マレーシアに暮らし始めて早9年、完全にここの住民となってしまった今、あらためてフレッシュな視点で『アジア暮らし秘話』を書かないといけないと思っていた矢先に、珍しく日本の顧客がマレーシアを訪れた。それも、お年頃(微妙!)の女性2名で、完全なプライベート旅行ときた。常日頃、『マレーシアにおいでよ、色々案内してあげるからさぁ~』と、日本の顧客の女性社員に、“営業”抜きにして声をかけているのだが、実際に旅行に来てくれたのは、今回の組が初めてだ。彼女たち、相当旅慣れているのか、フットワークが軽い分、旅の手配も要領が良い。KL4泊のみのHIS激安ツアーを利用して現地まで来てしまい、2日目からの宿は別途予約した豪華ホテルでゴージャスに過ごしたかと思うと、観光は現地のアッシー君(つまり私ね)をフル活用、と、なかなかシタタカなプランニングである。運よくツアーは直行便利用であったし、ホテルの予約は、現地で旅行会社に務める私の友人から、破格のプロモーションレートで希望以上の部屋を確保できた。アタマとコネと運をフルに使い、最終的に『おひとり様74,000円弱』と、私がいつも使うKL-成田間の往復チケットよりも遥かに安い価格で、『クアラ・ルンプール4日間豪華ホテル利用オリジナル・パックツアー』が完成したのである。最近は、この『アジア暮らし秘話』が、HP開設当時のような、現地生活ならではの新鮮な報告が無いからか、はたまた、同じようなサイトが多いのか、メディアからのコンタクトが皆無になってしまって寂しい。“これを機に旅行雑誌から取材依頼が!”なんて、そんな邪念も込めて、今回のコラムは、堅いことを言わず、思い切って旅行者と一緒に遊ぶ、『クアラ・ルンプール観光擬似体験ツアー』としてしまおうと思う。以前のコラムと重複する記述があっても、ボケちゃったワケではないのでアシカラズ、だ。
【2008年2月29日(金) 初日の夜】
実を言うと、この前の2週間は、仕事の納品準備、東京出張、KLに派遣で来ていた日本人社員の帰国送別会等々、“休み無し状態”で、かなり疲れが溜まっていた。今回来る顧客の飛行機は、激安パックツアー使用のため遅い便だ。当初は、到着日の夜はホテルの近くで勝手に食事を済ませて寝てもらい、翌日から勢力的に観光に付き合おうと半ば決めていた。しかし、直前になって、旅行者の立場に立って考えてみたら、初めて訪れる国の、薄暗い屋台外の端にあるようなホテルにチェックインしたあとに、『そこらで勝手にメシ食って寝てくれ!』と放置されるのもチト可哀想だと思い直し、ホテルのロビーへ夜10:00に迎えに行く約束をした。午後3:00に仕事を無理矢理切り上げ、一旦自宅で仮眠をとった後、ホテルまでの渋滞を計算して1時間前に自宅を出て、タクシーを拾い繁華街のブキッ・ビンタン・アロー通り(Jalan Alor)の端にある、格安ホテルのノバ[Hotel Nova]に向かった。珍しく夕方からの雨が長引き、予想通り表通りは大渋滞であったが、裏道を知り尽くしたマレー系タクシー運転手のおかげで、夜9:30には[Hotel Nova]に着いてしまった。暇潰しに小さなロビーで、チェックイン客を観察していたのだが、日本からの格安ツアー客が続々と到着して来たのにはビックリした。やることも無いので、客をチェックインさせ終えたHISの現地ガイドを捕まえて話を聞いてみたら、関西や関東から数便この時間帯に到着するらしい。『あなたが出張で使う航空券はいくらですか?、このツアーはホテルと送迎も含んで、その半額ですよ、儲かりません・・・』と、愚痴が始った頃、この夜3台目の日本人客送迎マイクロバスがホテルの前に滑り込んで来た。こちらからは暗くて、よく見えないが、私に手を振っている人が居る。HISの現地ガイドの愚痴を振り切り、バスに近寄ると、三十路女性2名が日本人オーラをプンプン放ちつつ旅行カバンを降ろしていた。今回の旅の発起人“あきのしん”と年長の“コダ長(こだチョ~)”、“重要顧客”2名の雨の中の到着である。
