№58. アジアのコマッタちゃん


「東南アジアはすべてがユルイ!」と日本では思われているが、確かに私もそう思うことが多々ある。 現地の風土がそうさせるのか、はたまた、その手の輩が生き延び易い環境なので、ユルイ奴等が集まってくるのかは定かではないが、日本の表のビジネスシーンでは許されないような“コマッタちゃん”に、ある日突然遭遇してしまうことがある。 それも、海千山千のチャイニーズ系や、口八丁手八丁のインド系でもない。ましてや、おっとりしたマレー系などではなく、我が最も信頼すべき同胞の“ニッポンジン”なのだ。 以前、KLにも借金を踏み倒して逃げ回っている女が居て、CSL設立でお世話になったコンサルタントは、その女からの取立てを出資者から請け負って、CSLの登記事務と並行してKL中を飛び回っていた。 他にも、激安パーツで固めたPCに、違法コピーのMS-Windowsをインストールして、自社のロゴを貼って日本人社会に売りまくってた現役有名人○○氏。 飲食店等を次々と経営しては破綻させ、各所の借金を踏み倒して行った○○(呼び捨て)。 ポータルサイトを大手と共同で立ち上げたが、開発もしていないサービスを記者会見でぶち上げた後、いつのまにか共同経営者の日本人に借金背負わせて消えてしまった○○さん。 地元タウン誌の名を語り独自の営業活動を開始しようと目論んだが、地元誌に実名で叩かれてしまった○○さん。 (これらの人達は、私に直接害を及ぼしたワケでは無かったり、かえってお世話になった人も含まれて居たりして複雑な気持ちもあるが、やはり“コマッタちゃん”のカテゴリーに入れざるを得ない。) その他、ロングステイ(MM2Hビザ)関係の人達のネットでのやりとりを見ていると、少なくとも3~4人の“コマッタちゃん”はリストアップ出来そうだ。 まあ、私の行動範囲内で見聞きする“コマッタちゃん”などはかわいい方で、タイのバンコクなどは、安宿で“組”の追手を恐れて不法滞在を続けている老人が居たりするらしい。 程度の違いこそあれ、東南アジア一帯には、相当数の日本人“コマッタちゃん”が存在する筈なので、観光旅行やホームステイで訪れた先で親切にされたぐらいで「外国で日本人に巡り合うとホッとする」などと安易に思わない方がよい。


