシーで送ることになっている。 それまでの時間は、事務所近くのパブで、ビールを飲み、最後のローカルフードを食べ、長いようで短かった60日間をふり返る。 もう、このときはY君も一緒だ、最後くらいは気持ちよく帰してやりたい。 CSLスタッフからも、リーダ格の者は参加して、タクシーを送り出すまで、付き合ってくれていた。
帰り際にちょっとしたトラブルが発生した。 荷物が多過ぎるのである。 さすがに、帰途は“漬物石大の物体”は登場しないのだが、皆、60日間で買い込んだ服や土産モノで、 予定していたタクシー1台では積み込めず、2台チャーターすることになってしまったのだ。 更に、駅に着いて、チェックイン・カウンターで、搭乗手続きを依頼すると、今度はかなりの重量オーバーであった。 時間的にも、とても焦っていたので、正確な記憶は薄いが、確か、全員で19kgオーバーだったと思う。 オーバー分をマトモに計算すると、安いときには、成田⇔クアラルンプールの航空券が買えてしまう額になる。 1kgオーバーする毎に2,000円くらいの追加料金が発生するため、荷物を他者のバッグに詰めかえたり、持ち込み分に捻じ込んだり、 カウンターのお兄さんに頼み込んだりで、結果的には、我々の努力を認めてくれたのか、可哀想だと思ったのか、全部タダにしてもらってしまった。 お兄さん達の気が変わらないうちにと、『マレーシア航空サイコー!』などと叫びながら、急いでその場を離れ、KLIAエクスプレスの切符を3枚買い彼らに支給した。
最後までドタバタであったが、いよいよ、3人ともお別れのときが来た。
がっちり別れの握手をした後、頭の中で、この60日間のフラッシュ・バックを観ながら、ホームへと向かう3人の後姿を追う。
皆が、一日でも早く仕事が見つかることを祈りつつ、待たせてあった車に向かおうとしたとき、
詰めかえで、ゴチャゴチャに膨れ上がったY君の手荷物から、土産モノか何かが落ちそうになった。
遠目に、赤紫の大型の袋を見て、愛おしいような、癒されるような、不思議な感覚と同時に、私は吹き出してしまった。
いつ、どこで、どうやって手に入れたのかは知らぬが、Y君が手にしていたのは、なんと、地元CIMB Bankのロゴが入った、おニューのエコバッグであった。(笑)
(了)
≪オマケ (腕輪の秘密)≫
前編(No.62)の企業オリエンテーション時に、Y君が腕に巻いていた、得体の知れない紙の腕輪。
「あれは何だったのか、教えてくれ!」と、コラムを読んだ方から質問を頂いた。
私自身も、知りたくて、知りたくて、とうとう、帰国の日の午後に、「最後に、これだけは教えてくれ!」と、彼に訊いてみた。
あれは、昨年グァムに行ったときに、何かの施設への入場チケットを買った証明のための、紙製腕輪らしい。
「で、なんで、そんなもの、初対面の人が来る場所にして来たの?」と、私。
Y君曰く、「マレーシアへ行くためのオリエンテーションなので、やはり、海外気分を盛り上げようと思って、アレを着けて行きました!」
だそうだ。。。メタルキッズがコンサートに、鋲打ちリストバンドをして行くようなものなのかしら?
まあ、皆、それぞれ、色んな感性があるからね。
とにかく、変な宗教グッズでなくて良かった・・・と、今となっては、寛大に納得する、心の広くなったワタシでした。
(№64. ホームレス・インターンシップ生〔後編〕 おわり)