チェックイン後、チラリと初日の安宿の部屋を拝ませてもらった後、再びロビーで待つこと15分。長旅の疲れも見せずに、身軽になった2人と早速街に出た。時間が遅いので観光客に人気の屋台街アロー通り(Jalan Alor)をサラリと歩いたあと、[Hotel Nova]の正面にある、偽ミッキー・マウスの看板でお馴染みの[黄亜華小食店]という中国系のレストランに入った。因みに、在住者に『[黄亜華小食店]はどこですか?』と、訪ねても殆どの人が分からないと思う。が、“ジャラン・アローのチキン・ウイングが旨い店”と言えば、知らない人はあまり居ない。甘めの茶色いタレを塗り、強い火でカリッと焼いた手羽先は、在住者のみならず、定期便のスチュワーデスさん(フライト・アテンダントが正しい言い方か?)や、KL出張リピーターにも人気がある。観光旅行者にとっては、東南アジアらしい屋台街で、ねっとりした湿気に包まれながら、このチキン・ウイングや様々なローカルフードをツマミにビールやフレッシュな生ジュースなどを飲むことは、『あ~、東南アジアに来たんだなぁ』と、実感できる瞬間でもある。そんな意味もあり、旅の初日のウェルカム・ディナーは、ここにすることが多いのだ。この夜は、チキン・ウイングの他に、カエルの揚げもの、バンブー・シェル(貝)、ベビー・カイラン(青菜)などを肴にビール(カールスバーグとギネス黒)を飲んだ。KLで有名な占い師に、占ってもらうのが今回の旅のメインと言う、普段はお堅い“コダ長”も、旅の開放感か、けっこうビールを飲んだのにはビックリ。明日からの3日間の期待と不安からか、ついつい遅くまで話込んでしまい、シコタマ食べ残してしまったが、初日からハイペースで食べまくると、体調を崩してしまうので、残すくらいが安全かも知れない。
“偽ミッキー”レストランを出たのは深夜だったが、まだ2人とも元気だったので街中を少し歩くことにした。歩き出すと、またポツポツと雨が落ちてくるではないか(ひょっとしたら、この2人は雨オンナか・・・)。私は、雨の中を歩いてまでも散歩をしたくないので、流しのタクシーを拾った(因みにタクシーの初乗りは約66円と激安だ)。車なのでちょっと遠いが、独立広場前まで行ってもらい最高裁判所(スルタン・アブドゥル・サマド・ビル)のライトアップを窓越しに見物した。ついでに、近くなのでチャイナタウンの賑わいでも見せてあげようと思い、タクシーを走らせて行ったが、時間が遅過ぎたのか、そこは人影疎らなゴーストタウン状態、しかも、その疎らな人影は、危ない感じの挙動不審者系だった。『初日から、お年頃(微妙!)の女性達を危険な所につれてきちゃったなぁ・・・』と、後悔しつつも好奇心で少しだけ不気味なストリートを歩いてみた。暗いなか2~3軒の屋台は営業中で、中国系の若者がタムロしている。深夜のチャイナタウンでは、日本人オーラ全開の2人は完全に浮いていて、ジロジロ見られている。流石に、『こりゃちょっとヤバイ雰囲気だわ』と、流しのタクシーを捕まえて逃げるようにしてホテルまで送っていった。しかし、この間ずっと雨降り。KLではこういう天気は非常に珍しい。まあ、これだけ降れば明日はきっと朝から快晴だろうな。などと思いながら、自宅までの帰るタクシーの中で不注意にも寝てしまった。
【2008年3月1日(土) 2日目】
朝、目覚めるとまだ雨が降っている。こんなに雨が続くのは半年に1度有るか/無いかの珍しいことだ。
寒い東京から来た彼女等に、今日こそはスッキリと晴れた南国の空を見せてあげたかったのに残念だ。
朝9:00前、昨年10月末に来マ9年目にしてやっと買うことの出来た日本車でホテルにお迎えに行く。
格安ホテルのためエントランスが狭く、車1台停めると邪魔者扱いだが気にせず待っていると、『日本人の方ですか?』と、初老の女性に声をかけられた。
はい、と答えると、『日本人会に電車で行くにはどうすればよいのですか?』と問われた。
おそらく、ロングステイ(MM2Hビザ)の希望者だろうと思うが、最近は、夫の定年退職後に夫婦で日本を離れてマレーシアで悠々自適の暮らしをしようと、KLやペナンに視察に来る初老の日本人が多い。私が異国で最初に見つけた親切そうな(?)日本人だったのか、『雨なので、ボクが日本人会まで車で送ってあげましょう!』と、いったリアクションを期待されていたのかも知れない。しかし、生憎これから私は別の“ご主人様”に仕えるドライバーの身なので、『電車じゃ無理でしょうね。タクシーでTAMAN SEPUTHEのJAPAN CLUBと言えばきっと分かりますよ!』と、新橋駅前で道を訊かれたサラリーマンのような、おざなりな受け答えをしてしまった。
