№49.【実録】医療トラブル体験談〔後編〕


前号からのつづき、場面は第2回目の面談日、Gleneagls病院の応接室・・・


【1 Mar 2005】
主人は「今日は一つひとつ検証はせずにDr.Chanの賠償責任についてお話したい」と、“医療ミスは明らかなので細かい事で時間を無駄にしたくない”とでも言いたげな先制攻撃でミーティングははじまった。Gleneagls病院のCEOのMr.Stuart Packはムッとした顔で『否、一つひとつやるように』と言った。

私達は抗議文書に対するDr.Chanのレポートは2回受け取ったが、その都度それらは事実に反するものだった。 1回目のレポートでDr.Chanは診察していない日の出来事も診察し治療を施したと明確に記述されていたが、何故か2回目のレポートでは私達の指摘通りに訂正されていた。 しかも2回目のレポートでは、新たに“ラバー”(正確にはDUODERM)を使用した日が繰り上げて記述されており、自身が「回復は早めです」と言ってリハビリに行かせたことは、180度反転して“充分に治ってなかったこの段階ではリハビリは有得ないし、ましてそんな記録もない」とあった。 私は「それらのレポートは真実が書かれていない」と言うと、Dr.Chanは「これは真実だ、何故そんなことを言うのだ!」とヌケヌケと言った。(日本の常識では考えられないが、中国系との取引に関する書籍などを読むと、当たり前のように嘘{日本人にとっては嘘}をつく人が多いということがわかる)「私は詳細をずっとノートに記録しているから真実と違うとわかる。あなたはそのレポートをちゃんとした記録を見て書いているのか?」と逆に問いただした。主人は「メディカルレポートをここに持ってきて、その2回目のレポートと照らし合わせれば簡単でしょう」と言った。するとDr.Chanは、その2回目のレポートがメディカルレポートだと詭弁を弄しはじめた。私は、「私達の言っている“メディカルレポート”とは、あなたが息子を診察した時に手書きで記録していたノートのことだ、それを今あなたのクリニックから持ってきて、ここでそのレポートと照らし合わせてみれば済むことでしょう!」と畳み掛けると、Dr.Chanは暫し窮したように黙っていた。平気で事実と異なることを主張出来る感性の持ち主にしては意外と簡単に“沈黙”してしまうのを見て勝機が見えて来たかと思っていると、CEOは苦し紛れに「今その必要は無い、それはそんな重要なことじゃない」とどう考えても無理のある意見で場を繕おうとした。 「ドクターは沢山の患者を1人で診ているのだから間違うこともある」とも付け足した。 主人は呆れて「それがイチバン重要なんじゃないか」と日本語で言ったが、それ以上強くは要求しなかった。 この時点では主人は最終戦(裁判)まで持っていく考えがあった。私にも、怒りのパワーを無駄に発散せず裁判の時まで溜めておくようにと言っていた。


リハビリテーションの時期についてはスタッフのMr.BrandonはDr.Chanの指示で11月5日に治療したことを認めており、その治療の記録も残っている。 が、2回目のレポートには、その時傷の状態は悪くなっているように書いてある。私は、その日“回復は早めです”と確かに言われ、リハビリも開始されるとのことなのでてっきり傷は大丈夫なのだと思っていた。もし2回目のレポートのように傷の状態が悪化していたなら何故リハビリに送ったのか。 「悪い状態のままリハビリを開始したのはDr.Chanのミスではないのか?」と迫った。Dr.Chanは少したじろいだかに見えたが「それでは調べてみるけれど、もしそうだったとしてもそれは何か理由があった筈だ」と曖昧に言い逃れを試みるのであった。この医者は何てずるいんだろう。素人相手ならなんだって理由がつけられると思っているようだ。CEOはこの件を早く切り上げたいようで、Dr.Chanに向かってセラピー(治療)の記録を調べて上げるように、とだけ言い私達がこれ以上突っ込まないことを祈っているようだった。(本来ならば記録ぐらい打ち合わせ前に調べとけと言いたい)