私はマレーシアに来てもうすぐ10年になるが、“昼飯で30円ぼられた”とか、“タクシーでお釣りを貰えなかった”等々の細かいコトは除き、現地の人達や、現地在住の同胞に“これはヤラレタ!”といった詐欺的行為に遭って、心から悔しい思いをするようなことはなかった。 日本人にとっては、生き馬の目を抜くような海外生活で「何事にも慎重だった」と言えばエラそうだが、要はラッキーだっただけなのだ。 今回、このコラムに書こうと思っているのは、「何事にも慎重だった」筈の私が、ある同業者と仕事をして、結果的に大損をさせられてしまった話である。 コトの顛末を簡単に言ってしまうと“ソフト開発作業を依頼されたのにも拘らず、作業が完成もしくは仕掛の段階でキャンセルされ、タダでその成果を利用された”となる。 これが商品を扱う販売店や、モノを造る工場で発生したことであれば、争点も明確なのだが、ソフト開発作業という目に見えないシロモノのため、部外者には分かり辛く、且つ曖昧にされ易いのだ。 今回のコラムは数ヶ月前から“自虐ネタ”としては面白いので書きたかったのだが、私の友人が深く関わっていて、公表してしまうと、問題企業の一員であるその友人は、社内でどんな制裁を受けるか計り知れない要素があり、興味本位やゴシップ記事的な意味でのコラム掲載は控えていた。 しかし、やっと、その友人の退職予定日も決まり、且つ、その企業が何を血迷ったか、被害者の我社(CSL)に向かって『ソースコードに関するアグリーメントを結ばないのは違法、リーガルアクション(訴訟)をとる!』などと、私の嫌いな“後出しジャンケン”のようなことを言ってきた。 こちらからは、「双方にとってメリットがないので、イキナリ訴訟などと云わずに、まず直接対話しましょうよ!」と、穏やかに提案して、新加入の良識派ナンバーツー取締役と面会して落し所を模索した。 2時間近く話しあった後、この取締役は、経緯や私の心情を理解してくれて「法的措置などといった不毛なことは、私の責任で無駄だと報告して止めてもらう!」と約束してくれた。 これはこれで事なきを得たのだが、私としては、「では、法的措置をとるのはやめてやる!」と言われて、「それは、どうもありがとうごさいました」と言うほど、お人好しではない。 こちらは被害を蒙っているのであって、先方は、補償弁済を、いや、最低でも謝罪をしないといけない立場だと私自身は認識している。 しかし、先方の代表者はその点はまったく意に介していないようで、実に不愉快だ。 こういった問題は、時間の経過とともに“怒り”が風化してしまい、記憶も薄くなるので、「まあ、犬に噛まれたと思って忘れよう」などと思ってしまうものだ。 が、しかし、少なくない数の“被害者”が、こうして諦めてしまっている状態を、“これ幸い”とばかりに、マレーシアの日本人社会で、実害をばら撒き続けているその問題企業を、一被害者として糾弾せずにはいられないのだ。 それと同時に、ことある度に、自分に起こったこの経緯を他人に説明するのはとても面倒なことだ。 そして、なによりも、今後、理不尽にも“降りかかってくる火の粉”を払う準備をしておかなければならぬ。 そういった、色々な意味でも、この時期(2008年11月後半)、自分のバカさ加減を公表するようで辛いが、ここで一旦事実を書き記しておこうと思う。


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このストーリーの舞台となる問題企業(仮にCBR社としておこう)、事務所は綺麗な郊外の高級コンドミニアム街のビジネス棟に居をかまえ、ホームページもFlashバリバリでイメージ画が美しく、販売しているパッケージソフト(カスタマイズ前提の製品)のパンフレットなどはデザインも凝っていて、それを購入して稼動させると効率が何倍にも良くなり、自然と利益が膨らむような妄想をかきたてる。 企業イメージ的には、ヒルズ族系の経営者が美人の秘書を使い、流暢な英語とカタカナの多いマーケティング理論で、株式公開(IPO)に向かってまっしぐら!みたいな外ヅラであった。 まあ、後から色々な人の噂を聞くと、パッケージを導入した顧客でのトラブル発生や、問題放置は当たり前で、酷い案件だと2年以上もダラダラとトラブル対策をしていて、数少ない技術者(コアの2名のみ)は遅延しているという意識も薄く、日々トラブルの“モグラ叩き”をしているらしい(実際内部の技術者達と話してもそう思った)。 当然ソフトウェアでは食えないので、彼らの言うところの“マーケティング”(要は販売営業)を生かしてプリンタなどのハード売りで稼ぐが、仕入れ代金の支払いは長期滞納が日常茶飯事、痺れを切らした扱い元からは、掛売り禁止令を出される始末。調達品を納めている会社などは、実質踏み倒しの実害を蒙ったケースもあるようだ。 「噂でものを言うな!」、「実例を挙げてみろ!」とのご批判があれば、いくつかの実例を挙げることが出来るが、現段階では控えよう。さて、こんな会社の実態を知ってか知らずか、私の友人(友人Rとする)は、それまで勤めていた、在マレーシア中小企業(製造業)の雇われ社長から、CBR社のオーナーの学校の後輩という“引き”で、 日本へ本帰国するオーナー(C氏)の後任として、畑違いのIT会社社長(Managing Director)に就任したのだ。このときC氏が私の友人Rに言ったのは、「日本でベンチャーキャピタル(VC)から投資を募り持ち株会社を設立する、そして、アジア各国の子会社をコントロールしつつ、成長させて株式上場を目指す!」と、言った趣旨の内容だった。 ちょうど友人Rも、増え続ける子供達の教育費確保に頭を悩ませていたことと、内心「3K製造業を脱して、憧れのITベンチャーへ!綺麗なオフィスで先端の技術者達に指示を出すなんて、ちょっといいかも!」といった浮ついた気分も重なり、半年後には「こんな筈じゃなかった!」となることなど想像だにせず、憧れのITベンチャーに、少なくない出資金ともども身を捧げたのだった。