後で聞いたら、私の客人2人にも、『この辺で傘を買うと高いかしらね~?』と、ホテル内で彼女達の傘を羨ましそうに見ながら、秋葉原に居る中国人観光客のようなことを訊かれたそうだ。“楽園マレーシアで夢の老後生活を!”との誘いに、夢を描いてやって来るのは良いが、何ごとも自己責任の外国で、あの女性は上手くやっていけるだろうか、他人事ながらちょっと心配になってしまった。
約束の朝9:00ジャストにロビーにあらわれた“ご主人様”達と、旅の荷物一式を車に乗せ、今回の旅の主目的である、占い師の店があるとされるセントラル・マーケットに向かった。セントラル・マーケットとは、KLのチャイナタウンの端にある観光客向けお土産屋館で、特産のピューター(錫製品)や民芸品などを売る店が所狭しと並んでいる。以前は、店もトイレもかなり汚いマレーシアらしい風情だったが、チャイナタウンの美化運動と連動して、小奇麗でこじゃれたショップ館となっている(言っておくが、本来は、マレーシア旅行最初の朝から、占い師を求めて歩き回るようなところではない)。 そぼ降る雨のなか、我々はセントラル・マーケットに到着し、入り口正面の有料駐車場に車を入れた。 既にオープンしている入り口に来てみて、はじめて時間が早過ぎることに気付いた。 開店前の店が多い薄暗い館内を、占い師のブースを探して歩く。 場所の分からない店を探すには、ここは充分広いので、開店準備中のフルーツ屋のお兄さんに尋ねるが、占い師など知らないとニベも無い。 ワタシ個人的には、『ガイドブックには出ていたけど、もう古い情報なんじゃないか?』、『旅のハイライトが初日からスカとは可哀想に・・・』 などと思い始めたが、『この辺に、占い師っぽいニオイがする』と“あきのしん”が言い出す。半信半疑で彼女について行くと、なんと発見“風水 Consultant Master Chin”の文字。。。 とりあえず、朝から客人を落胆させずに済んだ安心感を感じつつ、何時から開店するのか、前の民芸品屋の奥さんに尋ねると、『土日はお休みよ!』と、軽く谷底へ蹴落とされてしまった。 ただ、東南アジアでは、カンタンに嘘をつく奴も多い。 以前、KLに初めて旅行で来たときに、旨いお粥の屋台を地図を頼りに探していた。近くまで来たらしいが見つからないので、近くの屋台のオヤジに尋ねたら、『粥の屋台はないよ、だからウチの麺食っていきな!』と言われたことがあった。しかし、よ~く見ると、隣の屋台が探していた目当てのお粥屋台であった(おまえら、ある意味仕事仲間だろ~が!)。 バンコクでも、友人が『ワット・プラケオはどこですか?』と、タクシーの運ちゃんだったか、シクロのジイサンだったかに訊いたら、『今日は休みだよ、かわりに○○へ行かないか?』と、遠い場所を言われたらしい。私は、この話をワット・プラケオから帰ってきた夜に聞いたので、嘘は明白だ(敬虔な仏教徒の国ってナニさ!)。 パンコール島でも、『△△ホテルを予約したい』と、対岸のフェリー乗り場近くの駐車場で言うと、『あそこは満員だ、こっちのシャーレーにしろ』と、原始人が住むような三角宿の写真を見せられ薦められた。満室でも、一応調べてきたホテルに問い合わせてみようと、妻が携帯から電話をかけると、アッサリと予約が完了してしまった。 満員だと言ったオヤジに文句のひとつでも言ってやろうかと思うのが人情だが、オヤジの方から寄ってきて『いくらで予約できた?』とか問われたときは、呆れてしまった(さっき満室って言った根拠はナンだったんだよ!)・・・。 そんな数々の経験から、『Master Chinは土日はお休みよ!』と、言われても、『ハイ、そうですか』と素直に信じることが出来ない体質になっている私は、Master Chinの店の反対側で シャッターを上げていたお婆さんにもダブルチェックをしてみた。が、やはり休みらしい(まあ、よく考えたら、民芸品屋の奥さんが嘘ついても得は無いか)。 不幸中の幸い、旅の最終日(月曜日)には開いているとのことなので急遽予定変更だ。まあ、そもそもちゃんとした予定など無いのだし、気を取り直して、チャイナタウンをブラブラ見物をすることにした。