  次にDr.Chanの治療の怠慢を主張した。Dr.Chanは私に傷を見せながら状態を説明することをしなかった。そして“ラバー”を使用して悪くなったのに繰り返し同じものを使い続け、且つ適切な専門医を紹介しなかったことを指摘した。 するとDr.Chanは「自分はDr.Ranjitを紹介していたじゃないか!」と言った。 「NO!!あなたが紹介したのは、傷がどうしようも無くなった最後の日(これ以上放置すると手遅れになるタイミング)だ!」と言うとDr.Chanは再び黙った。 続けて今迄黙っていた息子が口を開き、搬送先のパンタイ病院(Pantai Hospital)のDr.Ranjitのナースが“ラバー”を見て「Useless!(こんなの役に立たないのよ)」と言ったというと、薄笑いを浮かべて「それはナースの言うことでしょう、医者の私の方が知識も経験も豊富ですから」と言った。「でもあなたは膿がでてるのに“ラバー”をしたまま3日も4日もそのままにしたでしょう!」と私が言うと「それは膿じゃない、どの段階においても感染はしていない!」と言い切った。 それに対して息子が「あなたにパンタイ病院に行くように言われた時、あなたは“これはinfected(感染)じゃない”と言ったけど、パンタイ病院に行ったらDr.Roohiは“infectedに見える”と言ったんだ」と言うと、Dr.Chanは「じゃあ検査はしましたか?」と開き直った。私達が顔を見合わせて「それは分からない」と言うと、ニンマリとほくそ笑んだ。(しかし後で確認したら検査はされており、結果はinfectedと出ていた)


CEOは「とにかく、Dr.Chanはベストを尽くしたし怠慢はない。何も問題は無い」と、今までの会話を無視するように、この件の幕を引こうとする態度で宣言した。 主人は「でもDr.Chanの治療を受けて、傷は悪くなったんですよ。これは動かせない事実ですよ」と食い下がった。 「こういうケースの合併症は良くある事だし、ドクターも人間だからベストを尽くしてもlessな結果を招く事もある、これは仕方ない事で皆それを受け入れている事なのだよ」とCEO。 「じゃあ、仮に私達にお金を手当てする手段が無かったら息子はどうなったんですか?手術もできなくて、手が溶けて行くまま放っとけというんですか?相次ぐ手術で高額な費用がかかり、異常な負担を強いられているのに、あなた達は何の責任も取らないんですか?“不幸な出来事だった”で終わりにするのですか?」と主人が畳み掛けるとCEOは黙ってしまった。主人が「私達の言い分は、何も聞いてもらえないのですか?」と短い沈黙を破る。内心CEOも開き直って来たのか「もし怠慢だと主張するのなら、誰か他のドクターにメディカルレポートを見てもらい、怠慢を証明してもらってください。それなら話を聞こうではないか」と投やり且つ威圧的に言いい、Dr.Chanと早口で喋り始めた。 この時の私達の理解は【メディカルレポートを病院が我々に提出する約束をした】→【それを我々サイドのお医者さんに検証してもらう】→【医師の怠慢が認められたら再度やりあう】 が、本日の面会の結論であった。


【2 Mar 2005】
面会の翌日、主人は早速CEOに、日本の親しい友人が日本人の専門医を紹介してくれることになったので、できれば今日にでもメディカルレポートをくれるようにとメールを送った。 (こちらのアクションが遅くなり相手に時間稼ぎの口実を与えるのが癪なのだ)夕方6時過ぎ、CEOからレポートが出来次第連絡するとの返信メールが主人に来た。 その後、ISKL(International School Kuala Lumpur)で当校のナースに会う。CEOに“これは仕方ない事だ”と言われたと伝えたら「でも、ドクターにはResponsibility(責任) があるでしょう!」と言ってくれた。(まともな感性に触れて嬉しかった)