友人Rが、憧れのITベンチャーに入社して最初にやらなければならなかった仕事は、ハード仕入先との交渉であった。 「納入した代金が長期未払いとなっているので、掛売りは許可出来ない、これからはCOD(現金払い)でないと製品出荷は止めます。」 社長就任早々このような不名誉な面会相手が続き、普通の神経であれば嫌気がさすような場面でも、持ち前の辛抱強さと、ある意味、他人事感(自分のつくった負債ではない)で、危機的状況を、“ナダメ、スカシ、オサメ”ることに集中するしかなかった。 一方、CBR社の看板商品であるパッケージソフトのトラブルが多発していた。が、しかし、IT業界1年生社長の友人Rには、その対応策はもとより、現状把握すら出来ない状態が長く続いた。 顧客企業の日本人マネージャからクレームの電話が相次いで掛かってくるが、技術者達は慌てる様子もなく、日々のルーチンワークの一環といった態度でトラブル対応をしていた。 組織上の上司であり、CBRグループトップであるC氏に相談してみても、「あの客は納品済で終わった筈」、「要求を纏められぬ顧客側が悪い」、「過去の客より新規を獲得すべくマーケティングに注力せよ!」といった趣旨の反応ばかりで、実際困っている現場(顧客および開発側)のことは省みず、「売るのは俺の仕事、その後は、オマエラの責任だ、なんとかしろ!」と言われていると同じであった。 そういった環境が原因かは別として、何故か2名の古くから居る技術者以外は、採用しても僅かな期間で辞めてしまう。このことも友人Rには頭痛の種であった。 仕入先との関係、システム納入トラブル、人材流出問題、「ちょっと思い描いていたイメージとは違うな??」と疑問符が頭によぎるが、IT業界1年生社長にとっては比較する経験もないため、「なんか変だ」と、思いながらも「パッケージソフト業界とはこんなものなのか・・・」と思うしかない日々であった。 私も、友人Rより、電話やメールで細切れには話は聞いていたが、「ちょっと現状みて、色々提案してよ!」と言われ、我社としても、“そろそろ、マレーシアの現地企業の仕事を始めたい”と、切実に思っていた矢先でもあったので、とりあえず、正直にアタリマエのことを書いて、正式な提案書として送ったのが、今から約1年前の2007年10月のことだった。