“チャイナタウン”という響きは、関東の人は、横浜の、どこかバタくさく哀愁も感じる異国情緒溢れる街を想像するが、 私がKLに初めて来たときのチャイナタウンの印象は、ドブの臭いのするゴミ溜同然の場所に、食物屋と違法コピー商品を売る露店がひしめき合っている、暑くて疲れる場所、であった。 しかし、さすがに地元の人達も、『観光地なんだから、もうちょっとキレイにして、客呼ぼうや!』と、商売っ気を出したかは知らないが、ここ数年の美化運動で、 スカイブルーのサンルーフが出来るわ、有料のトイレが出現するわ、廃墟同然の建物は取壊されて駐車場に変身するわで、趣きがかなり変わってしまった。 おまけに、実際歩いてみても実感出来るが、露店の売り子達の人種が、贅沢になり表に出なくなった華人から、東アジア系にシフトしているらしく、チャイナタウンでありながら、中国系が少なくなっているらしい。チャイナタウンの範囲は厳密には分からないが、通常はハン・レキル通り(Jalan Hang Lekir)とペタリン通り(Jalan Petaling)が描く十文字を中心に、田んぼの“田”の字を描いたような地域をチャイナタウンと呼んでいるようだ。まずは[関帝廟]が目にとまったので入ってみる。蚊取り線香をトンガリ帽子にしたようなお香で廟内は煙い。何故か“あきのしん”は写真撮りまくりで、ちょっと恥ずかしかったが、何事も“気にしない”東南アジアの華人達は寛大だ。 続いて、隣のウエットマーケットをペタリン通りに向けて歩く。ウエットマーケットとは、野菜や魚そして肉類を中心に売る個人事業者達が、所狭しと軒を連ねる露店街に粗末な屋根をつけたような市場(いちば)だ。営業時間は主に午前中で午後にはクローズしてしまうが、いつ行っても、文字通り地べたが水で濡れている。私は日本から友人がマレーシアに来ると、必ずこうしたウエットマーケットに案内する。なぜなら、普通の都会生活をしている者にとっては、ここで行われている“解体ショー”は、けっこう衝撃的だからだ。魚は言うに及ばず、豚やニワトリなど、日本では壁の向こう側に覆い隠されている作業が、目の前で淡々と行われている。血だらけの鮮魚と取り出された内臓、肩から毛の生えたままの豚足、生きたニワトリが鶏肉に変わってゆく様。 普段スーパーでは、パックに入った切り身で売られている筈のものを、イキナリ原型で見せつけられるのは、分かっていても衝撃だ。そして、あらためて“人間は動物の命を食らって生きているのだ”と実感するのだ。ここの入り口で2人には『写真撮影は控えた方が良い』と警告しておいたが、警告無しでもデジカメをバッグから取り出す余裕はなかったようだ。 咥えタバコでナタのような包丁を肉塊に振り下ろしているお兄さんなどは、被写体としては最高なのだが、万一彼らの気に障って、怒られたりしたら、ここで解体されてしまうのではないかと思わせるほど、初めて来た人には不気味なところなのだ。ウエットマーケット抜け、お化け屋敷から出てきたような気分でペタリン通りに出ると、そこは違法コピー商品ワールドだ。 時計、バッグ、DVD、ベルト、靴、シャツ等々、有名ブランドのタグがついているものは、ほぼすべて模造品と思ったほうが良い。実際売り子も日本人が歩いていると分かると、『ニセモノ、ヤスイ!』と声を掛けてくるぐらいなので、正真正銘、本当のニセモノなのだ。
生憎、露店は設営中が多く、チャイナタウン散策に時間が早過ぎるので、時間潰しと休憩を兼ねてローカルコーヒーショップに入る。“コーヒーショップ”と言っても、若かりし日の[あべ静江]の歌のような所ではない。簡単に言うと、建物を保有している大家が場所(せまい区画)と水を有償で提供し、一匹狼の食い物屋台を店子として10軒くらい集め、大家は飲み物、店子は食べ物をそれぞれ販売して、共存共栄を計って行くマレーシア・シンガポールでよく見られる商売のシステムだ。 店子は料理の評判が良ければ客が増え、売っただけ儲かるし、大家はそれにリンクして飲み物代が儲かる。 大家も評判の良い店子を集めることによって儲けを増やせるので、条件面や環境面での努力は必要だ。 お互い努力することによって、双方の利益が拡大するという究極のWin-Win関係が商売を長続きさせているのだ (下請けイジメをしている大企業の人達にも、ちょっとは考えて欲しいよなぁ~)。 “楽安”という安宿の下にあるローカルコーヒーショップで、コピ(ローカルコーヒー)とテ・タリッ(ミルクティー)、そして朝食抜きの2人の為に中国粥をオーダーした。 飲み物は共にコンデンスミルクがドロりと入った激甘。お粥は鶏肉タップリのしっかりした味で、2人の評価はかなりのハイランクだった。同じ屋台のイーミースープ (イメージとしては日本のチキンラーメンに近い)もお奨めだけど、昼メシが美味しく食べられなくなると困るので我慢することにした。 KLの市内観光は、満腹だとその魅力半減なのである。 ストリートが賑わいだしてから、ブラブラと何も買わずにニセモノ街を散策をした後、[関帝廟]の近くの[スリ・マハ・マリアマン寺院](Sri Maha Mariaman)というヒンドゥー寺院を見学した。 チャイナタウンの中心に突然インド寺院があるのも多民族国家のマレーシアらしい。 土足厳禁のこの寺院では、通常、入り口で靴を有料(10円くらい)で預かってくれるシステムなのだが、この日は担当者が居ないようだった。 その代わりかは不明だが、『この入り口で靴を脱いで置いけ、オレが見ててやる』と若いインド人が言う。 内心『“見ててやる”というオマエがイチバン怪しいんだよ!』などと思いながらも、あとで小銭でも渡せば良いと思い、靴を脱いで寺院に入った。 私は、この寺院は10回以上は来ているのだが、最近はナンダカンダでカネを要求されることがある。 前回来たときは、寺院の住職(言い方がわからない)みたいな人が寄ってきて、宗教的な器から蓮の実のようなものを渡され、おでこに灰を塗られてしまった。 以前は、“異教徒の見物客”扱いで無視されていたのでビックリしていると、『ドーネーション(寄付)して!』と、言われてしまった。 今回も同じような役割の者が見えたので、キャッシュを取られたくない私は、2人を急かして、逃げるようにして帰ることにした。 入り口の靴の見張り番君から現金の要求があるかと思いつつ無視して靴を履いたが、彼は何も要求してこなかった。 どうも、インド人=バクシーシ(ほどこし:つまりカネくれ要求)の固定概念が私のアタマにあり、インド人を見ると財布の紐を締め、騙されないように警戒する癖がついてしまっている。 そんな話を私から聞いて“コダ長”が言った言葉が笑える。『え~、インド人って嘘つかないんじゃないんですかぁ~?』・・・(暫しの間)・・・ 我々は、活気が出てきたセントラルマーケットに戻り散策したあと、国立モスクに移動することにした。
マレーシアはイスラム国家なので、礼拝所のモスク(Masjid)はいたるところにある。 ただ、1日に5回の礼拝をする場所がモスクだけだと仕事等で行けないので、その代替手段としてのスラウ(Surau)という簡易礼拝所(室)が各地域やビル内にある。 それらの礼拝所の総本山としての国立モスクに入ってみた。 チャイナタウンから国立モスクまでは車で10分弱。昨夜、タクシーの窓越しに眺めた独立広場前と最高裁判所の間を通り、マレー鉄道旧クアラ・ルンプール駅 近くのラウンドアバウト(合流式交差点)を135度曲がるとスカイブルーの屋根が見えてくる。 モスクのイメージは丸い玉葱方ドームだが、マレーシアの国立モスクは、紙飛行機を幾つも逆さまにしたような、モスクのイメージとはまったく違う形をしている。 通常、各地域のモスクはムスリム(イスラム教徒)でないと入れてくれないが、観光名所でもあるここは一般公開している。 ただし、礼拝の時間はムスリム以外は入場不可。公開時間中でも、中央の礼拝ホールに足を踏み入れることは出来ない。 そして、女性はスカーフ着用必須で、男性でも短パン等肌の露出の多い服は厳禁である。 暑いマレーシアでは自然と肌の露出は多くなるので、殆どの観光客は、入り口でガウンを借りて着ることになる。 入り口で私が記帳している間、連れの2人も紫色の大きめのガウン着用を強制されていた。 係のマレー系オバサンに手伝ってもらい、“着付”の済んだ2人を見て、私は吹き出してしまった。 イメージとしては、腹黒い魔女(あきのしん)に、初めてレインコートを買ってもらった小学生(コダ長)が誘拐されいるような絵であった(笑)。 