【13 Mar 2005】
主人は、“出来次第連絡する”などと如何様にもとれる返事をしておいて10日以上もメディカルレポートを送ってこないCEOに業を煮やして 「もう10日も経つのに、どうしてこんなに時間がかかるのか?あなたがメディカルレポートを他の医者に見せて“ミスかどうか指摘してみろ”と言ったので依頼しているのではないか。 あなたの立場(病院でのアンハッピーな出来事を出来る事なら闇に葬り去りたいという)は理解するが、どうか真実を隠さないでください」と書き 「ミーティングの時に何故メディカルレポートを私達に見せる事を拒絶したのか、今なお知りたいと思っています」と付け加えてメール送信した。


【26 Mar 2005】
Dr.Chanから、リハビリの件でレターがきた。一部我々の記録の件は認めてあったが、ゴチャゴチャとと理由付けしてあり誠意は感じられなかった。 (なぜ、ここまで白を切れるのか呆れるが、これが彼らの交渉術なのだ)


【5 Apr 2005】
病院側にはずっと無視されたままだったので、私はCEO宛てに紳士としての対応を請うレターを書いた。Quality ManagerであるMs.Ongに託してCEOに渡してくれるよう頼んだ。


【6 Apr 2005】
Ms.Ongから、CEOは今居ないので11日に戻ったら渡してくれるということだった。


【12 Apr 2005】
Ms.OngからもCEOからも何も連絡がないので、Ms.Ongにメールで問い合わせた。


【13 Apr 2005】
Ms.Ongから、レターはCEOの秘書を通しCEOに渡されたが、CEOは今ボードミーティングで忙しいので、金曜日にボードミーティングが終わったら、もう一度Remind(確認)すると返事がきた。


【18 Apr 2005】
Ms.OngにRemind(再確認)してくれたか問い合わせる。


【20 Apr 2005】
Ms.Ongから、CEOは最終のDr.Chanのレポートのコピーを送る事を承諾したと返事がきた。
Ms.Ongに、CEOが承諾したというのは私達の頼んでいるメディカルレポートかどうか確かめてくれるよう頼んだ。私達が頼んでいるのはメディカルレポートであり、 最終のDr.Chanのレポートではないとメールした。Ms.Ongから、最終のDr.Chanのレポートは、CEOから主人への返信レターに示した“The Original Doctor's Report”だという返事がきた。 Ms.Ongに、それは1ヶ月半以上も私達が頼んでいるメディカルレポートではありません。もう一度CEOに話してくれますか、とメールした。


【9 May 2005】
CEOからは、2ヶ月経つのに何の連絡も無かった(完全に無視状態である)。在マ歴の長い主人の友人からは、直接病院に行ってDr.Chanに会った方がいいのではと言われた。 無視されたまま黙っていると風化するだけだしドクターがKLから異動してしまうかも知れないとも言われた。会いに行くのはかなり勇気がいるけど、どこか知らぬ地域に転勤でもされたら大変だと思った。しかし、息子の次の手術も控えているので、下手に動いて手術に悪影響が出ては困る。息子の指を人質に取られているようで怖気づいたが、医者の最低限のモラルを信じて翌日行ってみることにした。Dr.Chanとの対決を明日に控えMs.Ongに「なぜあなたは長い間私を無視しているのですか?私はまだGleneaglesを使っているユーザーであり、あなたはQuality Managerですよね?」とメールした。