私が送信した提案書は「必要最小限のドキュメントを揃えましょう!(ウチでソースを解析することも可能)」と、実にシンプルなものであった。 CBR社の技術者と何度か話をしたときに感じたこと、実際に顧客に同行してみて思ったこと、そして、顧客の日本人管理職から、直接クレームを受けている友人Rからきく数々のトラブルの惨状。 それらを総合すると、「顧客との仕様の詰めが甘い」、「ドキュメント不足で、限られた技術者しか自社製品のプログラム詳細を分かっていない」、「適切な数の開発人員を配置していない」の3つであった。 顧客の業務をしっかりスタディしていないために、長期間かけてもプロジェクトが収束しない。限られた機能しか持たないパッケージソフトであるにもかかわらず、改造やメンテナンスに必要なドキュメントが不足していて、製品を熟知した2名の経験者しか対応できない。 他案件のトラブル対応にプログラマをとられてしまい、新規開発案件に携わることの出来るプログラマの数が限られている。そのため、プロジェクト規模の大小に拘らず少人数(1名か2名)で開発するより選択肢がない。 こうした状況に対して、経営者側は「単純人員増作戦」で対応とようとしているのだが、必要なドキュメントもが少ない状態で、増員されたプログラマレベルの技術者が戦力になる筈もなく、大概の者は上層部との“認識違い”に嫌気がさしてしまい、他社に転職していくのである (いまどき、未だ“妊婦を10人集めれば赤ちゃんが1ヵ月で生まれる”的な、プロジェクトマネージメントをしているところがあったのか、と)。 このような状態の中、とりあえず、2名の経験者のみに頼っている状態を打破し、新規採用したプログラマ達に自社の製品の仕組みを早急に理解させるためには、仕組みを紐解くガイドとして最低限のドキュメントが必要なことは、同業者の方なら100%理解頂けると思う。 ところが、である。本提案を友人R経由で聞いたCBR社のトップ且つオーナーであるC氏の反応は苛烈であった。 「パッケージソフトの“パ”の字も知らんような、受託開発専業にナニが分かるんだ!」と、ナニやら逆鱗に触れたか、眠れる獅子の尻尾を踏んでしまったのか、雲行きが怪しくなってきてしまったのだ。 それ以前の初顔合わせミーティング<<<このときは、プログラム作成の外注業者が欲しいという要望があり出向いた>>>では、「ウチのパッケージはオブジェクト指向でもないし、ちょっと古い作り方だけど、ソースも提供するので・・・」などと気さくに話をしていたC氏だったが、「最小限のドキュメントを!」との提案で態度が激変してしまったのだ。 とはいえ、ドキュメントも無しに、プログラム外注として彼らをヘルプすることも出来ないし、現体制(実質2名)ではトラブルの“モグラ叩き”だけで手一杯。 まして、新規の案件が2~3件控えているけれど、開発体制がとれぬまま時間ばかり過ぎて行く状態を手をこまねいて見てるだけではCBR社にとっては大きな損失だ。 せっかく、魔法か手品のようなプレゼンテーションで、ベンチャーキャピタル(VC)より億単位の投資を得たのだから、溜まった支払いに充てるのも良いが、少しは問題解決の為の投資にもまわさないとCBR社の未来は暗い。 この時点で我社は、既に細かいプロジェクトはお手伝いしていて、取引実態もあったので、友人Rは現地法人社長の権限で、「パッケージ解析・簡易ドキュメント作成」を我社へ発注した。 発注の際には、CBR社の担当マネージャもPO(発注書)にハンコを押し、当然だが社長(友人R)のサインも添えられた。


CBR社はセールス業務がとても得意だ。 渡された美しい会社案内の顧客リストを見ると、日本を代表するビッグネームがズラリと並んでいる。 加えてパートナー企業も、多くはないが業界大手の名前が会社案内に重みを与えている。 ただ、「開発部門」、というか実際に顧客とシステム詳細の打ち合わせをしたり、プログラムを製造および最適化して納品するセクションは、人員不足もあり、決して“会社案内の通り”とはいえなかった。 その頃、CBR社では持て余し気味であった2つの顧客との打ち合わせに、私も同行を許されて参加した。 ひとつ目の日系精密機器メーカーC社は、担当者の要望と、既にCBR社より出されていた見積工数の誤差が目に余ったので一度の会議参加のみで辞退させてもらった。 何故、要件を話し合う打ち合わせの前に、あのような見積書が出ているのかが理解できなかったが、CBR社の営業戦略か、“お家事情”だと思い深くは追求しなかった。 そして、何より“ヤバイ”と思ったのは、C社の担当者達が、「オタクの代表(C氏)が出席するならミーティングは開かない!!」と憚らず言い張ることであった。 一方の日系オーディオ機器メーカーの方は、CBR社セールス担当の日本人女性が、“このシステム導入は成功させたい!”と強い意思で仕事をしていたことと、 “今までのトラブルの原因を知りたい、そして、システム開発のプロセスを勉強したい”と前向きな態度で友人Rに我CSL社の協力を要請していた。 私としても、セールスが得意なCBR社と良好な関係を築いて、良きパートナーとなれば、マレーシア国内受注も増えて非常に助かる。 そして、業務内容も事前提案されていたパッケージ使用では無理がありそうで、ここは一番、我々のフレキシビリティを発揮して良い結果が出せれば、今後の協業にも弾みがつく。 そんな目論見もあり、とりあえず、納期が迫っていたこともあり、友人Rの“口頭発注”で上流工程から参加することになった。