モスクの中は、マレーシアでは珍しく清潔だが、見所はあまり無い。中央の礼拝ホールを眺め、ツルツルの床を裸足で歩く程度だ。 ただ、非ムスリムの観光客にとっては、“モスクの中に入った!”と、いう事実が大切であり、それ以上のことを求める人も居ないのだろう。 日本人や欧米人は、イスラム教徒=過激派/原理主義者のイメージを持っている人も多いので、私などは、その誤解を解くために、 多くの非ムスリムが集まるこの場所で、もっと普通のイスラム教をアピールすれば良いのに、と常日頃思っていた。 最近になって、やっと一般客向けの小冊子を無料で配るような試みが始まり、『やさしいイスラーム講座(ムスリムが信じる6つの事柄)』なる 完全日本語版も登場してきたので、早速読んでみたが、信心深くない無宗教男には、ちょっと客観性に欠ける内容であった。 雨も止んできたので、モスクの出入口でガウンを返し、歩いて5分のマレー鉄道旧クアラ・ルンプール駅に歩いて行ってみることにした。 出入口では、土足で神聖な場所の床に上がってしまい、係のマレー系オバサンに怒鳴られている白人を何組か見た。 靴を履いたまま家にあがるのが、グローバルスタンダードだと信じて疑わない彼らも、旅を通じて“郷に入れば郷に従え”の精神を学んでほしいものだ。
旧クアラ・ルンプール駅は古いが趣きのある駅だ。正面のKTM(鉄道会社)の社屋と共に、駅舎の建築様式も貴重なものらしい。 駅に向かって歩いているとき、連れの2人の職場には鉄道マニアの通称“鉄男君”が沢山居ることを聞いた。 マニアには何種類かあり、写真を撮るだけ、蒐集の鬼、乗ってナンボ、等々の分類があるらしい。 私にとっては鉄道は単なる移動手段だが、世の“鉄男君”達には、シンガポール~マレーシア~タイと3国を貫くマレー鉄道はどう思われているのだろうか。 駅舎に入り、走る電車を背に写真を撮った。 ここから車で5分程度の位置にある新クアラ・ルンプール中央駅にその機能を奪われてしまった旧クアラ・ルンプール駅は閑散としている。 マレーシア航空他の国際線のチェックインも出来る新駅と比較すると、明らかに流れている時間のスピードが違う。 開発が進み、都会化が著しいKLの中で、ここは昔ながらのスローな時間が流れている数少ない貴重な場所なのかもしれない。
お腹が空いて来たので昼飯にすることにした。旧クアラ・ルンプール駅でスローな時間を満喫していようが、チャイナタウンで粥を食おうが、彼女らの胃だけは東京スピードで時を刻んでいる。 滞在中の数少ない食事機会を有効に“旨いもの”に割当てたい私は、ちょっと遠いが車を飛ばしKL郊外のPJ(Petaling Jaya)にイポーチキンを食べに行くことにした。 マレーシア旅行のガイドブックを見ると、“チキンライス”(マレー語ではナシ・アヤム)とか、“海南チキンライス”とか出ていると思うが、今回はそれの豪華バージョンだ。 美味しいものを食べるための努力は惜しまないのがご当地流、20分~30分のドライブは苦にならない。車はKLを出て幹線道路のフェデラルハイウェイを渡り、[Jalan Gasing]という通り沿いの [NEW RESTAURANT IPHO CHICKEN RICE]という店に着いた。オーダーは個人的定番のカンポンチキン、クリスピーポーク、モヤシ、スープ、そして特製ライス。 カンポンとは“村”や“田舎”の意味なので、カンポンチキンとは放し飼いの地鶏みたいなイメージだ。その鳥を蒸して中国醤油ベースのタレとチリ(唐辛子+ニンニク系専用タレ)で食べる。 ライスも鳥のエキスで炊いているので薄っすらと黄色く、且つ甘みがありチキンとよくマッチする。モヤシは触感を豊かにするためもありパリパリと歯ごたえが良く。サイドディッシュのクリスピーポークは表面をカリカリに揚げた豚肉で、運転さえなければ絶対ビールをオーダーしてしまうところだ。これだけでも充分だが、汁物も恋しいのでフィッシュボールとミートボールのスープも追加した。とにかく、私の案内するような店は、食べ方のルールも品格も問われないので、ひたすら食べることに専念した。普段は小食で有名らしい“コダ長”も、担当割当分すべてを平らげる程であった。 特にクリスピーポークが大ヒットだったようで、『一皿全部食べたいくらい』との高い評価を得ることが出来たので、わざわざ、遠くまで来た価値があった。 値段も、これだけ食べて1人500円程度と超お得なのだが、難点がひとつだけある。それは“ここ以外では、チキンライスが食えなくなる”のだ。 この店を知ってからは、普段の食事で週イチくらいで食べていたチキンライスを食べる機会が激減してしまったのだ。罪な店でもある。