【10 May 2005】
午前10時に病院に着く。Dr.Chanのクリニックは4月1日に1階(日本の2階)に引っ越したらしく規模が大きくなっていた。 まだDr.Chanは来ておらず、受付のおばさんと若い女性にメディカルレポートを貰いにきたと言うと、 後ろの棚を探した。そこでは見付からず、入院していたか聞かれたのでそうだと答えると、女性は病院の方へ問い合わせた。 そこで何が話されたのか解らなかったが、何かが伝えられ、メディカルレポートは貰えなかった。 そこへDr.Chanが現われた。私を見ると、意外だという顔をした。私がメディカルレポートを貰いにきたというと、それは前に2回もあげたでしょうと言った。 私が言っているのはそれではなくて、息子を診察した時にドクターが手書きで書いていたノートのことだと言うと、ああそれは“クリニカルレポート”と言うのであって、 そう言わないからずっとメディカルレポートだと思っていたととぼけた。メディカルレポートはドクターの意見を書いたものだと言う。 それならその“クリニカルレポート”をくれるよう言ったら、引越ししたばかりで物が散らかっていて直ぐには出せない、 それはコンピューターに入っていてまとめなくてはならないから今直ぐには出せない、 用意できたら連絡するからと言った。でもそれは前と同じものだよと誤魔化すように言った。 私は悔しくなり泣きながら、いやそれは同じじゃない、明日も明後日も来るから連絡は要らないと言った。 でも受付が連絡するからと言うので、電話番号を残してきた。言いくるめられた感じで帰りかけて、はっと気がついて戻った。 受付に、私が欲しいのはコンピューターのレポートじゃないから、診察時に書いたノートのコピーだから、と言った。ただコピーするだけのことだった。


友人が知り合いの弁護士にいろいろ聞いてくれた。 訴訟を起こしても時間がかかり、この手の裁判は患者側に不利という。たとえ勝訴しても賠償金額はそれ程高くなく、示談に持ち込むのが最良という。 弁護士事務所で陳述書を作成し、弁護人が代理人となり、内容証明つきで病院に送付すれば病院は無視できないはず。 再度、話し合いの場に引き出すのが必要で、その後は病院の出方次第対処を考えるのがいいという。 このところ主人は仕事上で大トラブルを抱えそちらに掛かりきりだったが、今回の日本出張から帰って来たら、友人が紹介してくれるという弁護士に会ってみようかとも言った。


【11 May 2005】
正午、連絡はなかったがDr.Chanのクリニックに再び行った。受付の2人の対応が昨日と違って胡散臭さそうに私を見た。 丁度待合室に人がいなくなり診察室に通された。Dr.Chanは書きものをしながら、私に「そこに座って」とそばの椅子を示した。 私は緊張していた。ドクターは私の方を向いて「私は前にComplete Reportを書いてあげたでしょう」と言った。 私は「それではなくてメディカルレポート、 クリニカルレポート、息子を診察した時に書いていた手書きのノートのコピーが必要なんです」と言った。 緊張のあまり声が上ずって大きくなり、両手で目の前の机の端をしっかり掴んでいた。 「でもそれはVery shortで走り書きで何が書いてあるのか解らないから、ちゃんとまとめて私の意見を書いたCompleteなものをあげたんだよ」と言われた。 私は「あなたの意見は要りません。その時の、そのままの、書き直してないノートのコピーが必要なんです」と言った。 ドクターは「じゃあどうしてそれが必要なのか、弁護士にレターを書いて貰ってくるように」と居丈高に言った。 私は「あなたの前にくれたレポートは、事実と違っています。CEOとのミーティングの時、CEOは私達に、言いたい事があるなら他のドクターの証明が要ると言いました。 メディカルレポートを見た他のドクターが、あなたと同じ診断をするなら、私達は納得します。私達がメディカルレポートをくれるよう頼んだら、CEOは承知しました。 これはCEOが薦めたことです」と大声で叫んだ。受付のおばさんが慌てて入って来て「大きな声を出さないで」とたしなめた。 ドクターは「ああそういう事。それならいいけど、私はそうしたら、自分の弁護士に私を守るようアドバイスを貰うから」と言った。 ドクターを守るってどういうこと?と私は思った。ドクターは「私は私を守るよう弁護士を頼んでいて、レポートを渡す事についても、弁護士のアドバイスを貰うから」と言った。 受付のおばさんが、そうそうと相槌を打つ。私は「あなたのレポートはいつも事実と違っていました。あなたはそれを、何回も修正したじゃない。忘れたの?だから私達は、 クリニカルレポートが必要なのです、見たいのです。あなたは医者として、それを見せる責任があります!」と言った。ドクターは「それは全く同じだよ」と言った。 「違います。あなたはちゃんとそれを見て書いたのですか?」と言うと「そうだよ」とドクターは言った。 ドクターは「違うと思っているんだからな~」とおばさんに、呆れたように言った。そして「私は弁護士に私を守るように頼むから。これは合法的だから」と言った。 「そうそう合法的」とおばさんが相槌を打つ。私が「どうしてこの話し合いに弁護士がでてくるのですか?」と問うと、ドクターは「私はもう前にレポートを渡した。 それは私の意見を書いてまとめたComplete Reportだ。私はベストを尽くした。それなのにI have been attacked. I have been threatened.(私は攻撃され脅されている)」と言った。 私は"threatened"の意味が咄嗟には解らず、呆然とドクターを見ていた。ドクターはそんな私を見て、効果を計るように語気を強めてまた言った。 「I have been attacked. I have been threatened.」