我社(CSL)の2008年初頭は、「パッケージ解析・簡易ドキュメント作成」および「日系オーディオ機器メーカー」の仕事に集中した。 なぜなら、これらの仕事をしっかりこなしてマレーシア国内でのプロジェクトを増やしたかったからだ。しかし、前者の作業が納品済で、後者の設計に集中していた4月の半ばに、突然「オーナーC氏が発注を許可しないと言っている」と友人Rより連絡があった。 「私(C氏)の許可無くRが勝手にやったことなので無効だ!」との言い分らしい。 既にドキュメントファイル3冊は納品され請求書も渡っている、そして、オーディオ機器メーカーのシステム基本設計も終了間近となった段階で、である。 通常の商習慣(まして日本人同士の取引)では在り得ないことなので、その後の揉め方は半端ではなかった。ゴタゴタの経緯は長くなるので省略するが、結果的に、「パッケージ解析・簡易ドキュメント作成」の作成代金はオフィシャルな発注書があるにも拘わらず (かなり高額であったが)友人Rの個人で補償してもらった。仕掛中だった「日系オーディオ機器メーカー」分は、仕掛分を算出して、友人Rの個人小切手まで預かったが、“口頭発注”であったことと、彼の家庭を破壊してしまうまで責任追及するのも気の毒だと思ったので 諦めることにした(こう書くと簡単に聞こえるが、この間さまざまなゴタゴタで時間を奪われ、最終的には「回収に要する時間がモッタイナイ」が仕掛分をチャラにした最大の理由だ)。 その後、オフィシャルにはCBR社の人間は我社への出入りは禁止とした。ただ、最後まで自社の理不尽さと戦ってくれた、セールス担当の日本人女性は例外とした。 (結果的には、理不尽が日常化してしまっているCBR社を辞して、今は、東京の我が親会社でSEの特訓中だ。口の悪い友人達は、「借金のカタにイイ娘手に入れたね~」などと言うが、彼女も必死だった。)