昼食後、今夜から3泊で予約済の高級ホテル[HOTEL MAYA]に移動しようかと思ったが、一時間ほど余裕があるので、オールドタウンのインド人街に向かった。 しかし、駐車場に車を停めるスペースを探している間に、チェックインの時間となってしまったので、インド人街は諦めてホテルへ向かった。 約束のチェックイン時間は午後2:00であったが、受付で訊くと、『まだ部屋の準備が出来ていないので、待っててください』と、学生時代の[研ナオコ]のようなマレー女性に言われてしまった。『何時に準備が完了するのか?』の問いに対して、[研ナオコ]嬢が清掃の進捗確認とか、色々交渉をしているようだが、さっぱり埒があかないようなので、同条件で且つ清掃済みの部屋(階違い)に変更してもらうことにした。最初から、そのオプションを提示してほしかった気もするが、17階から16階へ変更することは、景色がウリのこのホテルでは格下げをするようで、顧客に対して失礼だと思ったのかも知れない。 チェックイン後、[研ナオコ]嬢とポーターを連れて部屋の確認をしたが、窓から見えるKLCC(ツインタワー)の眺めはなかなかのものであったし、私もこれから急いで自宅に車を返さないといけない用事もあったので、再度窓拭きをしてほしかったけど、掃除をやり直させるのも手間なので、『この部屋でOK!』とした。部屋は流石にデラックス・スイートと呼ばれているだけあり、女性2人で泊まるには充分広く且つ豪華であった。日本で同じ広さの部屋を予約したら、いったいどれだけの額になるのだろうか。 この後、私は夕食時のピックアップまでは自宅へ戻り休むことにした。(なんたって、年寄りだからね!) 彼女らは、豪華なスイートルームで休憩するなり、徒歩圏内のKLCCを散策するなり、ホテル探検なりで“野放し放置タイム”を満喫してもらうこととして一旦別れた。
3時間くらい寝ただろうか。夜7:00前、短パンとTシャツに着替えてタクシーでホテルに向かう。 自宅周辺が渋滞の中、ラッキーにもゲットしたこのタクシーの運ちゃんがスピード狂で困った。 ホテルの近くの信号で、赤信号を一旦無視しようとしたが躊躇してストップした前方の車に、あわや突っ込むところで恐かった。 スピード狂運転手のおかげで計算より早くホテルに到着してしまったが、間もなくエレベータから降りてきた2人と合流した。 宿泊客しかアクセスできないプール(ハイドロテラピー温水プール)を見せてくれるというので行ってみたら、『只今ヒーターが故障中』との看板。 豪華ホテルを気取ってみても、どこかマヌケなところがやはりマレーシアのホテルだ。 夕食の前に、昼に諦めたインド人街ウォークにリベンジすることにした。 ホテル正面のアンパン通り[Jalan Ampang]に出て、マレーシア唯一の地下鉄であるプトラLRTの[Dang Wangi]駅まで歩いた。 目的地の[Masjid Jamek]駅へはひと駅だが、庶民の足である電車に乗るのも面白い経験だと思い誘った。 駅名の[Masjid Jamek]とは旧国立モスクのことであり、駅のすぐ横がそれである。 その旧国立モスクとは反対側の通り(Lorong Tuanku Abdul Rahman)を、インディアンモスクを左手に見てから約1km、歩いても、歩いても同じような露店が連なるパサ・マラム(ナイトマーケット)街こそが、KLのオールドタウンを縦に貫くインド人街である。 ここではラクサ(麺類)やオタオタ(魚のスリ身をバナナの皮に包んで焼いたもの)、マレー菓子などの食べ物をはじめ、洋服やムスリム用化粧品などなど、チャイナタウンとは全然違う、民俗臭漂う品々が売られている。とにかく道が狭くて長いので、衣食に趣向が違う日本人にとってここは、夜に1度歩けばもう充分といった感じの街である。 “あきのしん”はここでマレー菓子を数種類買った。(また食うんかいな?)