私は"threatened"の意味が分からないまま、何やら自分が悪い立場に置かれているらしいことは察しがついた。これではドクターがまるで被害者みたいだと思った。何か言い返さないと 相手の思う壺だと思い「I have been attacked. I have been threatened.」とワケもわからず同じことを叫んで泣き出した。おばさんが「Calm down. Calm Calm down !! (取り乱さないでください)」と言って私の肩に手をかけた。 その両手を強く握って「No! No! No! No!」と言いながら私は激しく泣き出した。 身体がふるえた。おばさんが「Japanese…」と誰かを呼ぼうとした。 「I don't need Japanese Liaison ! (日本人通訳なんていらない)」と叫んだ。 訳がわからなくなって大声で叫びたかったけど、それも怖いと思った。 相手は毅然とした態度で事実と異なることを主張できる医者だから変な注射でも打たれたら、と真剣に怖くなった。 私は時間をかけて気持ちを落ち着かせながらドクターに言った。 「なぜ、あなたはレポートを渡せないのですか?自分に自信があったら、心にやましい事がなかったら渡せるでしょう」 「私は構わないよ。ただ弁護士に聞いてみて、渡してもいいと言われれば渡すし、渡さない方がいいと言われたらそれは渡さないから」 「なぜ自分で決められないのですか」 「決められるよ。私は渡すのは構わない、前に渡したのと同じ内容なのだから。でも私は弁護士を雇っているから、弁護士にアドバイスして貰うのは合法的なんだ。 弁護士にアドバイスを貰ったら連絡しよう」とドクターは言った。 「それはいつになるのですか。2ヶ月後ですか。私はもう2ヶ月以上待ってるんですよ」 「それはだから、メディカルレポートと言っていたから解らなかったんだよ」「他の誰もが、メディカルレポートと言って、それだと理解しますよ。昨日だって、私がそう言うと受け付けの2人は棚を探していました」そう言うと「彼等はまだ新しく来たばかりだから何も解らないのだよ。それは“クリニカルレポート”と言うのだよ」 そして勝ち誇ったように「私のところでは、私は“クリニカルノート”と言っているんだ」と言ってニンマリした。


【13 May 2005】
昼過ぎにMs.Ongからメールがきた。CEOと話した結果、必要なレポートは全て渡した、もうレポートはありません、もし比較したいのなら、 あなた達は他のドクターに頼んでメディカルレポートを書いて貰い、ドクターの意見を求めなければならないというものだった。
夜にMs.Ongにメールした。「私はDr.Chanが息子を診察した10月30日、11月3日,5日,9日の、たった4日間のメディカルレポート(クリニカルノート)のコピーが必要なだけなのです。 息子を日本の病院で診て貰う為にそれが必要なのです。Dr.Chanのレポートは息子を診察していないのに診察したと書いてあったり、リハビリを指示したのに指示してないと書いてあり間違っているのです。CEOに説明してくれますか?」と書き送った。


【17 May 2005】
Ms.Ongから、クリニカルノートについて公式に書いてDr.ChanとccでCEOに送るようメールがあった。 日本から帰ってきた主人は、Dr.Chanのクリニックでの話を聞くと憤慨した。「もう示談とか言うレベルではなく殺意さえを感じる」と主人はそう思ったようだ。


【18 May 2005】
Dr.Chanからメディカルレポート(クリニカルノート)についてのレターがきた。 もしクリニカルノートが必要なら、私達は弁護士を通して依頼する必要があり、それをもってドクターは自分の弁護士に相談するというものだった。 (2回目のミーティングでCEOの言ったことは何だったのだろう?)