ここまででストーリーが終われば、「変な奴に騙されたね~」、「アンタも人を見る目がないね~」と、言われる程度であろう。が、しかし、不幸なことに、数ヶ月を経て更に理不尽は続くのだ。 既にこの頃には、上記のような経緯もあり、友人RはオーナーC氏より、会社の代表であれば当然持っているような権限までも奪われていた。 「社長であるが、たいした権限も無く、且つIT系業務内容もチンプンカンプン。こんな立場からは早くオサラバしたい。が、養わなければならぬ家族が居る。」 こんな気分のまま、日に日にレイムダック化して行く自分を忸怩たる思いで嘲笑しながら、友人Rは毎日を塗りつぶしていたのではないだろうか。 社内で疲弊していたそんな彼が、オーナー兼トップのC氏より与えられた次なるミッションは、「CSL社を訴えろ!」であった。 はじめてそのコトを聞いたとき、私は耳を疑った。 てっきり、CBR社は、今回の理不尽な行為を、ウチ(CSL)から訴えられるのではないかと、コソコソしているかと思っていたら、真逆のアクションに出てきたではないか。 「ビジネスの基本は約束を守ること」、CBR社を反面教師としてして、気持ちを引き締めて行かないとイケナイな~、などと悠長に構えていた自分は隙だらけであった。 「訴える」その理由を問いただして、今度は自分の脳ミソを疑った。 「我々のパッケージソフトのソースコードを見たのに、アグリーメントを結ぶのを拒否している御社には、リーガルアクション(法的措置)を起します!」とのことらしい。 アグリーメント(合意)とは、「我々が開発したソフトウェアを無断で使用しないこと」みたいな、ソフト開発会社間ではよく結ばれる覚書のような誓約書だ。 普通は、取引の前に両者合意のうえで締結して、それから情報開示(ソースコード公開)といった流れだろう。 まあ、ごく当たり前のように信頼のある会社間であれば、作業を先行させておいて、ペーパーワークは後で処理するといったパターンもあるだろう。 が、しかし、現地法人の代表者がサインして、正式発注した案件を、突然ワガママで納品後に取り消して、そのツケを部下個人に負わせておいてから、「アグリーメントの件ですがぁ!」などと言われても、「ちょっとオカシクナイ?」と、思うのがマトモな神経ではないのか。 まあ、各所でトラブルを起していようと、危ういコードで制御されていようと、大切なソースコードであろうから、「絶対、流用などしません!」と書いてサインするのはヤブサカではない。 (色々な意味で、我社の顧客に対しては、このコードを流用するなど出来ない)。 だが、そのアグリーメントを読むと、ちょっと腰が引けてしまう内容なのだ。 そもそも、プログラム自体は、通常の企業アプリケーションで、特殊な技術もコーディング技法も使ってない。 なので、印刷されたアグリーメントの文言をマトモに認めると、結果的に“あれもするな”、“これもするな”と、まるで同種のシステムを同じ言語で作成したらばイケマセンと言われているがごとき内容なのだ。 喩えて言えば、「貴殿が当店で調理方法を覚えた、フライパンを使った目玉焼きのレシピを、他店および自宅等で流用し調理することは、当店の知的所有権の侵害として法律で罰せられます」と、言われているようで、簡単にはサインし辛い内容なのである。 「If~then~else~end_if」の誰でも使うシンプルな文法ですら、彼らにとってはプロテクトすべきアルゴリズムになってしまう恐れがある。 更に言わせてもらえば、CSL社がCBR社とアグリーメントを結ばない本当の理由は、我々は彼らを一切信用していないからなのだ。 信頼できない、且つ、何を言ってくるか分からないような団体(非常識な指示であってもトップには抗えない為だとは思うが)に、不平等条約のようなアグリーメントなど締結した日にゃ、後日、それを盾にどんな因縁を付けられるかわかったものではない。 こちらからCBR社に対して、「御社とアグリーメントを結ぶのは良いが、我社作成の“ビジネス慣行遵守アグリーメント”を先に締結しましょう!」と、提案したいぐらいだ(これは冗談だけど)。 まあ、そういった事情から、本来であれば、CBR社が「日系オーディオ機器メーカー」の設計で流用している我社の成果物について、補償を求めたいところではあるが、「アソコとは、金輪際、カカワリタクナイ」との気持ちが強くあり、彼らの理不尽な要求をも含めて、CBR社のことは一切無視することにしているのである。 (因みに、そのオーディオ機器メーカーのシステム開発は、我々を排除して、且つ、納期を6ヶ月延期してもらったようだが、納期を過ぎても結果が出てないようだ・・・それゃ、いくら優秀でも若手1人で、プロマネ的管理者不在じゃ難しいでしょ。)