インド人街の後は、もう少し歩いてモノレールにも乗せてあげようと企んでいたが、長過ぎるナイトマーケットに辟易で、小雨もパラついて来たので、歩く気分ではなくなってしまった。 夕食は、インビ通り[Jalan Imbi]のペーパーバッグチキンと大海老のカタやきそばで有名な[Soo Kee Mee]に行きたかったので、タクシーを拾うことにしたが、タクシー乗り場には 長蛇の列が出来ていた。正直に列に並んでいたら、いつ食事にありつけるか分からないので、大通りに出て流しのタクシーと交渉することにした。 手を振る我々に気付いて、何台かは止まってくれるが、『インビ通り?混んでるから嫌だ!』とか『オレは反対に帰る途中だから、そっちの方角ならいいよ!』と、 日本であれば新聞の投書欄で叩かれそうな反応が多い。『これゃダメだな、電車を乗り継いで行くか?』と、そごう(日本のSogo!)の前の[Bandaraya]駅に向かおうとしたら、 『インビ?メーターで行ってあげるよ!』とタクシー界の救世主が現れた。 不思議なことだが、現地在住者の間では“マレーシアの法則”なるものが有ると囁かれていて、様々な場面で納得させられることが多い。 例えば、自宅でエアコンが壊れて修理を業者に依頼したとしよう。『修理には午後2:00に伺います!』と言われれゃ、日本人だったら午後1:45には、“そろそろ来るかな?”とか思うものだ。 ところが、午後2:00はおろか、午後3:30にも電話すら来ない。午後4:00には、『もう我慢の限界だ~、ブチキレてやるぅ!担当者出せ、コノヤロー!』状態で電話機に手を伸ばそうとしたその時に、“ピンポ~ン♪”『エアコン修理に来ましたぁ~』ってな具合である。慣れてないと、『午後2:00って言っただろ!』と、詰め寄りたくもなるが、『ソリー、ソリー』で終わりである。元々時間に対する感覚が違うので、そこを攻めてもしようが無いのだ。 更に困るのは、マレーシア在住歴の長い日本人もこの傾向があるということだ。 道路事情等情状酌量の余地はあるが、時間に関する尺度と感覚に関しては、日本人感覚で生きるとかなりのストレスになることは確かだ。
“タクシー界の救世主”のおかげで、無事インビ通りの[Soo Kee Mee]レストランに到着した。 まず、ペーパーバックチキンとビールで一息。その後、材料として置いてある野菜の中から、アスパラを指して、『これとホタテをガーリックで炒めて!』、魚の冷蔵庫を開けてもらい、『3人分だと今日の魚はデカ過ぎるので、この切り身をディープフライドにして!』と、メニュー見ても正確な頼み方が分からないので、 材料と調理法指定攻撃でオーダーした。よく聞くと2人ともサテーは食べたことが無いというので、別勘定のサテー屋台に10本焼いてもらった。 出された料理をほぼ片付けたあとに、本日のメインの大海老のカタやきそばをオーダーした。 文字にしてしまうと、“大ぶりの海老がのったモチモチ感覚の餡かけヤキソバ”と、有難み半減だが、 エビのエキスがタップリ染み出た餡に絡むモチモチ感覚ヤキソバのちょっとコゲた部分は絶品だ。 海老は蟹と並んで日本人の好物であり、値段も高く設定できるので、KLのレストランなどでも『エビはいかが?カニはいかが?』と薦められる。 だが、私は海老や蟹の真髄は、旨みのあるダシだ、と常日頃思っているので、殆どオーダーしない。 ただこの店だけは例外だ。この餡かけヤキソバを『エビ抜きにしてくれ!』とも言えないし、抜いてしまったら味が違うものになってしまう。 だから、私は大きなエビを見て喜んでくれる日本からの旅行者が来たときに、このレストランに来ることが多い。 目的は『わ~大きなエビぃ~!』と喜ぶ顔、というよりは、そのエビから出るダシなのだ、と言ったら笑われるだろうか。
夜10:00頃まで、店の目の前の広場では、3月8日の総選挙に向けての演説会が大音量で繰り広げられていたが、それでも、昨夜に引き続き、黒ビールやココナツジュースなどを飲みながら妙に話し込んでしまった。日本とマレーシアの違い、仕事のこと、共通の知り合いの棚卸し、結婚生活のこと、何を占いで訊きたいのか、ナドナド。気が付くと時計は深夜をまわっていた。 今日は市内観光をしたので、明日はちょっと遠出をする予定だ。 時間は余裕をもって午前10:30にホテルのロビーでピックアップすることとした。 昨夜に引き続き、何故か本格的に振り出してしまった雨のなか、店の前でタクシーをつかまえて、ホテルと自宅の2箇所に行ってくれるようドライバーに伝えた。
・・・後編へとつづく
(№56. オリジナル・パックツアー〔前編〕 おわり)