【30 May 2005】
Ms.Ongに、Dr.Chanのメールアドレスを教えて欲しいとメールした。


【31 May 2005】
Ms.Ongから、彼のクリニックの秘書に聞くようと返信が来た。関わりたくないのであろう。ただMs.Ongには責任のあるQuality Managerとして聞いてくれるよう頼んだ。が、返事はなかった。 何とかGleneaglesのホームページからDr.Chanのメールアドレスを見つけた。日本の病院で診て貰う為にメディカルレポート(クリニカルレポート or クリニカルノート)のコピーが必要です、とレターを書いて送った。


【1 Jun 2005】
Ms.Ongから「Dr.Chanはすでにあなたに正式なレターを送りました。申し訳ないがもうこれ以上ヘルプはできません」というメールが届いた。 結局CEOからは無視を決め込まれ、Quality Managerからは手を引かれ、担当医からは開き直られ、病院との直コンタクトは万策尽きてしまった。


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【あとがき】
海外では(いや日本でだって)“自分の身は自分で守る”ことが鉄則だ。 怪我を治しに行って悪化させられるような目に遭いたくなかったら・・・、 何度も何度も病院に足を運んだうえに厄介者のような扱いをされたくなかったら・・・、 そして、なによりも不毛な時間を不誠実な医者のために費やしたくなかったら・・・。 であれば、このような医者の居る病院には絶対行かないことが最善の自衛策だ。 そんな病院で医療ミスが疑われるような事態に遭遇してしまったら“泣き寝入り”は確実だ。 まして友人達をゴタゴタに巻き込む恐れもあるし、逆に他人事と突き放されたりするのも悲しいだけだ。 情報は時として暴力的な武器にもなるが我が身を守る盾にもなる。こんなことがあったと知るだけでも貴重な判断材料になり得る。 マレーシア在住の我が同胞達よ、ここには素晴らしい医者も居るが不誠実な医者も確実に居る。くれぐれも用心されたし。 最後に、本文ではあえてご登場頂かなかったが、病院との攻防期間中に中立公正で詳しいアドバイスを頂いた長野県松本市の“新しい創傷治療”のN先生には心から感謝したい。


【幕は引かない・・・】
結果的に“泣き寝入り”させられてしまった今にして思えば、2005/3/1の第2回目のミーティングのとき徹底的に矛盾(捏造や隠蔽に近い)や言い逃れを糾弾すべきであった。 安易に“裁判で真実を明らかにすれば勝利は自ずと我らの側”と高を括ったが為に悔しい思いをする羽目になってしまった。 “裁判までパワーを温存しろ”との私の指示に従い爆発を堪えていた妻には“怒りの矛先”を失い、辛い思いをさせ続けている。 記録を読み返す度に、術後のケアミスは“間違い”として仕方ないとしても、対応に誠意を示さなかったStuart PackとChan Kim Yuenには腸が煮えくり返る思いだ。 今自分達に出来ることは、こうして記録を公表し、公表していることをStuart PackとChan Kim Yuenに伝えて憂さ晴らしすることぐらいだが、 彼らには誠意を示さなかった代償としてこの日本語(内容を推測するしかないので不気味か?)のコラムを眺めて苦い思いをして欲しいと思う。 また、今後も機会があれば医療ミスや怠慢についてはこの場で書いて彼らに捧げようと思う。"Even a worm will turn"だ。


(№49.【実録】医療トラブル体験談〔後編〕 おわり)

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