私はC氏でないので、ご本人の考えていることを正確に語ることは出来ないが、どうやら、今回の一連の理不尽行動は、オーナーである自分の許可を得ずに、勝手に諸々決裁した友人Rに対する制裁のようだ。 間接的に伝わってくるC氏の主張や指示は次のようなものだった。①CSL社のような、叩き上げの会社は、我がCBR社のソフトウェアを分析・評価することなど不可能で、その価値が理解できるとは思えない。 ②CBR社のルールは、私(C氏)の決裁がなき場合は全て無効であり、したがって外部への発注や支払は、勝手にはさせない。 ・・・ 百歩譲って、ここまでは良いが、次の3つは聞き捨てならない。 ③新しい現地法人社長(友人R)は、彼の友達でもあるの同業者(筆者)と結託して、私(C氏)の許可なく、自社の知的財産であるソフトウェアのソースコードを流用している。 ④勝手にソースコードを使わせないように法的に縛りをかけるのは当然だ。⑤現地法人社長(友人R)は、自分でやった罪を償え!CSL社に法的措置をとれ! ・・・ ん~、確かに①はそう思われても仕方ない、そして、②と④も単体で見ると論理的には問題なしだ。⑤も社内で勝手にやってる分には他人(他社)には迷惑はかからない。 ただ③に関しては完全な誤解である。ここまで来ると「ちょっと、アンタ被害妄想なんじゃないの?」と言いたくなってしまうのは、私だけではないだろう。 (正直に言うと、このソースコードとプロマネ不在が、数多のトラブルの根源だしね・・・)


中小企業の場合、会社の評判の良し悪しは社長の評価でもある。 通常、会社の評判とは、顧客、取引先、株主、そして社員やその家族が握っている。 社長にとっては、彼ら皆が自社のステイクホルダーだ。 理想論だが、彼らミンナをハッピーにさせることが、社長の究極の仕事ではないだろうか。 現地法人の社長がかなりの頻度で退職に追い込まれているだけでも異常なのに、顧客にはトラブル、取引先には支払遅延(もしくは事後キャンセル)、個人株主は出資金の所有権を曖昧にし、投資家には誇張された報告、そして社員には、未完のプロジェクトの代金事前回収等々の理不尽な仕事。 そして、対外的なトラブルに対しても「従業員が勝手にやったこと、すべて自分の与り知らぬ所で起きたこと」では、どんな立派な正論を吐こうが、相手にしてもらえないのは自業自得、当然のことであろう (航空会社の社長が「あの事故は操縦士がやったこと、私に責任はございません」とは言えんでしょ)。 ただでさえ景気低迷のあおりで、日々本業だけでも大変なときに、このように無意味ないことに、なんで付き合わされなければいけないのであろうか。 友人Rのポジションを引き継ぐ人も、気まぐれで理不尽な指示をトップに強要され、自身で納得出来ないまま、本来早急に対応すべき顧客巡りや、プロジェクトの立直し管理などを犠牲にして、不毛なことに奔走させられるのだろうか。


しかし、この“降りかかる火の粉”。 払うだけでどこかに消えてくれれば良いが、近くで燻りつづけるようだったら、多数の協力者を得て、本格的に水をかけ火元から鎮火させる必要が出てくるかも知れない。(被害に遭い、泣き寝入りしたくない人は連絡ください!)


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日本の高齢化問題解決オプションとして、また、金融危機で行き場のなくなったマネーの投資先(不動産)としても有望なマレーシア。 これから先も、多くの日本人がマレーシアに来るだろう。そして、その中には多くの“コマッタちゃん”も居るだろう。 これからも大勢の“コマッタちゃん”がJAL723やMH89に乗ってKLへ押し寄せてくるかと思うとウンザリだ。 そして、こんなコラムを書いている自分も、部外者からみると“コマッタちゃん”のひとりとして認識されているのではないかと思うと憂鬱になってくる。 「KLは大好きだけど、もうちょっと静かなところへ移ろうかな~」などと、休日の屋台で麺を啜りながら考えてしまう今日この頃だ。


(№58. アジアのコマッタちゃん おわり)

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